第59話 "エマ"
ライオネルに案内され、エマのいる地下牢へ辿り着いたレティシア。
生気を失ったエマにレティシアは自身の想いを真っすぐ伝え、エマの"最愛の人"の話を聞くことになった。
エマ・ヴァレンタインは聖歴510年に、フェルディナンド公国の侯爵家の長女として生まれました。
フェルディナンド公国では、男女問わず騎士がいます。
ヴァレンタイン侯爵家は由緒正しい女騎士の家系で、侯爵家の人間として生まれたものはみな、女騎士となり王家に使える習わしでした。
理由は分かりませんが、生まれてくる子どものほとんどが女であったからです。
そして、誰に仕えているか何の仕事をしているか等関係なく、国中の全ての騎士の中で最も実力のあるものに送られる騎士の"称号"があったのです。
フェルディナンド公国ではその称号を与えられたものを"ピュルフォルテ"と呼びました。
そしてヴァレンタイン侯爵家は、歴代何人ものピュルフォルテを輩出している家でした。
そこに長女として生まれたエマは、生まれたその瞬間から生きるべき人生が決められていたのです。
物心ついた時から既に剣を握っていて、それ以外の事はさせてもらえなかったエマに人生の転機が訪れたのは聖歴515年。
まだ言葉をしゃべることのできない2歳の女の子を、侯爵家が引き受けることになったのです。
彼女の名前は"ソフィア"。
後に王女として王宮に上がり、正式な王族が生まれてからは形だけの王族となったエマにとっての"最愛の人"。
2歳のソフィアはまだ王族ではありませんでした。
フェルディナンド公国では、王が王妃以外の女性と子どもを作ることは珍しくありません。
王の血だけを引いていることで王族として認められるわけではないのです。
王と王妃、双方の子どもであることが生まれた時から王族であると認められる唯一の条件。
それ以外は基本的に母親の身分に倣うのがしきたりでした。
ソフィアの母は侍女でした。
その為、彼女は王宮に使える侍女たちの部屋で、代わる代わりに世話をされていたそうです。
ソフィアが2歳になり、彼女の母は流行り病にかかり、病状が悪化して亡くなりました。
そのまま孤児院へ行くはずだったのですが、当時の王宮には問題があったのです。
それは、王と王妃の間に何年も子どもができていない事。
このままでは王家が断絶してしまう。
当時、王の血を引いているのはソフィア一人だけだったのです。
そのため特例でどこかの貴族の邸宅に預けることになり、あと5年間子どもが生まれなければ、彼女を王女として王宮に迎え入れることが決まっていました。
その貴族として選ばれたのがヴァレンタイン侯爵家。
安全面においても教育においても申し分ないと判断されたからです。
それから5年間、ソフィアとエマは姉妹のように育ちました。
剣術に関してはもちろんエマだけでしたが、ソフィアと一緒にエマも他の事をさせてもらえるようになったのです。
刺繍や絵を描くこと、音楽から花に関する勉強まで。
エマが特に興味を持ったのは可愛いドレスや髪飾り、髪を結う事でした。
ソフィアは美しい亜麻色の髪をしていて、エマは彼女の髪を結うことが大好きだったのです。
エマ自身も髪を伸ばしてよく手入れしていました。
8歳くらいの時だったと思います。
剣術の稽古中にエマは母に厳しく叱責されたのです。
実剣での稽古中に、自分の髪が少し剣で切れてしまったことに気を取られ、大きく体制を崩してしまった。
"騎士に必要のないものにうつつを抜かして剣をおろそかにすることなどあってはならない"と怒られ、すぐに短髪にするか5日間飲まず食わずで鍛錬をするか選べと言われました。
エマは鍛錬を選びました。
5日後にエマが自室に戻った時、ソフィアがとても心配した顔でたくさんの食べ物やお花を部屋に持ってきてくれたことを覚えています。
その頃には既に、エマはソフィアの事を、単なる妹のような存在とは思っていなかったのでしょう。
エマが彼女に抱いていた想いは、もっと異なる感情でした。
エマ・ヴァレンタインには剣術の才能がありました。
もうすぐ10歳になるという頃には、自身の母以外の大人の騎士相手にも負けることはありませんでした。
それでもエマの母は、一度も褒めることはありませんでした。
自分を超え"ピュルフォルテ"になるまでは、一切気を抜くことなど許さないと。
そして聖歴520年。
王と王妃の間に子どもができないまま5年が経ったのです。
ソフィアは王女となり王宮に入ることになりました。
エマはどうしても彼女と離れたくなかった。
彼女の騎士となることを母親に直談判し、必ず"ピュルフォルテ"になることを誓ったのです。
そうしてエマ・ヴァレンタインは王女ソフィア・フェルディの騎士として一緒に王宮へ入りました。
そこから7年間、エマは母の目の届かない王宮で、ソフィアと一緒にたくさんの時間を過ごしたのです。
侯爵家のことで色々なもめ事はありましたが。
エマのソフィアへの想いは次第に大きくなっていきました。
ああ、この人と二人だけの世界に行くことができたらどれだけ幸せだろう。
剣術なんてしなくていい。
なりたくもないピュルフォルテになることや侯爵家の爵位を継ぐこともなく。
ソフィアとエマの二人だけで、可愛いドレスを着て髪を結って、ソフィアの大好きなお花に囲まれた風の吹く涼しい丘で、命尽きるまで過ごしたい。
決して叶うことのない願いを、エマは自分の心の中だけに留めて過ごしました。




