第十七話 最低です
「私が言います」
遼が振り返った。
倉庫の入口に水城が立っていた。
その後ろから、警察官と武装した探索者たちが次々に入ってくる。
「水城さん」
「神代さん」
「どうしてここが?」
「あなたが持ち出した端末です」
「これ?」
遼はポケットに入れていた、解放同盟から送られてきたスマートフォンを見る。
「監視記録を確認したあと、警察に位置情報を追ってもらいました」
「追えたんですか?」
「途中から移動速度がおかしすぎて、追いつけませんでしたけど」
「じゃあ、何で今いるんです?」
「あなたがここで止まったからです。位置が固定されたので、そこからは車両と探索者をまとめて急行させました」
「ああ」
「『ああ』じゃありません」
声が低い。
怒っている。
遼にはすぐ分かった。
水城は倉庫の中を見回した。
割れた窓。
久我一家。
佐伯。
その周囲にいる二十人以上の解放同盟。
最後に遼を見る。
「勝手に来ましたね」
「……はい」
「能力も使った」
「はい」
「警察を待つって話も無視しました」
「はい」
「私との約束は?」
「殺してません」
「そういう問題じゃありません」
遼は少し困った顔をした。
「でも久我さんたちは見つけましたよ」
「それは偉いです」
「じゃあ」
「それとこれは別です」
即答だった。
佐伯が小さく笑う。
「面白い方ですね」
水城が佐伯を見る。
「あなたは黙っててください」
「……」
今度は佐伯の顔が止まった。
遼は思わず水城を見る。
「強いな」
「何がです?」
「いや、普通に言うなと思って」
「言いますよ」
水城はもう一度倉庫を見回した。
「久我さん」
「はい」
「奥様と娘さんを連れて、こちらへ来てください」
久我が頷き、妻と娘を連れて動こうとする。
その瞬間だった。
「それは困ります」
佐伯が言った。
倉庫の空気が変わる。
解放同盟の人間たちが一斉に動いた。
久我一家と入口の間へ数人が立ち、残りは警察と武装探索者の前へ散る。
水城の眉が寄った。
「退いてください」
「できません」
「人質を解放する気は?」
「神代様のご意思には従います」
「なら神代さんが帰せって言ってるでしょう」
「神代様はお優しい」
「……」
「ゆえに、我々が代わりに判断します」
水城が遼を見る。
「これ、ずっとこんな感じだったんですか?」
「はい」
「面倒ですね」
「ですよね」
「そこで意気投合しないでいただけますか」
佐伯の笑顔が僅かに引きつった。
「我々は、神代様の自由を守っています」
「人を攫って?」
「必要な犠牲です」
「本人がやめろと言ってるのに?」
「神代様にはできないことを、我々がする」
「頼んでませんよ」
遼が言った。
「知っています」
「じゃあ、もう終わりでいいでしょう」
「いいえ」
佐伯が首を横へ振る。
「ここで我々が終われば、神代様は再び国や協会に利用される」
水城の後ろで警察官が一歩出た。
「全員、その場から動くな! 久我真人氏一家に対する監禁、誘拐容疑で――」
「〈遮音〉」
解放同盟の一人が手を上げた。
空気が僅かに歪み、警察官の声が途中で消える。
「〈煙界〉」
別の男が床へ手をついた。
黒い煙が一気に倉庫を覆った。
「来ます!」
武装探索者の声と同時に、複数の魔力が膨れ上がる。
「神代さん!」
「はい」
「久我さんたちを!」
「分かりました」
遼が動いた。
煙は関係ない。
誰がどこにいるのか、魔力で全部分かる。
右から剣。
半歩ずれる。
手首を掴み、武器だけを奪う。
「え――」
男の足を払い、床へ倒れる直前に襟を掴んだ。
頭を打たないように、ゆっくり寝かせる。
「一人」
背後から魔力が膨らむ。
「〈雷撃〉!」
青白い光が走った。
遼は振り返らず、身体を少し横へずらす。
雷撃は肩を掠め、そのまま壁へ突き刺さった。
「危ないな」
術者の懐へ入る。
腹へ拳を当てる。
殴らない。
押す。
「うっ!」
男の身体が数メートル飛び、積まれた木箱へ突っ込んだ。
「……これでも強いか」
加減が難しい。
正面から三人。
一人が盾。
一人が槍。
後ろに術者。
「〈鋼身〉!」
「〈重圧〉!」
身体へ一気に重さがかかる。
遼は首を傾げた。
「これ、地下にも似たのいたな」
そのまま歩く。
「なっ――」
盾ごと男を押し、横へどかす。
槍が飛んでくる。
遼は穂先を指で摘まんだ。
止まる。
「え?」
「危ないですよ」
少し捻る。
金属の槍が折れた。
「……ごめん」
遼自身が一番驚いた。
その横を、影が走る。
解放同盟の一人が水城へ短剣を振るった。
「水城さん!」
遼が動こうとした。
必要なかった。
水城の姿が一瞬だけぶれた。
次の瞬間。
「がっ!」
男が床に倒れていた。
短剣は水城の手にある。
「……え?」
遼が止まる。
「神代さん、前!」
「え?」
拳が飛んでくる。
遼は顔面で受けた。
殴った男の方が手を押さえる。
「いってぇ!」
「ごめん」
「何でお前が謝るんだよ!」
遼は男の襟を掴んで横へ投げた。
今度はちゃんと力を抜く。
男は床を滑り、仲間二人を巻き込んで止まった。
遼はもう一度、水城を見る。
「今の何?」
「後で!」
「速くなかった?」
「前見てください!」
「はい」
今度は左右から同時に攻撃が来る。
炎。
氷。
遼は間へ身体を滑り込ませた。
二つの攻撃が正面からぶつかり、蒸気が爆発する。
「うわっ!」
「自分たちで撃ってるじゃないですか」
蒸気の中から遼が出る。
術者二人の首筋を順番に軽く叩いた。
二人ともその場へ崩れる。
水城の方でも、また一人倒れていた。
遼は今度こそ見ていた。
水城が踏み込む。
速い。
普通の探索者の動きではない。
相手の剣が振り下ろされるより先に懐へ入り、肘を押さえ、身体を回して床へ倒す。
無駄がない。
しかも相手をほとんど傷つけていない。
「水城さん」
「何です?」
「絶対普通の職員じゃないでしょ」
「今それ聞きます?」
「気になる」
「後にしてください!」
「はい」
戦闘は長く続かなかった。
二十人以上いた解放同盟の人間が、一人、また一人と床へ倒れていく。
警察側の探索者も戦っている。
だが、遼の周囲だけは明らかに速度が違った。
拘束。
炎。
雷。
武器。
毒。
姿を消すスキルまであった。
それでも、第零遺跡で十年間相手にしてきたものと比べれば単純だった。
「そこ」
「なっ――」
姿を消した男の肩を掴む。
「何で分かる!?」
「魔力消えてないので」
床へ寝かせる。
最後の一人が拳を構えた。
「神代様!」
「はい」
「我々は、あなたのために!」
「だから」
遼は男の拳を避ける。
「それが嫌なんです」
腹へ軽く手を当てた。
男が崩れた。
倉庫が静かになる。
床には解放同盟の人間たちが倒れていた。
呻き声はある。
全員、生きている。
「……できた」
遼は少し安心した。
「一人も殺してない」
「褒めませんよ」
水城が言った。
「何で?」
「そもそも勝手に来なければ戦わなくて済んでます」
「厳しいな」
「当然です」
久我の妻が娘を抱いたまま、遼を見ていた。
娘は明らかに怯えている。
無理もない。
二十人以上の探索者をほとんど一人で倒したのに、遼は息一つ乱れていない。
久我だけは遼から目を逸らさなかった。
「……本当に」
「はい?」
「これが、あなたなんですね」
遼は少し考えた。
「俺もよく分かりません」
久我は返事をしなかった。
佐伯だけが立っていた。
戦闘には加わっていない。
倒れた仲間たちを見回し、なぜか満足そうに笑っている。
「素晴らしい」
遼の顔が曇った。
「何が?」
「やはり、我々は間違っていなかった」
「今、全員倒されたんですよ」
「だからです」
佐伯は両腕を広げた。
「これだけの人間が束になっても、あなたには届かない」
「……」
「誰にも止められない」
遼は佐伯を見る。
「だから何です?」
「だからこそ、あなたが正しい」
「またそれ?」
「力とは、それ自体が答えです」
「違う」
「では、なぜ我々は負けたのでしょう」
「俺の方が強かったから」
「同じことです」
「全然違う」
佐伯が笑う。
「黒崎剛志を助けなかった」
遼の表情が変わる。
「やめてください」
「第三十一迷宮の探索者も助けなかった」
「佐伯さん」
「それでも、あなたは悪くない」
「黙って」
「そして今日、我々を倒した」
「……」
「それも正しい」
「黙れって言ってるでしょう」
水城が二人を見る。
「佐伯さん、もうやめてください」
「なぜ?」
「神代さんを煽っています」
「私は事実を申し上げているだけです」
佐伯は遼だけを見る。
「あなたは正しい」
「違う」
「あなたは何も間違っていない」
「違うって」
「あなたが殺した仲間も」
遼の顔が止まった。
水城が遼を見る。
「……殺した?」
佐伯は止めなかった。
「あなたを殺そうとした。だから殺した」
「……」
「当然です」
遼の拳が握られる。
「正当防衛です」
「黙れ」
「あなたは正しい」
「佐伯さん、もうやめてください!」
水城の声が飛んだ。
「黙れ!」
床が揺れた。
倉庫の梁から埃が落ちる。
久我の娘が母親へしがみつく。
水城が一歩近づいた。
「神代さん」
「分かってます」
「一回離れてください」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃ――」
「俺は」
遼は佐伯を見る。
「自分が正しかったなんて、一度も言ってない」
「ですが正しかった」
「殺さなくてもよかったかもしれない」
「いいえ」
「逃げられたかもしれない」
「必要ありません」
「話せたかもしれない」
「あなたを殺そうとした人間です」
「だから!」
遼の声が響いた。
「お前が勝手に決めるな!」
佐伯は笑った。
「では、神代様が決めればいい」
「……」
「あなたが正しいと思うことが正しい」
「違う」
「あなたに逆らえる人間などいない」
「違う」
「あなたが怒れば皆が黙る」
「……」
「あなたが殺せば、それが正義になる」
遼の中で、何かが切れた。
「神代さん!」
水城の声が聞こえた。
遼はもう動いていた。
一歩。
佐伯の目の前。
右拳を引く。
水城との約束。
殺さない。
頭にはあった。
それでも拳は止まらなかった。
佐伯は逃げない。
むしろ笑った。
「そうです」
遼の拳が放たれる。
「それこそが――」
「神代さん!!」
水城の声。
次の瞬間。
遼の右腕に、横から衝撃が走った。
「……え?」
拳の軌道が数センチずれた。
佐伯の頬の横を通過する。
轟音。
背後の倉庫の壁が吹き飛んだ。
数十メートル先まで瓦礫が飛び、夜の山へ粉塵が舞い上がる。
遼は拳を突き出したまま動かなかった。
佐伯の頬から、一筋だけ血が流れる。
殺していない。
遼はゆっくり横を見る。
そこに水城がいた。
いつ移動したのか分からなかった。
水城は右腕を押さえている。
指先が震えていた。
「水城さん」
「……はい」
「今」
遼は自分の拳を見る。
「何した?」
「逸らしました」
「俺の?」
「はい」
「……どうやって?」
水城は小さく息を吐いた。
「〈迅雷〉」
「じんらい?」
「私のスキルです」
遼は水城を見る。
「水城さん、何者?」
「日本探索者協会職員です」
「それは知ってる」
「ならいいでしょう」
「よくないですよ」
遼は吹き飛んだ壁を見る。
また水城を見る。
「今の、普通じゃないでしょう」
「……」
「俺の腕、動かしたよね?」
「数センチだけです」
「それでも」
水城は諦めたように息を吐いた。
「協会内部の対人戦闘評価では、S級相当です」
遼が止まる。
「……S級?」
「対人戦だけです。それも非公式」
「何で?」
「私はダンジョン攻略に向いてないので」
「今ので?」
「大型魔物を倒し切る火力がありません」
「俺の拳逸らしたのに?」
「人間は小さいので」
「……」
遼は少し考えた。
「何か納得いかない」
「あとにしてください」
水城は震える右腕を押さえ直した。
「勘違いしないでくださいね」
「何を?」
「あなたを止めたわけじゃありません」
水城は吹き飛んだ壁を見る。
「逸らしただけです」
遼は黙った。
佐伯も、初めて笑っていなかった。
水城が遼を見る。
「それより」
「はい」
「今、何しようとしました?」
「……」
「佐伯さんを殺すところでしたよね」
「でも、こいつは――」
「知ってます」
「久我さんたちを攫って」
「知ってます」
「俺の名前まで使って」
「それも知ってます」
「だったら――」
「神代さん」
水城の声が低くなった。
「相手が悪人なら、殺していいんですか?」
遼の口が止まった。
聞いたことのある理屈だった。
誰よりも、自分自身が使ったことのある言葉だった。
酒場。
自分を殴った男。
痛くなかったら殴っていいんですか。
この人が弱かったら俺が殴ってもいいんですか。
今度は自分が、同じ場所に立っていた。
水城は続ける。
「久我さんたちを助けたことは偉いです」
「……はい」
「解放同盟を止めたことも間違ってない」
「はい」
「でも」
水城は遼を真っ直ぐ見た。
「今のは最低です」
遼は目を瞬いた。
「……最低?」
「はい」
「俺が?」
「はい」
「結構はっきり言いますね」
「言いますよ」
佐伯が口元の血を拭った。
「結局」
水城がそちらを見る。
「まだ喋るんですか?」
「一つだけ」
佐伯は水城を見る。
「あなたも力があるから言えるのでしょう」
「……」
「S級相当の力がある。だから神代様へ逆らえる」
水城は首を横へ振った。
「違います」
「何が?」
「怖いですよ」
遼が水城を見る。
「怖いの?」
「怖いです」
「俺が?」
「今、倉庫の壁を消し飛ばした人に聞かれたくないです」
「……」
「それに」
水城は痺れた右腕を見る。
「今ので分かりました。真正面からやったら勝てません」
「じゃあ何で」
遼が聞く。
「そこまで言えるんです?」
水城は少しだけ眉を寄せた。
「怖いのと」
遼を見る。
「あなたが間違ってることは、別です」
遼は何も言えなかった。




