第一話 十年ぶりの空
「神代さん、そっちは何かありました?」
地下から声が響いた。
「壁画がある。かなり状態がいい」
神代遼はヘッドライトの角度を調整しながら、目の前の石壁へ顔を近づけた。
地下二十七メートル。
長野県北部で三か月前に発見された地下遺跡の最深部で、遼たち調査班は朝から発掘作業を続けていた。
発見当初は小規模な祭祀施設だと考えられていたが、掘れば掘るほど地下構造が広がり、すでに当初の予想を大きく超えている。
「年代、分かります?」
「分かったら苦労しないよ。少なくとも、上で見つかった物とは違う」
「またそれですか」
「考古学者は、分からないものを分からないと言える立派な仕事なんだ」
「便利な仕事ですね」
「だろ?」
笑い声が返ってきた。
遼も笑いながら、壁についた土を刷毛で慎重に落としていく。
線が現れた。
人。
その隣に、大きな獣らしきもの。
さらにその上には、円。
「太陽……じゃないな」
円の中央に、亀裂のような線が入っている。
見たことのない意匠だった。
遼は腰からカメラを取り出し、何枚か角度を変えて撮影した。
「佐伯さん。これ、あとで――」
言葉が止まった。
低い音がした。
最初は、遠くで大型車でも走っているのかと思った。
だが違う。
音は地下からではない。
上からだった。
「……何だ?」
「神代さん?」
地面が揺れた。
天井から砂が落ちる。
「全員、壁から離れろ!」
叫んだ直後、激しい衝撃が遺跡全体を揺らした。
照明が消えた。
悲鳴が上がり、何かが崩れる音が暗闇の中で連続する。
遼は咄嗟に頭を庇い、その場へ伏せた。
「佐伯!」
「います!」
「他は!?」
「分かりません!」
ヘッドライトだけが暗闇を照らす。
地震。
そう思った。
だが揺れ方がおかしい。
長い。
それに、耳の奥へ直接響くような低い音が途切れない。
やがて揺れが弱まり、遼はゆっくり身体を起こした。
「怪我は?」
「大丈夫です!」
「他の連中を確認してくれ。俺は出口を見る」
通路を戻ろうとした。
その時だった。
目の前に、何かが浮かんだ。
【世界変革が開始されました】
「……は?」
青白い文字だった。
遼は瞬きをする。
消えない。
顔を横へ向けてもついてくる。
【適合処理を開始します】
【個体名:神代遼】
【適性を確認】
【職業を設定します】
【考古学者】
「何だこれ」
「神代さん?」
「佐伯。何か見えるか?」
「何って?」
「文字」
「文字?」
どうやら見えていないらしい。
頭でも打ったのか。
そう思った瞬間、再び揺れた。
「うわっ!」
今度は近い。
天井の一部が崩れ、さっきまで歩いてきた通路へ大量の土砂が流れ込んだ。
「走れ!」
全員が奥へ逃げた。
数秒後。
遼たちが地上へ戻るために使っていた唯一の通路は、完全に埋まった。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。
遼は返事をせず、まず携帯電話を取り出した。
圏外。
無線も繋がらない。
予備回線も駄目だった。
「救助を待ちましょう」
佐伯が言った。
「ああ」
それしかない。
地上には別の調査班がいる。
自分たちが地下にいることも把握している。
崩落が起きたなら、必ず救助が来る。
そう思っていた。
三日経った。
誰も来なかった。
五日目。
水が足りなくなった。
七日目。
最初の一人が死んだ。
そして十二日目。
遼は初めて、それを見た。
「何だよ……あれ」
崩落した通路とは反対側。
調査時には壁だった場所に、いつの間にか穴が開いていた。
そこから、何かが歩いてくる。
人間ほどの大きさ。
灰色の皮膚。
長い腕。
顔の半分を占めるほど大きな口。
手には、錆びた刃物のようなものを持っている。
「動物……?」
違う。
少なくとも遼が知る生物ではない。
それが遼を見た。
口が開く。
「ギィィィィ!」
走ってきた。
「逃げろ!」
全員が散った。
遼も走る。
だが、背後から足音が迫ってくる。
速い。
振り返った瞬間、刃物が飛んできた。
頭を下げる。
壁に刃が当たり、火花が散った。
「ふざけんな!」
手に持っていたピッケルを振った。
偶然だった。
先端が相手のこめかみに刺さる。
灰色の身体が倒れた。
動かない。
遼は荒い息を吐きながら、ピッケルを握っていた。
また目の前に文字が出た。
【グレイヴを討伐しました】
【経験値を獲得しました】
【レベルが上昇しました】
「……レベル?」
意味が分からなかった。
ゲームじゃあるまいし。
そう思った。
地下へ閉じ込められたのは、遼一人ではなかった。
最初は六人いた。
一年後には、二人になった。
二年後。
遼は一人になった。
それから先は、数える必要がなくなった。
十年後。
遼は暗い地下道を歩いていた。
右手には、刃の欠けた長剣。
左肩には、魔物の皮で作った鞄。
腰まで伸びた髪を後ろで束ね、伸びた髭は数日前に自分で切った。
正確な日付は分からない。
最初の数年は数えていた。
壁に一本ずつ線を刻んだ。
途中から、それもやめた。
腕時計は八年前に壊れた。
だから十年というのも、おそらくだ。
「右は駄目だな」
壁を見ながら呟く。
石の積み方が違う。
この先は祭祀区画ではない。
貯蔵施設か、墓所。
出口に繋がる構造ではない。
「左か」
誰も答えない。
もう何年も前からそうだった。
遼は左の通路へ入った。
途中、壁に文字が刻まれている。
十年前なら読めなかった。
今は読める。
『王の眠りを妨げる者、光へ至る資格なし』
「また王かよ」
ため息が出た。
この遺跡。
王が多すぎる。
七階層にも王がいた。
二十三階層にもいた。
四十一階層には三人いた。
全員、襲ってきた。
全員、倒した。
遼は壁の文字を指でなぞる。
字体を見る限り、今までとは年代が違う。
古い。
かなり古い。
「……光へ至る」
そこだけが気になった。
光。
この地下で、十年間一度も見ていないもの。
「まさかな」
歩いた。
巨大な扉があった。
高さは十メートルほど。
中央には、人の顔を模した奇妙な彫刻がある。
遼が近づくと、その目が開いた。
『資格なき者よ』
「はいはい」
『この先は、王の――』
「長い?」
『……何?』
「話。長いなら先に飯食っていい?」
『貴様、王の御前で――』
「やっぱり長いか」
鞄を下ろそうとした。
轟音。
扉が開いた。
「お」
巨大な影が現れた。
三つの頭。
六本の腕。
全身を黒い鎧で覆った巨人。
頭上に、赤い文字が浮かぶ。
【深淵王ヴァルグレイド】
その下に数字が並んでいた。
遼にはよく分からない。
昔から出る。
名前は便利だ。
数字は使い方が分からないので放置している。
『矮小なる人よ』
「はい」
『我はこの地の最後の守護者』
「最後?」
遼の顔が変わった。
『我を越えし者のみが、天へ至る門を――』
「それ、出口?」
『……』
「外に出られる?」
『我を越えることができればな』
遼は剣を抜いた。
『愚かな』
六本の腕が広がる。
巨大な魔法陣が床を覆った。
『我は千年を生きる深淵の王。貴様ごとき人間が――』
「十年」
『何?』
「十年探した」
遼は剣を構えた。
これだけは、もう待てなかった。
「そこをどけ」
轟音が地下を揺らした。
どれほど戦ったのか。
分からない。
気づけば、深淵王の身体は地面へ倒れていた。
【深淵王ヴァルグレイドを討伐しました】
【経験値を獲得しました】
【レベルが上昇しました】
【称号〈深淵踏破者〉を獲得しました】
【第零遺跡を完全踏破しました】
文字が大量に流れた。
「後でいい」
遼は全部消した。
そんなことより、奥に階段があった。
上へ続いている。
走った。
一段。
二段。
三段。
途中で転んだ。
立ち上がる。
また走る。
長かった。
何段あったのか分からない。
やがて、前方に白いものが見えた。
遼は止まった。
忘れていた。
こんな色だっただろうか。
もう、よく覚えていない。
ゆっくり歩いた。
光が近づく。
眩しい。
目を細める。
最後の階段を上った。
風が頬に触れた。
遼は顔を上げた。
空だった。
「……ああ」
声が出なかった。
青い。
ただ、青かった。
遼はその場へ座った。
土に手をつく。
草がある。
風がある。
雲が動いている。
鳥まで飛んでいる。
「帰って……」
喉が詰まった。
「帰ってきた」
十年。
長かった。
本当に長かった。
遼はしばらく空を見ていた。
「動くな!」
声がした。
「……え?」
振り返る。
人がいた。
一人。
二人。
十人以上。
奇妙な装備を身につけている。
剣。
銃。
杖。
見たことのない防具。
さらに空には、小さな機械が何十機も浮かんでいた。
「人……」
遼が立ち上がる。
全員が一歩下がった。
「待って」
「動くな!」
「いや、待ってくれ」
遼は両手を上げた。
「日本人?」
誰も答えない。
「ここ、日本?」
「……そうだ」
「よかった……」
力が抜けた。
「本当に……」
笑った。
「帰ってきた」
一人の若い男が、震える声で聞いた。
「あんた……」
「はい?」
「どこから出てきた?」
遼は振り返った。
巨大な石門。
見覚えがある。
さっき通ってきた。
「あそこですけど」
「……第零遺跡から?」
「名前変わったんですか?」
「名前?」
「俺が入った時は、北部第三遺跡って呼んでました」
ざわめきが広がった。
何人かが何かを叫んでいる。
空を飛ぶ機械が、一斉に遼へ向いた。
「いつ入った?」
「いつ……」
遼は考える。
「十年くらい前」
静かになった。
「十年?」
「たぶん」
「そんな馬鹿な」
「いや、俺も正確には――」
「第零遺跡が出現したのは十年前だぞ」
「出現?」
話が噛み合わない。
遼は眉を寄せた。
「あなたたちは?」
「探索者だ」
「探索者?」
「……まさか知らないのか?」
「何を?」
全員が黙った。
遼も困った。
若い男が恐る恐る聞く。
「中の、どこにいたんだ?」
「どこ?」
「何階層だ」
「階層……」
遼は考えた。
階段を何度も下りた。
途中から数えるのをやめた。
「一番下」
「……は?」
「最下層です」
誰も動かなかった。
男が首を横へ振る。
「あり得ない」
「何で?」
「第零遺跡は」
男の声が震えた。
「人類最高到達地点が、第十二階層だ」
「……十二?」
「ああ」
遼は後ろを見た。
石門を見る。
それから男を見る。
「十二階って」
記憶を辿る。
確か、あの辺りは。
「入口じゃないか」
誰も、何も言わなかった。
その瞬間。
世界中で配信されていた〈第零遺跡攻略生放送〉のコメント欄が。
壊れた。
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