第二話 S級探索者
「ステータスを開いてください」
「……どうやって?」
神代遼が聞き返すと、目の前の女性はしばらく黙った。
二十代半ばくらいだろうか。黒いスーツの上から白い上着を羽織り、胸元には〈日本探索者協会〉と書かれた身分証が下がっている。
「神代さん」
「はい」
「ステータスを、ご存じない?」
「さっきから何度か聞いてますけど、それって何なんですか?」
「……」
また黙った。
遼としても困る。
第零遺跡と呼ばれているらしい場所から出たあと、遼は近くに設置されていた施設へ連れてこられた。
十年ぶりに入った建物だった。
椅子も机もある。頭上には照明がつき、部屋の中には冷房の風が流れている。どれも懐かしく、出されたペットボトルの水に至っては、開け方を忘れかけていたくらいだ。
それなのに、地上の人間が話している内容の半分ほどが分からない。
「レベルは?」
「それも分かりません」
「スキルは?」
「文字は出ます」
「確認したことは?」
「最初は見てましたけど、途中から多すぎて」
「多すぎる?」
「邪魔なんですよ。戦ってる時にも出てくるので」
女性が手元の紙へ何かを書き留める。
「職業は覚えていますか?」
「考古学者です」
「……それは以前のお仕事ではなく?」
「出た文字にもそう書いてありました」
「考古学者」
「はい」
「十年間?」
「はい」
女性はそこでペンを止めた。
遼には、その反応の意味が分からない。
「何か?」
「いえ」
女性は小さく息を吐き、手元の資料を整えた。
「順番に説明します」
「お願いします」
「十年前。現在〈大変革〉と呼ばれている現象が、世界規模で発生しました」
それは、遼が遺跡へ閉じ込められた日だった。
世界各地で同時に空が割れ、それまで存在しなかった魔物が現れた。遺跡や洞窟、地下施設なども次々と異常な構造へ変化した。
同時に、人間にも変化が起きた。
レベル。
ステータス。
スキル。
職業。
それまでゲームの中にしかなかったようなものが、現実に現れた。
最初の一年で世界人口は大きく減少し、各国の社会機能も混乱したが、人間も少しずつ新しい世界へ適応していった。
魔物を倒せば強くなる。
ダンジョンから得られる鉱石や素材には、それまで存在しなかった性質がある。
やがて、そうした場所の探索を専門にする人間が現れた。
それが〈探索者〉。
「……なるほど」
一通り説明を聞き終え、遼は腕を組んだ。
「だから、あんな生き物がいたんですね」
「そこからですか?」
「ずっと何なんだろうと思ってました」
「十年間?」
「十年間」
「……よく生きていましたね」
「死にたくなかったので」
遼はペットボトルを持ち上げ、水を飲んだ。
冷たい水が喉を通る。
それだけで美味い。
「ところで」
「はい」
「家族へ連絡できますか?」
女性の表情が変わった。
「ご家族が?」
「母がいます。十年前で六十二だったので、生きていれば七十二かな。あと妹が一人。結婚して名字は変わってますけど」
「お名前を伺っても?」
「もちろん」
遼が名前を伝えると、女性は一人ずつ記録していった。
「確認します。ただ、十年間行方不明という扱いになっていますので、少し時間をください」
「分かりました」
遼は少し笑った。
「生きてるといいな」
女性が顔を上げ、遼を見る。
「……はい」
その返事だけが、少し優しかった。
一時間後。
遼は別の部屋へ移されていた。
部屋の中央には人の胸ほどの高さがある大きな水晶が置かれ、その周囲を十人以上の人間が囲んでいる。
白衣姿の研究員。
スーツ姿の職員。
武装した探索者らしき者までいた。
「これが?」
「ステータス測定器です」
先ほどの女性――水城彩花が説明する。
「手を触れてください。現在のレベル、基本能力、職業などを確認できます」
「便利ですね」
「神代さんは十年間、一度も測定していないんですよね?」
「こんな物ありませんでしたから」
遼は水晶の前へ立ち、その表面へ手を置いた。
何も起きない。
「……?」
数秒が過ぎる。
十秒。
「壊れてません?」
「少し待ってください」
研究員が隣の機械を操作すると、水晶の内部に光が灯った。
【測定中】
「お」
遼が覗き込む。
【測定中】
【測定中】
【測定中】
水晶の光が少しずつ強くなっていく。
「数値が……」
研究員が画面を見た。
「どうした?」
「待ってください。おかしい」
直後、部屋に警告音が鳴った。
【測定不能】
水晶から光が消えた。
部屋にいた全員が黙った。
遼は水晶から手を離す。
「やっぱり壊れてるじゃないですか」
「壊れていません」
「でも測れないって」
「測定器の上限はレベル二百です」
水城が水晶を見ながら言った。
「国内最高位の探索者でも問題なく測定できます」
「じゃあ俺は?」
「分かりません」
「それじゃ意味ないな」
遼は水晶を眺めた。
十年ぶりに地上へ戻って最初に覚えた便利な機械は、思っていたより役に立たなかった。
「茶番だな」
後ろから男の声がした。
遼が振り返る。
壁際に立っていた大柄な男が、こちらへ歩いてきた。
三十代半ば。
短い黒髪。
背中には、自分の身長ほどもある大剣を背負っている。
「黒崎さん」
水城が眉を寄せた。
「測定器が壊れただけだろ」
「直前に校正しています」
「だったら、こいつが何かした」
男――黒崎が遼を見る。
「最下層から来たって話もそうだ」
「何かおかしいですか?」
「おかしいに決まってるだろ」
黒崎が鼻で笑った。
「第零遺跡は、世界中の探索者が十年間攻略できていない特級ダンジョンだ」
「らしいですね」
「人類最高到達地点は十二階。日本だけじゃない。アメリカ、フランス、中国、ドイツ。世界中から化け物みたいな連中が来た。それでも十二階より先へ進めない」
「はい」
「それをお前は、一人で最下層まで行った?」
「逆です」
「あ?」
「最下層まで行ったんじゃなくて、出られなくて下へ行ったんです」
「同じだろ」
「結構違いますよ」
黒崎の眉が僅かに動いた。
「それに、一人じゃありませんでした」
「……何?」
「最初は六人いました」
「他の五人は?」
「死にました」
部屋の空気が少し変わった。
黒崎だけは表情を変えない。
「つまり、最後まで生き残ったのがお前ってだけだ」
「そうですね」
「運が良かったな」
「そうかもしれません」
あっさり認めると、黒崎は少しつまらなそうな顔をした。
「黒崎剛志」
水城が遼へ紹介する。
「日本に七人しかいないS級探索者の一人です」
「S級」
「最高位です」
「へえ」
遼は改めて黒崎を見る。
強いのだろう。
実際、身体の使い方はここにいる他の人間とは違っていた。立っているだけでも、重心や足の置き方に無駄がないことが分かる。
「黒崎さんは、第零遺跡の第十二階層到達者でもあります」
「そうなんですね」
「……何だ、その反応は」
「いや」
遼は少し困った。
十二階。
何がいたか思い出そうとする。
「すみません。十二階って、何がいました?」
黒崎の顔が引きつった。
「喧嘩売ってんのか?」
「忘れたんです」
「神代さん」
水城が二人の間へ入った。
「十年間で、第零遺跡の構造が変化している可能性もあります。同じ十二階とは限りません」
「ああ。それなら分からないですね」
黒崎は黙ったまま遼を見ていたが、やがて口を開いた。
「実際に見りゃ分かる」
「黒崎さん?」
「こいつが本当に最下層から来たなら、第十二階層くらい散歩みたいなもんだろ」
「実力試験の許可はまだ――」
「上に確認しろ」
黒崎は遼から目を逸らさなかった。
「俺が同行する」
二時間後。
遼は再び第零遺跡の前にいた。
「まさか、今日また入るとはな」
十年間、出たくて仕方がなかった場所へ、地上へ戻って数時間後にまた入ることになる。
人生は分からない。
「怖いですか?」
隣から声がした。
見ると、二十歳くらいの若い女性が立っていた。金属製の軽装鎧を身につけ、腰には細身の剣を下げている。
「怖い?」
「十年間閉じ込められていた場所ですよね」
「ああ」
遼は巨大な入口を見上げる。
「別に」
「……そうですか」
「あなたは?」
「え?」
「怖くないんですか?」
「怖いですよ」
女性は笑いながら、腰につけた道具を一つずつ確認した。
「だから準備するんです。B級探索者、白石結衣です。今回、記録員として同行します」
「神代遼です」
「知ってます」
「ああ、そうか」
白石が少し笑った。
その向こうでは黒崎が背負った大剣を確認している。
他に協会所属の探索者が三人。
合計六人。
遼はその人数を見て、少しだけ目を止めた。
「どうしました?」
「いや」
昔も六人だった。
「何でもないです」
遼は第零遺跡へ足を踏み入れた。
第零遺跡、第一階層。
中へ入った遼は、ゆっくりと周囲を見回した。
「変わってないな」
懐かしい、という感覚が正しいのかは分からない。
石壁。
湿った空気。
通路の奥からは、水が落ちる音が聞こえている。
「止まれ」
前を歩いていた黒崎が手を上げた。
全員がその場で止まる。
「この先に三体」
「分かるんですか?」
遼が聞く。
「気配察知だ」
「便利ですね」
「お前は?」
「何が?」
「分からないのか?」
「分かりますよ」
黒崎の眉が動いた。
「三体ですよね」
「……だったら何で聞いた」
「どうやって分かったのかなと思って」
「気配察知だ」
「俺のとは違うみたいですね」
直後、曲がり角の向こうから三体の魔物が姿を現した。
遼が十年前、最初に殺したものとよく似ている。
【グレイヴ】
「あ」
遼が声を出す。
「何だ?」
「こいつ、まだいるんですね」
「下がってろ」
黒崎が背中の大剣を抜いた。
一歩踏み込み、大剣を横へ振る。
一度の斬撃で、三体の身体がまとめて切断された。
「おお」
遼は素直に感心した。
「すごいですね。一回で三体」
「……」
「馬鹿にしてるのか?」
「褒めたんですけど」
少し後ろで、白石が口元を押さえていた。
黒崎がそちらを睨む。
「先へ行くぞ」
第五階層。
第八階層。
そして第十階層。
黒崎たちが進む速度は速かった。
遼が昔ここを進んだ時とは比較にならない。
地図がある。
魔物の情報もある。
どこに安全地帯があるのかまで把握されている。
「地上ってすごいな」
「そっちに感心するんですか?」
隣を歩く白石が聞いた。
「俺、一つずつ全部調べたんですよ」
「一人で?」
「途中からは」
「……大変でしたね」
「まあ」
遼は歩きながら壁へ手を触れた。
そのまま数歩進んだところで止まる。
「でも、ここ違います」
「え?」
「この道」
前方の通路を指した。
「行かない方がいいですよ」
黒崎が振り返る。
「理由は?」
「壁の模様」
「模様?」
「古代文字です。たぶん、この先に入ると閉じます」
黒崎が壁を見る。
「何も書いてないぞ」
「削れてますからね。でも、ここに『封』、その横がたぶん『血』です」
「地図では最短ルートだ」
「じゃあ、昔は開いてたのかな」
「行くぞ」
「黒崎さん」
白石が止める。
「神代さんの意見を確認した方が」
「十年前の記憶だろ」
「でも――」
「俺は十二階まで何度も潜ってる」
黒崎はそれだけ言うと、通路へ入っていった。
遼は止めなかった。
白石が不安そうにこちらを見る。
「いいんですか?」
「本人が行くって言ってるので」
「……」
他の探索者たちが黒崎に続く。
遼も最後尾から通路へ入った。
十メートルほど進んだ時だった。
背後から轟音が響いた。
全員が振り返る。
さっきまで開いていた通路を、分厚い石壁が塞いでいた。
「えっ?」
白石の声が漏れる。
退路が消えた。
その直後、今度は前方から重い音が響いた。
壁が左右へ開いていく。
その奥には、光の届かない黒い空間があった。
まず巨大な腕が一本、闇の中から出てくる。
「構えろ!」
黒崎が叫んだ。
続いて、魔物の全身が姿を現す。
四本足。
巨大な胴体。
その前方から、人間のような二本の腕が伸びている。
頭部に目はなく、顔の中央には縦に裂けた口だけがあった。
【血喰らいのガルム】
「ああ」
遼はようやく思い出した。
「こいつか」
「知ってるのか!?」
「はい」
黒崎が大剣を構える。
「ランクは?」
「ランク?」
「危険度だ!」
「知らないです」
「役に立たねえな!」
ガルムが床を蹴った。
巨体が一気に距離を詰める。
黒崎は逃げず、真正面から大剣を構えた。
爪と剣がぶつかる。
衝撃で床に亀裂が走った。
「散れ!」
探索者たちが一斉に動く。
左右へ広がり、魔法と矢、剣による攻撃が次々とガルムへ入った。
「効いてる!」
「押せ!」
黒崎が踏み込み、大剣をガルムの肩へ叩き込んだ。
刃が肉へ食い込み、血が飛ぶ。
ガルムが大きく口を開き、低い声で吠えた。
「いける!」
白石が叫ぶ。
遼は少し離れた場所から、その戦いを見ていた。
確かに強い。
黒崎も。
他の探索者たちも。
十年前の自分なら、何もできなかっただろう。
その時、ガルムの口がさらに大きく開いた。
「黒崎さん!」
遼が声をかける。
「あ?」
「離れた方がいいですよ」
「黙ってろ!」
黒崎がさらに踏み込んだ。
次の瞬間、ガルムの口から赤い霧が噴き出した。
「なっ――」
霧を浴びた黒崎の身体が止まる。
「黒崎さん!」
「毒!?」
「違います」
遼が答える。
「麻痺です」
「先に言え!」
黒崎が叫んだ。
「言おうとしましたよ」
ガルムの巨大な腕が振り下ろされる。
黒崎は大剣を上げて受けたが、足が動かない。
踏ん張れず、その身体ごと横へ吹き飛ばされた。
背中から石壁へ激突する。
「ぐっ……!」
「回復!」
探索者の一人が走る。
だが、その前にガルムが黒崎を追った。
「来るぞ!」
そこから戦況が変わった。
黒崎が動けない。
残った探索者だけでは、ガルムの巨体を押さえきれない。
一人が腕を折られ、もう一人が床へ叩きつけられた。
「神代さん!」
白石が叫ぶ。
「はい?」
「戦えますか!?」
「戦えますよ」
「だったら!」
遼はガルムを見る。
懐かしかった。
昔は苦労した。
何度も殺されかけた。
それなのに、今こうして見ると、随分小さく感じる。
「神代!」
壁際から黒崎が叫んだ。
「何見てやがる!」
ガルムが黒崎の方へ向きを変える。
「助けろ!」
遼はその場から動かなかった。
「おい!」
黒崎が大剣を持ち上げる。
「助けろ!」
ガルムの腕が高く上がった。
「神代!!」
振り下ろされた。
鈍い音が響く。
黒崎の身体が床へ沈み、握っていた大剣が手を離れて転がった。
「……黒崎さん?」
白石の声が震える。
返事はない。
ガルムがもう一度、腕を振り上げる。
遼は見ていた。
腕が落ちる。
今度は、黒崎の身体は動かなかった。
「いや……」
白石の顔から血の気が引いていく。
ガルムがゆっくりと身体の向きを変えた。
次に見たのは遼だった。
「神代さん!」
「大丈夫ですよ」
遼は歩き出した。
ガルムが吠え、四本の足で地面を蹴る。
一直線に突進してくる巨体へ向けて、遼は右手を上げた。
振った。
それだけだった。
ガルムの巨体が止まる。
一瞬遅れて、上半身が横へずれた。
そのまま石床へ落ちる。
残った身体も崩れ、血が床を流れていった。
静かになった。
「……え?」
白石が立ち尽くしている。
生き残った探索者たちも、誰一人として動かなかった。
遼は自分の右手を見る。
「やっぱり」
十年間使っていた剣と、地上まで持ってきた鞄は、協会に預けてきた。
素手で試すのは久しぶりだった。
「使えるんだな」
「……何を」
白石が掠れた声を出した。
「何をしたんですか?」
「風です」
「風……?」
「切っただけですよ」
遼は倒れた黒崎のところへ歩いていき、その横へしゃがんだ。
首元へ指を当てる。
「死んでますね」
「……」
「残念です」
立ち上がると、白石がこちらを見ていた。
さっきまでとは違う目だった。
「どうして……」
「はい?」
「どうして助けなかったんですか?」
遼は黒崎を見る。
「助けられましたよね?」
「はい」
「だったら!」
白石の声が石壁へ響いた。
「だったら、どうして!」
遼は少し考えた。
質問の意味が分からなかったわけではない。
ただ、答える必要があるのか分からなかった。
「この人」
遼は黒崎を指した。
「S級なんですよね?」
「……そうです」
「日本に七人しかいない」
「だから何ですか」
「俺よりずっと、この世界のことを知ってる」
遼は床に倒れたガルムを見る。
「俺が危ないって言っても進んだ」
「……」
「離れた方がいいとも言った」
「それでも!」
「それでも?」
白石が言葉を詰まらせる。
遼はもう一度、黒崎の死体へ目を向けた。
第零遺跡、十二階到達者。
日本に七人。
探索者の最高位。
地上へ戻ってから、何度も聞いた。
S級。
どれほど強いのか、少し期待していた。
でも。
「なんだ」
遼は呟いた。
「弱いんじゃん」
白石の顔が凍った。




