第四話 クロッセの暴紋 一
クロッセは小さな集落だった。
鉱山への街道沿いに家が数軒並んでいるだけで、市場も酒場もない。人の気配が薄く、歩いても歩いても静かなままだった。風が吹くと、どこかの家の扉がきしむ音がした。
「ついて来なくてよかったんだが」
「それは……そうなんだが」
フィロは歩きながら、横目でレンゾを見た。
――こいつ、弱紋居住区に来た時に二百ルーク持ってたんだよな。基礎紋だけど本当は強くて、こうやって金を稼いでるのかもしれない。
フィロは手をもみながら、できる限り愛想よく言った。
「もし私が討伐に一役買ったら……分け前とかって……」
「人がいたぞ」
集落の入り口に、人影があった。赤い癖毛のセミロング。若い女性で、こちらに気づくと顔を輝かせて駆け寄ってきた。腕に見える紋は構成紋だ。幾重にも重なった六角形が連鎖している。
「あんたもしかして依頼受けてくれたの?!」
「あぁそうだ。暴紋が出てるらしいな」
「えっと、何人で来てくれたの?」
女性がちらりとフィロを見た。レンゾも同じ方向を見た。
「一人……いや、二人かな?」
女性は一瞬だけ表情を曇らせた。すぐに笑顔で覆う。
「あはは……そっか。でも来てくれてありがとう!」
「心配するな。俺は一人で十分だ」
「わ……私も手伝うぞ」
フィロが小声で言った。
「うん……まぁ暴紋の依頼を受けてくれてるんだし、自信はあるんだろうけど――」
「分かってる。倒さないと証明できないだろう。案内してくれ」
「ちょちょっと待って! 色々聞いてからにしなって!」
女性はレンゾの前に回り込んだ。
◇◇◇
集落の外れに廃屋があった。かつては誰かが住んでいたらしいが、今は窓が割れて草が生えている。その縁側に腰を下ろして、女性は話し始めた。
名前はカリナといった。
「私はここで生まれて、ここで育った」
カリナはクロッセを見渡した。静かな集落だった。今は静かすぎるが、かつては違ったのだろう。
「鉱山の町でね。大きくはなかったけど、みんな顔見知りで、それなりに賑やかだった」
三ヶ月前のことだとカリナは言った。鉱山で落盤が起きた。坑道の奥深くに、十数人が閉じ込められた。救助が来るまで数日かかる見通しで、食料も水も限られている。出口は塞がれていた。
「最初は協力してたんだ。出口を掘ろうとしたり、水を分け合ったり。でも二日目になると……」
カリナは少し間を置いた。
「争いが起きた。食料の取り合いで。紋を使って、お互いを傷つけて」
閉じ込められたまま消耗していく中で、紋の力に飲まれる者が出始めた。黒いあざが広がっていく仲間を見て、恐怖が広がった。
「四日目の朝、出口に光が差し込んだ。誰かが内側から岩を動かしてくれてたんだ。それで全員外に出られた」
全員が脱出した。しかし出口の前に、一人だけ出てこない者がいた。
「戻ろうとしたら……もう、駄目だった」
坑道の中から轟音が響いた。救助に来た騎士団が中を確認すると、暴紋が一体いるだけだった。
「みんな散り散りになっちゃった」
声は穏やかだった。穏やかすぎて、かえって重かった。
「仕方ないよ、怖いんだから。でも私は……」
カリナは鉱山の方向を見た。
「あれを倒さないと、区切りがつかなくて。ここを離れられなくて」
風が吹いた。廃屋の扉がきしんだ。フィロは何か言おうとして、やめた。レンゾはカリナを見ていた。
カリナははっと顔を上げ、こぼれかけた涙を手の甲でぬぐった。
「ごめんごめん! どうもでいいよねこんなこと。聞きたいのは暴紋の能力とか弱点だよね!」
一度息を吸って、気持ちを切り替えるように続けた。
「えっと……暴紋になっちゃった人の名前はダグで――」
少しだけ、声が揺れた。、
「紋は構成紋で……角張った多角形が組み合わさった構造で、元々は五十センチくらいまでの岩や土を操るくらいだったんだけど、蝕紋体になってからは出力が上がって人の背丈を軽く超えるくらいの岩も操れるようになってる。弱点は……正直分からない。全身を操ってる岩で覆ってて、攻撃がほとんど通らないの」
フィロが青ざめた顔で聞いた。
「全身が岩で覆われてるって……」
「全く問題ない。むしろ得意な部類だ」
フィロとカリナが同時にレンゾを見た。
「え……」
「貴方、紋は基礎紋よね? 身体強化やシンプルな攻撃とは相性悪いと思うんだけど……」
「大丈夫だ、心配するな。そろそろ案内してほしい」
レンゾの袖をフィロが引いた。
「なんでそんなにせかすんだよ、もっと作戦立ててからでいいだろ! 相手は暴紋だぞ!」
カリナが立ち上がった。
「分かりました。でも、安心して。私も行くから」
手を前に出すと、ハチの巣状に広がる六角形の連鎖が淡く光り、半透明のバリアが展開された。
「これでダグの岩も多少防げるから! 今まで三人に依頼を受けてもらって失敗しちゃったけど、みんな命は助かってる。二人の命も守るから!」
◇◇◇
鉱山への道は集落の北側から続いていた。舗装されていない砂利道で、両脇に低い草が生えている。かつては毎日鉱夫たちが行き来していたのだろうが、今は雑草が道の真ん中まで侵食していた。
三人は並んで歩いた。しばらく無言だった。口を開いたのはフィロだった。
「カリナ、さっき言ってた三人ってどんな人たちだったの」
「最初に来たのは騎士団の隊員で二人組だった。坑道に入ってすぐ岩が飛んできて、私のバリアで防いだけど……二人とも吹き飛ばされて。命は助かったけど、そのまま帰っちゃった」
「そりゃそうだ」
「次は一人で来た人で、構成紋の使い手だったんだけど……攻撃が岩に全部弾かれて、それでも粘ってたんだけど最終的に逃げた」
「賢明だ」
フィロはレンゾをちらりと見た。
「攻撃が通らないって本当に厄介だよな……なあレンゾ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だ」
「根拠は?」
「やってみれば分かる」
「それは根拠じゃない!」
カリナが少し笑った。
「……ねえ、二人はどういう関係なの?」
「知り合い、昨日会ったばっかり」
カリナはレンゾを見て、フィロを見た。
「……昨日?」
「そう。こいつが旅してるから私が案内してやってる」
「頼んでない」
「頼まれてなくてもしてやってる」
カリナはまた少し笑った。
鉱山の入り口が見えてきた。笑いが消えた。
木造の枠組みが立っており、坑道の口が黒く口を開けている。入り口の周囲には岩が散乱しており、かつてあったであろう設備の残骸が転がっていた。空気が変わった。湿った土と、何か別のものが混じった匂いがした。
カリナの足が少し遅くなった。フィロも口を閉じた。
坑道の奥から、低い音が聞こえた。地面が微かに揺れている。何かが動いている音だった。
「……ここから先は暗くなる」
カリナの声が少し低くなっていた。
「入り口近くはまだ光が届くけど、奥に行くと――」
言葉が途切れた。坑道の奥から、岩が転がってきた。人の頭ほどの大きさだった。カリナがとっさにバリアを展開する。岩がバリアに当たって弾け、砕けた破片が周囲に散った。
奥が、動いた。
暗闇の中に、黒いものが見えた。巨大だった。天井すれすれの高さがある。全身が黒いあざに覆われており、両腕が地面を引きずるほど長く肥大化している。顔の右半分だけ、人間の頃の面影がかろうじて残っていた。左半分は完全に崩れて黒い塊になっている。
ダグだった。
ダグの目が――右側の、まだ人間の形をした目が、入り口の方を向いた。




