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第二話 紋闘場

 紋闘場の前に出ると、遠くから歓声が聞こえた。


 円形の建物は街の中でも一際大きく、外壁には騎士団の紋章が刻まれている。入り口には人が列をなしており、中から漏れ出す熱気が通りにまで届いていた。


「賑わってるな。騎士団の試験があるのか?」


「いや、ないから賑わってるんだ」

 フィロは歩きながら答えた。


「元々騎士団の試験用に建てられたけど、使う頻度が少なくて勿体ないから、ほとんど賭け試合場になってる」


「なるほど」

「面白いでしょ」

「それで、何をしに来たんだ」


 フィロは足を止めて、レンゾを見上げた。


「決まってるだろ! 賭けだよ!」

 両手を広げて声を弾ませる。


「いつもはコソコソ来て見てるだけなんだけど、今日は違うぞ! 大金を持ってるし! 賭ける!」


「……弱紋居住区のみんなのために使うと思っていたが。そうか、返せ」


 フィロが慌てた。

「い、いや全部は賭けねえよ! 今日は無茶苦茶硬い試合があるんだ! 絶対勝てる! そんな日に大金が舞い込んできた! これは運命だよ!」


 レンゾは何も言わず、ただ呆れた顔をした。


◇◇◇


 入場して席を確保すると、フィロは懐から一枚の紙を引っ張り出した。

 西部劇の指名手配書のような造りだった。顔の絵が大きく描かれており、左下に小さく紋の形が添えられている。二枚並べてレンゾに押しつけた。


 一枚目。傷だらけの顔の男。顎が張っており、目つきが鋭い。貫禄という言葉がそのまま人間になったような顔だった。左下の紋は放射状に広がる複雑な構造をしている。名前の欄に「ガルド=ハーツ」とある。


 二枚目。細面の若い男。線が細く、どこか焦点の合っていない目をしている。戦いに来た顔には見えない。左下の紋は同心円が複数重なった構造だ。名前の欄に「ソレ」とある。


「見ろよこれ!」

 フィロが身を乗り出した。


「勝率八割越えのガルドと初試合が組まれてるんだぜ! しかもオッズも拮抗してるんだ! 意味不明だろ! これは私に儲けろっていう神様からのお恵みだよ!」


 レンゾはしばらく二枚の紙を見ていた。

「ちょっとは怪しいと思わないのか」


「え?」

「オッズの動き方を見ていたが、ガルドにずっと傾いて、ソレのオッズが高くなったらソレに賭けて均衡にしてる奴がいる」


「それが何だって――」

「仕組まれてるよ。強者と初試合の人間が当たってるのもおかしいし、八百長の可能性もある」


 フィロは鼻で笑った。

「それはねえよ。ガルドは紋闘場で一番人気なんだぜ。ガルドに八百長させたら紋闘場は終わりだよ!」


 そのまま立ち上がって受付に向かう。窓口の前で元気よく言った。

「ガルドに五十ルーク!」


 レンゾは遠くからそれを眺めて、もう一度呆れた顔をした。


◇◇◇


 試合開始まで時間があった。場内はすでに熱気に満ちており、観客席は埋まってあちこちで賭けの話をしている。売り子が酒と串焼きを売り歩いていた。


 フィロが戻ってきて隣に座り、串焼きを二本差し出した。

「買ってきた」


「金を賭けた後に使うのか」

「腹が減ったら賭けに集中できない」

 レンゾは受け取った。


 場内のざわめきが一段大きくなった。闘技場の入り口から、ガルド=ハーツが姿を現す。歓声が上がった。


 実際に見ると、紙の絵より迫力があった。肩幅が広く、歩くだけで地面を踏みつけているような重さがある。傷だらけの顔に表情はないが、それが逆に場慣れした余裕を感じさせた。観客席に向かって軽く手を上げると、歓声がさらに大きくなった。


「あれよ」


フィロが嬉しそうに言った。

「あれが勝つんだよ」


 続いて反対側の入り口から、ソレが現れた。歓声は小さかった。代わりにざわめきがあった。


 細い。それが最初の印象だった。ガルドと並べたら半分ほどの体積しかなさそうだ。試合前だというのに表情がなく、闘技場の中を眺めているのか、あるいは何も見ていないのか判断がつかない目をしている。


「なんかひょろいな」「大丈夫かよあれ」「ガルドの一発で終わりだろ」


 観客席のあちこちから似たような声が聞こえた。フィロは勝ち誇った顔でレンゾを見た。

「ほら見ろ、誰がどう見てもガルドの勝ちだろ」


 レンゾはソレを見ていた。ソレは特に何もしていない。ただ立っている。それだけだ。ただ、その立ち方が、どこか妙だとレンゾは思った。重心がどこにあるのかわからない。風が吹いても倒れなさそうで、同時にどこへでも動けそうな立ち方だった。



 審判が中央に立った。

「試合、始め!」



 ガルドが動いた。


 速かった。体格からは想像できない踏み込みで、一気に間合いを詰める。右腕を振り上げ、拳を叩きつける――その瞬間、腕に刻まれた構成紋が光った。


 衝撃が広がった。音が遅れて届いた。ドン、という鈍い破裂音が場内に響く。観客がどよめいた。砂埃が舞い上がり、地面に亀裂が走っていた。


 ソレは――いなかった。


 正確には、後方にいた。距離にして十メートル。一瞬前までそこにいたはずの体が、気づけば遠くに立っていた。飛んだのでも走ったのでもない。引っ張られたように、滑らかに。


「――は?」

 フィロが声を上げた。


 ガルドが振り返り、構えを取り直して今度は左から打つ。紋が再び光る。衝撃波が扇状に広がった。


 ソレの胸元の紋が光った。


 衝撃波が、止まった。空中で減速し、霧散する。観客席が静まり返った。

「何をした」観客席のどこかから声が上がった。


 ソレは答えなかった。ただ立っている。重心がどこにあるのか分からない立ち方で。


 ガルドが吼えた。今まで以上の踏み込みで距離を詰め、連続で打つ。右、左、右。衝撃波が連続して放たれ、地面が次々と抉れていく。


 ソレが片手を上げた。


 衝撃波が軌道を変えた。ソレの手のひらに吸い込まれるように集まり、その場で霧散する。三発、四発、五発。ガルドが打つたびにソレの手が動き、衝撃波が吸収される。


「おい」「なんだあれ」「引き寄せてるのか?」


 フィロは串焼きを食べるのを忘れていた。


 ガルドの呼吸が変わった。荒くなっている。攻撃が当たらないどころか、届きすらしない。それでもガルドは止まらなかった。これだけの場数を踏んできた男が、ここで引くはずがなかった。


 観客が息を呑んだ。


 ガルドが低く構えた。紋が今まで見たことのない強さで光る。地面が揺れた。周囲の砂埃が吹き飛び、ガルドを中心に衝撃が渦を巻く。


 ガルドが踏み込んだ。闘技場の石畳が砕け、その一歩だけで亀裂が走る。全力で右腕を振り上げた。これまでより大きな衝撃波が、轟音と共に放たれた。


「……あれは」レンゾが呟いた。「全力だな」


 衝撃波がソレの手のひらの前で急速に収束した。圧縮されるように小さくなり、次の瞬間、向きが反転した。ガルドへ向かって、放たれた時より速く。

 ガルドの体が吹き飛んだ。地面を転がり、壁にぶつかる。砂埃が舞い上がり、場内が静まり返った。


 静寂があった。


 ガルドは立ち上がろうとした。足に力が入らない様子だった。膝をついたまま、顔だけを上げる。審判が間に入った。



「……試合終了! 勝者、ソレ!」



 一瞬の間があった。場内が爆発した。


「はーー!?」「なんで!? なんでソレが勝つんだ!?」「ガルドが負けた!?」


 観客席があちこちで立ち上がり、怒号と驚愕が入り混じった声が飛び交う。フィロは座ったまま動かなかった。串焼きが手から滑り落ちた。


「――あたしの」

フィロがぽつりと言った。

「あたしの五十ルークが」


 レンゾは闘技場の中を見ていた。ソレは勝利した後も表情を変えていなかった。歓声にも怒号にも反応せず、ただ出口の方向を向いて歩いている。その背中を、観客席の一角から数人の男が無言で目で追っていた。騎士団の制服を着ていた。


「……あたしの五十ルークが」


「怪しいと言っただろ」


「……五十ルークが」


「聞いてるか」


 フィロはしばらくそのまま座っていた。やがて、がくりとうなだれる。

「なんでソレが勝つんだよ…………」


 レンゾは観客席の騎士団員たちが静かに立ち上がり、出口へ向かうのを見ていた。ソレを追うように。

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