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第一話 紋と流れ者

 人は体のどこかに紋様が刻まれた状態で生まれてくる。

 円型で直径は六センチ。その構造によって三つに分類される。

 単層の単純な構造を持つ「基礎紋」、複数の層が重なり合う「構成紋」、そして構造そのものが破綻した「異常紋」。

 刻まれた紋の形は、その者が持つ力の輪郭を示す。



 天井が見えた。


 古びた木の梁が、低いところを横切っている。染みのついた布が梁から垂れ下がり、風もないのにわずかに揺れていた。どこかで誰かがうめいている。くぐもった、低い声だった。


 レンゾはゆっくりまばたきをした。体を起こすと、節々が鈍く痛んだ。周囲を見回す。


 大きな部屋だった。粗末な寝台が並んでおり、そのほとんどに人が横たわっている。難民らしき老人、包帯を巻いた男、青白い顔の女。部屋の隅では子供が膝を抱えて座っていた。病人と行き場のない者が押し込まれた、避難所のような場所だった。


 傍に金髪の少女がいた。隣の寝台の男に水を飲ませている。手慣れた動きだった。男が咳き込むと、少女は背中を軽く叩いてやり、何も言わずに次の患者へ視線を移した。


 レンゾが身じろぎすると、少女が気づいて振り返った。


「あ、起きた」

 少女はレンゾを一瞥して、特に驚いた様子もなく続けた。


「あんた、紋理帝国の近くで倒れてた難民でしょ。騎士団が拾ってきた」

 レンゾは答えなかった。少女は構わず話を続ける。


「構成紋か異常紋なら制紋要塞で看護して戦力になるか確かめる。基礎紋ならここに放り込む」

 顎でこの部屋を示した。


「あんたは基礎紋だから、ここに来た。それだけ」

 淡々とした説明だった。


「えーと」

「フィロ」

 少女は聞かれる前に答えた。


「レンゾだ。看護してくれてたのか。ありがとう」

 レンゾは立ち上がった。足元はしっかりしている。


「もうちょっと寝てても大丈夫だけど」

 フィロはもう別の患者の方を向いていた。


「難民なら仕事探した方がいいよ。ここに仕事は少ないけど」

「いや、俺は旅をしてる。紋を集めないと……」

「あーはいはい、よくいる冒険者ね」


 フィロは手を動かしながら言った。

「蝕紋体を狩って紋をパワーアップさせてると」

「まぁそんなところだ」


 レンゾはふと気づいて内ポケットに手を入れた。何もない。

「……俺の内ポケットに入れてた財布がなくなってるんだが」


「ここに放り込まれるとき騎士団に取られたんでしょ」

 フィロは平然と言った。視線は患者に向いたまま、額の汗を布で拭いてやっている。


 レンゾはフィロを見た。じっと見た。


 フィロは視線に気づいていないふりをした。隣の寝台に移り、老人の毛布を直し始める。毛布の端を丁寧に折り込み、隣の患者の様子を確認して、水差しを持ち直した。


 レンゾはまだ見ていた。


 フィロは次の患者へ向かおうとした。


 レンゾの視線はそこにあり続けた。


「……っ」

 フィロが我慢の限界を迎えた。


「治療費よ! 看護してあげたんだから当然でしょ!」

 声が部屋に響いた。数人が目を向けた。


「二百ルークはあったと思うが」

 レンゾは静かに言った。部屋がざわっとした。



一グラン=百ルーク=一万セル ※一セル≒四十円



「バ——っ、バカ! 大きな声で言うな!」

 フィロがレンゾに詰め寄った。声を潜め、周囲を素早く確認する。


「ここで二百ルークも持ってるなんてバレたら何されると思ってんの! ちゃんと安全な場所に置いてあるから安心して。治療費はちょっともらうけど」

 レンゾはフィロを見た。フィロは目を合わせなかった。


「ここの看護が終わったら返してあげる」

 それだけ言って、フィロはさっさと別の患者の元へ向かった。手際よく水を飲ませ、額を拭き、毛布を整える。次の患者へ移り、また同じことをする。無駄のない動きだった。


 レンゾは寝台に腰を下ろして、その様子をしばらく眺めた。


 やがてフィロが近づいてきた。声を潜めて言う。

「じゃあ起きて。ついてきて、財布返してあげる」


 弱紋居住区の路地は入り組んでいた。石畳の隙間から雑草が生えており、壁には染みと落書きが重なり合っている。洗濯物が頭上を横切り、どこかから食べ物を焼く匂いが漂ってくる

 フィロが歩き始めると、すぐに声をかけられた。


「フィロ、昨日はありがとうよ」

 老婆が言った。

「どうってことないです」


 角を曲がると、子供たちが駆け寄ってきた。フィロは立ち止まって頭を撫でてやり、何か短く言葉をかけて送り出した。また少し歩くと、男が頭を下げた。

「先週の件、助かった」

「気にしないで」


 路地を抜けるたびに誰かが声をかけてくる。フィロはそのたびに短く返しながら、足を止めずに歩き続けた。


 後ろをついていきながら、レンゾは言った。

「人気なんだな」

「まぁね」

 フィロの声は元気がなかった。


◇◇◇


 フィロの家は居住区の奥まった場所にあった。


 掘っ立て小屋と呼んで差し支えない造りだった。扉は建て付けが悪く、壁の板と板の間に指が入るほどの隙間がある。屋根の端が反り返っており、雨が降ればそこから水が落ちるのだろう。窓は一つだけで、ガラスの代わりに布が張られていた。それでも、小屋の前の地面だけは綺麗に掃かれていた。


 中に入ると、あちこちに物が積まれていた。拾ってきたらしい道具、布の切れ端、正体不明の袋。棚という棚に何かが詰め込まれており、床には荷物が山を作っている。足の踏み場は一応あるが、整頓とは無縁の空間だった。それでも、水差しだけは清潔な場所に置かれていた。


 フィロは迷いなく積み上げた荷物の隙間に手を突っ込み、財布を引っ張り出した。

「はい、これ」


 レンゾは受け取って中身を確認した。札を一枚ずつ数える。

「百五十ルークか」


 フィロは黙っていた。

「随分高い治療費だな。俺は大怪我をしてたのか」


 フィロは咳払いをした。

「見てわかると思うけど、ここは金を持ってない人がほとんどで。金を持ってる人自体少ないし、あんたみたいな大金を持ってる人はもっと稀……というか、初めてよ」


 少し間を置いて続けた。

「どういう金か知らないけど、ちょっとぐらい分けても――」

 言い終わる前に、レンゾが財布から百ルークを取り出してフィロに差し出した。

 フィロは固まった。

「……え」


「まぁ俺は……金は大丈夫だ。持ってると便利だから持ってるだけで」

 レンゾは財布をしまいながら言った。フィロは手の中の百ルークを見た。レンゾを見た。


 金に無頓着なのに金を持っている。二百ルークを持ち歩いて、五十取られても特に怒らず、さらに百渡す。冒険者にしては羽振りが良すぎる。


 ――こいつ、どっかの貴族様か?


 フィロの頭の中で何かが噛み合った。じわじわと、口の端が上がっていった。


「ねえ、紋理帝国、案内してあげようか」

「弱紋居住区の住民が帝国内を好きに歩いていいのか」

「それはあんたの金があるでしょ」

にっと笑って続けた。


「身なりを整えればいいのよ」

 その笑顔は、看護をしていた時のものとは少し違った。


 フィロは、しばらくごそごそと荷物を漁り、くたびれた上着と少しましな靴を引っ張り出した。レンゾも持っていた着替えの中でもっともましなものに袖を通した。


 二人並んで鏡代わりの水面を覗き込む。水面に映った二人は、どう見ても弱紋居住区の住民だった。


「……精一杯これか」フィロが言った。

「精一杯これだな」レンゾが言った。


 二人はこそこそと帝国の区画へ向かった。


◇◇◇


 紋理帝国の区画に入ると、空気が変わった。


 石畳は隙間なく敷かれており、建物の壁は白く塗られている。通りには商店が並び、荷物を抱えた市民が行き交っていた。騎士団の制服を着た隊員が二人、通りの角に立っている。弱紋居住区の路地とは別の世界だった。


 服屋は通りに面した明るい店で、ガラス張りの窓から色とりどりの服が見えた。


 扉を開けると、店員がすぐに気づいた。にこやかな笑顔が一瞬で固まり、早足でこちらへ向かってくる。


 フィロは店員が口を開く前に財布をがばっと広げた。


「なに!? 金はあるわよ!」

 店員の目が財布の中の百五十ルークに釘付けになった。笑顔が戻ってきた。


「……ごゆっくりどうぞ」


 フィロは解き放たれたように動き始めた。棚から服を引っ張り出し、広げて眺め、また戻し、別のものを手に取る。試着室に消えたかと思えばすぐ出てきて、また別の服を抱えて消える。その繰り返しだった。レンゾは入り口近くに立って、それを眺めていた。


 しばらくして、店の奥から声が上がった。年配の女性客が、棚から取り出した服をじっと見ている。


「何これ……変な臭いがするわ」


 顔をしかめて店員を呼ぼうとしている。周囲の客が振り返り始めた。レンゾはゆっくりその客に近づいた。


「あぁ、すまない。俺のせいだ」


 女性客がレンゾを見た。小汚い旅人の格好に、ぎょっとした顔になった。


「そ……そちらの服を?」

「試着した。全部買い取る」


 レンゾは財布から五十ルークを取り出して店員に差し出した。

「これで足りるか?」


 店員は札を確認して目を丸くした。

「え……えぇ、大丈夫ですよ。お釣りも出ます」


 試着室の中で、フィロは暗い顔をしていた。カーテン越しに一連のやり取りが全部聞こえていた。


 着替えを終えて出てくると、レンゾもすでに新しい服に袖を通していた。さっきまでとは別人のような清潔感がある。フィロも鏡を見た。悪くない。


「ごめん。私のせいで余計な金使わせた」

「気にするな。釣りもあった」

 本当に気にしていない顔だった。フィロはその顔を見て、何か言いかけてやめた。


「そういえば、案内してくれるって言ってたな。どこに連れて行ってくれるんだ」

 フィロは顔を上げた。さっきまでの暗さが消えた。


「あっそうだ。じゃあ行くよ。紋理帝国、一通り教えてあげる」


◇◇◇


 フィロは歩きながら説明した。


「まずここが帝国の中心部。でかい建物が見えるでしょ、あれが制紋要塞」


 石造りの巨大な要塞が通りの奥にそびえている。城壁には紋の紋様を模した装飾が刻まれており、門の前には武装した団員が立っていた。


「浄化の騎士団の本拠地。蝕紋体の討伐とか、無登録紋の取り締まりとかやってる。部隊ごとに紋の相性で組まれてるらしい」

「中には入れるのか」

「誰でも入れるよ。酒場や武具屋もあるし、掲示板に依頼も張ってある。たまにおいしい依頼もあるんだけど、ほとんどは蝕紋体を倒してっていう戦闘依頼ね」


 フィロは足を速めて要塞の前を通り過ぎた。


「次、あっちが紋闘場もんとうじょう


少し離れた場所に、円形の大きな建物があった。外壁は分厚い石造りで、上部には観客席のための窓が等間隔に並んでいる。中からは歓声のような音が遠く聞こえてくる。


「騎士団の入団試験とか階級の昇格試験をやる公式の闘技場。でも裏では賭け試合もやってる。庶民の娯楽でもあるし、裏社会の資金源でもある」

「お前は行くのか」

「……たまに」フィロは視線を逸らした。


「次、あっちが紋術研究所もんじゅつけんきゅうじょ


 白い壁の建物が通りに面して建っている。他の建物と比べて窓が少なく、入り口には国家機関を示す紋章が掲げられていた。人の出入りはほとんどなく、静かだった。


「紋の研究をする国の機関。成長の仕組みとか、能力の研究とか。表向きはそういうことをしてる」

「表向きは」

「異常紋の研究も極秘でやってるって噂がある。あくまで噂だけど」フィロは声を少し低くした。「あそこに呼ばれた人間が戻ってこなかったって話も聞くし、近づかない方がいい」


 レンゾは建物を見た。特に表情は変えなかった。


「最後、あっちが紋砦もんさい


 街の外れ、城壁に近い場所に要塞がある。制紋要塞より小さいが、物々しい雰囲気があった。土と火薬の混ざったような匂いが漂ってきた


「蝕紋体がよく出るエリアに構えた最前線の拠点。騎士団の精鋭が常駐してる。あっちの方向に行くと蝕紋体の出没エリアに近づくから、普通の人間は行かない」


 フィロは立ち止まって、レンゾを見た。

「だいたいこんな感じ。何か行きたい場所ある?」


 レンゾは少し考えた。

「紋術研究所」


 フィロがぎょっとした。

「いやいやあそこは軍の施設で一般人は入れないから!」

「そうか」

「そうかじゃなくて!」


フィロはレンゾの腕を掴んで反対方向に引っ張った。

「紋闘場行こう、紋闘場。面白いから」


 レンゾは引っ張られながら、一度だけ研究所の方向を振り返った。フィロはそれを見なかったふりをした。

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