禁足地と鬼の番人
闇に呑まれ絶望の中にいたおいらは、己を守るように体を小さく丸めながら、いつくるとも分からない助けを待っていた。
生暖かい風はずっと背後から吹き続け、シャラン、シャランと耳障りな鈴の音がする。
きっとあいつが背後にいるのだろうーーおいらは半ば諦めて、そんなことばかり考えていた。
(一生このままこうしているのかな、それとも、あの化け物に喰われるのかな)
自然と肩が震える。これから何が起こるか分からない恐怖と、家族に二度と会えない悲しみが重く心にまとわりつく。
(母ちゃんの言う事を聞いていたら、こんな事にならなかったのに……)
鈴の音が嬉しそうにジャラジャラと鳴り続け、それが神経を更にすり減らしていった。
(もう、諦めよう)
心の中で家族に別れを告げ、瞳に絶望の影が落ちるのを感じながら、そっと静かに瞼を閉じる。
その時だった。
規則的に吹き続けていた生暖かい風は止み、やがて鈴の音も鳴り止んで、静かな闇へと戻る。
何事かと全ての神経を集中させて警戒したが、何も感じる事はできなかった。
(今度は何だろう? あいつは居なくなったのか?)
じっと様子を窺っていた、その時。
ハッカの爽やかな香りがふわりと辺りに漂い、ザッ、ザッと軽やかな足音が近づいてきた。
足音は、やがてゆったりとした音に変わり、ピタリとおいらの目の前で止まる。ハッカの匂いが濃くなり、緊張の糸を少しだけほぐしていく。
「おや、人の子が影に捕まっておる」
それは女の声であった。
涼しげな声色で、穏やかであるが、感情はあまり感じられない。
その女の手だろうか、闇の中からぬうっと手が伸びてくる。
血が通っていないかの様に青白く、女にしては大きいその手。
けれどそれは、まるで闇の中でも全て見えているかのように、的確においらの腕を掴んだ。
「うわあっ!!」
「騒ぐでない。見つかるぞ」
諭す様に声をかけられたと思った次の瞬間、勢いに任せて強引に引っ張り出される。
闇から眩い光の元に引きずり出され、もう何が何だか分からず、そのまま意識を手放した。
*
目を覚ますと、そこは見たこともない幻想的な森の中だった。
生い茂る青い木々の隙間から、暖かな黄金色の光が差し込み、近くを流れる小川が光を浴びてキラキラと輝いている。
そして、いつもの山では見た事の無い、小さくて不思議な形をした動物達が集まっていた。
「ここは……」
そう呟くと、驚いた動物達が一斉に体を跳ね上がらせて、おいらの顔を見つめながらくっつきあった。
耳を澄ませると、驚く事に人の言葉を話しているではないか。
こちらを見ながらヒソヒソと何か話している様だ。
「あの子、目が覚めたよ」
「どうする? 佐祇璃様に言いに行く?」
「起きたら教えてって、あたし頼まれたよ」
「僕も。行こう行こう」
動物たちは一斉に走り去り、小川の少し奥にいた大きな女のもとへ行く。
寝転んだままその姿を眺める。顔はよく見えないけれど、おいらの背丈の倍くらいはありそうな大女だ。
背丈の大きさだけでなく、その頭には二本の立派なツノが生えており、ぎょっとする。
彼女は大きな木にもたれかかり、こくり、こくりと船を漕いでいた。
「佐祇璃様、佐祇璃様、あの子が目を覚ましたよ」
「……起きないね。ゆすってみてよ」
「やだよ。後が怖いもん。 小鞠やってよ」
「えぇ……分かったよ…………えいっ」
小鞠と呼ばれた、鞠に毛が生えたような丸っこい動物が、彼女の指を強く噛む。
するとそれに驚いたのか、ぴくりと体を揺らして目を覚ました。
「!! しまった。眠っていたか」
「佐祇璃様、あの子が目を覚ましたって」
「あぁ、あの子供か……お前達、教えてくれてありがとう」
彼女はそう言うと、こちらに向かって優雅に歩いてくる。
雲の様に真っ白な狩衣を着て、青空みたいな鮮やかな青の袴を履いた、なんとも珍妙な装いをしている。
近づいてくるその姿は、どう見ても人では無かった。
「ひぃっ! お、鬼だ!!」
「おや、驚く元気は残っている様だな」
ーー動物達が『佐祇璃様』と呼んだ彼女は、目の前にしゃがみ込んで、不安に揺れるおいらの瞳と、己の青い瞳を合わせる。
「そうか、あの土地神の所の餓鬼だな。鳥居から入ったのか」
煩わしさの混じる小さな吐息をひとつ吐き、佐祇璃さんはおいらの震える手をぎゅっと握った。
「行くぞ」
「っ! な、なに?」
「何って、家に帰すんだよ」
「……おいらを家に帰してくれるの?」
「そう言ってるだろう。それに、いつまでも居座られると『あいつ』に見つかって厄介なんだ」
ぶっきらぼうな態度とは裏腹に、繋がれた手はとても優しく、散歩をするかの様にゆっくりと歩き出す。
彼女の様子を見て気が緩んだおいらは、恐怖がすっと薄れて、今度は次から次へと疑問が湧き出した。
「ねぇ、ここはどこ? いつ帰れるの?」
それからそれから、なんですぐに自分の村の事が分かったんだろう。
「おいらの村を知っているのか?」
それと、この人の事も気になる。妖と話すなんて滅多にない事だから……
「あんたは鬼なのか? どうしてここにいるんだ?」
「全く、やかましい子だな」
佐祇璃さんは、半ば呆れた様に眉を上げ、そしてまっすぐ森の先を見つめた。
「ここは、お前達の言う『禁足地』だ。その名くらいは聞いた事があるだろう」
「禁足地……」
「災いを起こした妖や、堕ちてきた神を封じる場所。お前さんを連れてきたあの神のような奴らの事さ」
爺様が昔、ちらりと話してくれた事を思い出す。
あの時はただの作り話だと思って全く信じなかったけれど、まさか本当に存在しているとは思っていなかった。
「昔、爺様が言ってた。禁足地には赤い鬼と青い鬼の門番がいるって」
じっとりと手に嫌な汗をかき始め、不安の混じった瞳で佐祇璃さんを見上げた。
「あんたが……あ、青い鬼の……門番?」
「あぁ」
(おなごだったのか。もっとおっかねぇ妖かと思ってた……)
あっさり言われて驚いたけど、今までおかしな事ばかり起こっているのだ、深く考える事をやめ、受け入れる事にした。
「それで村の事だが……番人をしていると色々分かるのだ。それ以上は聞くな」
神とはあまり関わりたくない、と佐祇璃さんは仄暗い顔で呟いた。
その時、何の前触れもなく白い霧が立ちこめる。
霧は辺りを包み込み、その中から玉を転がす様な綺麗な笑い声が聞こえてきた。
それに驚き、つい佐祇璃さんの背にしがみついてしまった。
お読みいただきありがとうございます。
本日から完結まで1日置きでの投稿となりますが、どうぞよろしくお願いします。




