第六話 クロッセの暴紋 三
ダグが膝をついていた。
坑道に沈黙が落ちた。松明の明かりだけが揺れている。誰も動かず、声も出なかった。
フィロは驚きかすれた声で言った
「ありえない……蝕紋体は……紋を使いすぎた代償は不可逆のはず……」
「お父さん……? 本当に……?」
「俺は……一体」
ダグは自分の手を見た。黒いあざが薄くなっている。人間の手だった。
「俺は……何を……」
「驚いているところ悪いんだが」
三人がレンゾを見る。
「全員に約束してほしいことがある。一つ、この能力について深く聞かないでほしい。二つ、誰にも言わないでほしい」
一拍置いて続けた。
「これだけ守ってくれれば、俺はお前らに何もしない」
「な……何もしないって何だよ。もし破ったら――」
レンゾが笑った。悪い顔で。剣に手をかけるふりをした。
「そりゃあ――」
「ひいい!」
フィロが飛び退いた。
その横で、カリナがダグに抱きついた。
「お父さん……お父さん……!」
声にならない嗚咽だった。三ヶ月分が一度に溢れ出すような泣き方だった。ダグはカリナをそっと抱きしめ、大きな手がカリナの背中をゆっくりと撫でる。しばらくそのままでいた。やがてゆっくりと、カリナを離した。
「レンゾさんだよ!」
カリナが顔を上げた。
涙をぬぐって、嬉しそうにダグに言った。
「レンゾさんが父さんを戻してくれたの! これって奇跡だよね、蝕紋体になった人が元に戻るなんて聞いたことないし!」
――奇跡。そんなもんじゃない。紋の代償は絶対に不可逆って……子供でも知ってる。
フィロはぼんやりと二人を見ながら思った。
「レンゾさん」
ダグが顔を上げた。
「俺は……取り返しのつかないことを。元に戻してもらったことは感謝します。しかし――このまま騎士団の元へ――」
「行って、なんて言うんだ――元暴紋です、と?」
「でも俺は――」
「お前のおかげで全員助かったんだろ」
ダグが口を閉じた。
「人を殺したわけでもない。むしろ逆だ。騎士団に行って何になる、信じてもらえるとも思えないし、俺との約束にも反している」
「しかし――私はどうしたら」
誰も答えなかった。坑道の中に沈黙が落ちる。松明の明かりが揺れていた。
ダグはゆっくりと周囲を見回した。坑道の壁に、黒いあざの痕跡が残っている。自分がここにいた証だった。三ヶ月。ここで何を考え、何を失い、何を壊したか。壁の染みが、全部覚えているような気がした。
「カリナ。お前は……なんでまだここにいるんだ」
カリナは少し目を伏せた。
「区切りをつけたかったから……父さんを……このままにしておけなかった。倒すにしても、倒されるにしても、ちゃんと決着をつけないと前に進めない気がして」
長い沈黙だった。
「……俺のせいだ。お前がここに留まっていたのは、俺のせいだ」
「違う、私が――」
「違わない」
ダグはカリナを見た。
「お前は集落を守ろうとしてくれていた。俺が情けないせいで、お前に余計な荷物を背負わせた」
カリナが口を開きかけた。ダグが続ける。
「なあカリナ。お前はここで何年生きるつもりだ」
カリナは答えられなかった。
「ここはもう終わった場所だ。住民も散り散りになり、鉱山も使えない。俺がそうさせた」
「父さん――」
「俺のせいでここに留まらせてごめん」
ダグはカリナの頭に手を置いた。
「好きなように生きてくれ」
カリナの目から涙がこぼれた。
しばらく誰も動かなかった。松明が小さく爆ぜ、風もないのに炎が揺れ、坑道の影が伸び縮みする。フィロは何も言えなかった。言えるような言葉が、どこにもなかった。
しばらくして、カリナは顔を上げた。目が赤かった。それでも、さっきより表情が軽くなっている。レンゾを見た。
「レンゾさん」
「ん」
「あなたについていっていいですか」
フィロが目を丸くした。
「蝕紋体を元に戻せるなら、まだ助けられる人が沢山いるはずです。お父さんのように――」
レンゾは少し考えた。ダグがレンゾを見る。
「カリナを……頼みます」
レンゾは特に何も言わず、ただ小さく頷いた。
「荷物にはなるなよ」
「なりません」
「戦えるか」
「防御しかできませんが」
「十分だ」
フィロが割り込んだ。
「私も――」
言いかけて、止まった。弱紋居住区の顔が浮かんだ。朝から動き回っている住民たち。路地で声をかけてくれる老婆。駆け寄ってくる子供たち。
レンゾがちらりとフィロを見て、それから視線を戻す。
「一旦紋理帝国に戻るか」
「そうですね。私が張った依頼も剥がさないといけませんし」
三人は坑道を後にした。カリナは最後にもう一度だけ、ダグの方を振り返った。




