霧と奪われた目玉
(霧から声がする! まさか、あの化け物が…!)
「心配するな。あの方は大丈夫だ」
佐祇璃さんはおいらを自分の背中から離し、昔馴染みと話すような穏やかな声で、霧に話しかけた。
「 霧女殿か」
「こんにちはぁ、佐祇璃様」
「こんにちは。今日は外に出ていらしたのだな」
「そうなの。最近ずっと調子が良くてね。きっともうすぐ霧に帰れるわぁ」
「それは良かった」
「えぇ。それで……」
霧の中から、じっと視線を感じる。それも、すぐ目の前で見られている、そんな気がして身を固くした。
姿は見えないのに、色々な角度から視線を浴びて、居た堪れなくなってきた所で視線が外れ、ホッと胸を撫で下ろす。
おいらは佐祇璃さんの背中から少し離れ、足元に転がってるキラキラ光る石を見つけた。
霧が出ているのに、どうしてあの石だけはよく見えるんだろう?
(禁足地は、変な動物だけじゃなくて、変な石まであるんだなぁ、持って帰りたい)
そう思い石を手に取った瞬間。
ーー視界が、一瞬にして真っ黒に染まる。
「え……?」
何も見えない。まるで、あの化け物の闇の中に戻ったみたいだ。
恐ろしくなり、慌てて佐祇璃さんにしがみつく。
何かが襲って来たのかと震えながら警戒したが、二人はさっきと変わらず呑気に話していた。
(おいらの目がおかしいだけ? そうか、きっとこの霧か、あの不思議な石のイタズラだ! きっとそうだ!)
だから大丈夫。
自分にそう言い聞かせ、おいらはぎゅっと目を閉じた。
「その子は迷子の子かしら?」
「えぇ。これから人の世に帰すところだ」
「ふぅん。帰しちゃうのね。せっかく■■■様が連れてきたのに、残念」
神様の名前だろうか。聞いた事のないその言葉は、おいらの耳には酷く耳障りで、あの壊れた鈴の音を思い出す。
「ねぇ佐祇璃様、■■■様は、まだこちら側に戻ってこられるかしら」
「……堕ちて日は浅い。霧女殿が霧となれる様に、このまま浄化されれば、あの方もいずれ自然にお還りなさる」
「うふふ、そうね。そうだといいわね」
それを聞いて満足したのか、彼女は再びどこかへ流れていくようだ。声が遠ざかり、気配が消えていくのが分かる。
「あっ、そうだわ。さっきこの辺に、あの悪趣味ジジイが歩いてたわよ。目を取られない様に気をつけてね」
「げ。あいつか……ありがとう、霧女殿。気をつける」
そして、彼女の気配は完全に消えた。
「さ、行くぞ」
「……うん」
「? 何だ。何故目を瞑っている」
佐祇璃さんに声をかけられた。
「霧女殿が恐ろしかったのか?」と問われ、固く目を閉じたまま、首を横にふる。
「それでは碌に歩けないだろう。ふざけていないで目をあけろ」
彼女は、大きな手で無理やりおいらのまぶたをこじ開けようとした。
尖った爪が顔に当たってチクチクと痛むけど、それどころじゃない。
とにかく隠さないと、という気持ちと何とかして欲しい気持ちがごちゃ混ぜになり、どう振る舞えば良いか分からなくなっていた。
おいらの必死の抵抗は、佐祇璃さんの物凄い力の前では通用せず、まぶたは簡単に開かれた。
「っ、お前それ……」
「あの、霧の中で光ってる石があったから、その……」
罪悪感と不安から、言い訳のような言葉が次々とこぼれ出す。
話すたび、瞼をこじ開けようとしていた佐祇璃さんの指が、そのままぐっと肌に食い込んでいく。そこから、彼女のうっすらとした怒りが伝わってきた。
「触ったのか」
顔からすっと手が離れ、彼女はどこかに歩いていく足音が聞こえる。
数歩ほど歩いた所で立ち止まったようで、音が止まり、次に布の擦れる音がした。
「これか。あの野郎、罠なんぞ仕掛けおった」
忌々しいーーと呟き、佐祇璃さんが再びこちらに戻ってくる。
「この石は、先ほど霧女殿が言っていた『悪趣味ジジイ』の物だ。触れば目や魂を取られる」
「そ、そんな!! じゃあおいらの目は……」
「もうワシの物じゃ!」
おいらの話を遮ったのは、年老いた様にしゃがれた男の人の声で、今は小馬鹿にしたように手を叩きながら、ヒヒヒ、と嫌な引き笑いをしている。
「まさか、こんな所に生きたガキが居るたぁねぇ。こりゃあ、久々に良いモンを盗めた」
「おいジジイ、ふざけるのも大概にしろよ。フラフラほっつき歩きやがって」
「おっと、番人の嬢ちゃんじゃないか。そのガキは餌かい?そうだったらスマンのう。ワシが目玉を盗っちまったぜ」
爺が腰の辺りで何か揺らした。竹筒がぶつかるようなカラカラとした音がする。
「この赤い包。ここにはなぁ、ワシの集めた目玉たちが動いとるんじゃ。ほれ。ギョロギョロ嬉しそうじゃろ?」
「……気色が悪い」
佐祇璃さんは、あからさまに嫌そうな声を出した。
おいら、見えなくてよかったな。
そう思っているけれど、頭の中で勝手に無数の目玉が蠢いている悍ましい光景を想像して、背筋が寒くなる。
「目玉くらい良いじゃろう?嬢ちゃん。お前さんは人間なんぞ喰わんでも『あの方』と妖力をーー」
爺が言いかけた瞬間、佐祇璃さんが小さく腕を振り、それからすぐに、ヒュンッ!と激しく風を切る音がした。
それからすぐ、ドゴォン!と爺が居るであろう場所のすぐ近く木に、重い物がめり込む衝撃音が響く。
佐祇璃さんが、おいらが触った光る石を思いっきり投げたんだろう。
「……チッ」
腹立たしげな彼女の舌打ちの後、爺の方から息を呑むわざとらしい呼吸音と、手で口を押さえた気配がした。
「おうおう、おっかねぇなぁ。頬が切れちまったよ。血は出てないかい?」
「やかましい。とっとと目を返せ」
「そりゃあ無理な話じゃ。もうここに入ったら、ワシの物じゃ。……あぁ、そうだ。この筒から逃げた『霊魂』を捕まえて来てくれるかい? そうしたら目玉は返してやろう」
「霊魂だと?」
「あぁ。ここの黒い方の筒に入れといたのに、開けた時に逃げちまってなぁ」
今度はその黒い筒を揺らしたのだろうか、中から微かにうめき声や、すすり泣き、何か動く音が聞こえてくる。
「あぁ、それか、もっと珍しい目と交換してやっても良い。例えば……嬢ちゃんのその綺麗な青い目とかな」
その言葉を聞いた途端、佐祇璃さんが一歩後ずさる。そして爺に聞こえないように、おいらの耳元でヒソヒソと話し始めた。
「なぁ、もう目は諦めて村に帰らないか?」
「えっ!! い、嫌だよ!」
「そもそも、お前がこんな怪しい石なんて触ったのが悪いんだろ」
「佐祇璃さんこそ、おいらに早く教えてくれなかったから!」
「なんだと? 人が話している時に勝手にフラフラ歩いて行ったのはどこのどいつだ」
「お、おいらは神様に連れて来られたんだ! もし目が無くなってたら、神様が驚くかもしれないぞ!」
「…………」
おいらが必死に言い訳をすると、佐祇璃さんは黙り込んでしまった。
「何だい? 話し合いは終わったか?」
爺が暇そうに筒を揺らしながら話しかけてくる。
そして佐祇璃さんが深いため息をひとつついた。
「探してやるよ、その霊魂。その代わり、こいつから奪った目玉そのものを、傷ひとつつけず、確実に両方ともこいつの目の中に戻せ。いいな」
「ったぁ〜、用心深いなぁ嬢ちゃん。まぁでも、あの霊魂を取り戻せたなら、こんな目玉要らねぇや」
「で? その霊魂はどんな物だ。火の玉か、人の形か、それとも……」
「人の形じゃ。いつぞやの乱世に漂っていたところを奪った物でな、緋色の目を持つ珍しい男じゃ」
「人間の男……そうか」
爺の口から、ギリッと歯軋りした音が聞こえる。逃げた霊魂の事を思い出しているのか、忌々しいと言いたげな雰囲気が伝わった。
「あの目はワシも欲しかった……が、どうしても盗れなんだ。霊魂に結びついとったのに、手を出せなかった。あぁ悔しい……」
ブツブツとそう言い残すと、爺の気配は煙のようにフッと消える。きっと立ち去ったのだろう。
「チッ。あの糞爺めが。おい、早く探しにいくぞ」
「う、うん」
相変わらず煩わしそうではあったが、再び握られた手は、暖かく優しい手だった。




