第58話 大切な人
フェルディナンド公国とガルディニア帝国の戦争の概要を聞き、レイモンドとエマについて知る限りの情報をライオネルから聞いたレティシア。
覚悟を決めたレティシアは、ライオネルにエマのいる地下牢へ連れて行って欲しいとお願いする。
レティシアはライオネルに案内され、地下牢までの階段を下っていた。
レティシアの前を歩いてるライオネルが振り返ることなく話しかける。
「エマは自死を塞ぐために口も含め拘束されている。会話をするために口の拘束具は一度外すが、何かあったらすぐに呼べ。盗み聞きはしないが、近くで待っている」
そして檻へと続く扉の前までたどり着くと、ライオネルは立ち止まった。
「ギルが拘束具を外すために一度中へ入るが、私とキースは少し上で待っている。ギルも外したらすぐに出てこい」
「承知です殿下」
ギルバートは笑顔で返事をすると扉を開けてレティシアと一緒に中へ入った。
レティシアは檻の中で壁に座らされる形で四肢を拘束され、口にも大きな輪を付けられているエマの姿を見て、言葉にならない感情が込み上げた。
すぐに目を逸らしたくなるほど、エマからは全く生気が感じられない。
ギルバートが檻の錠前を外して中に入ると、エマの口の輪を外して床に置く。
そして檻からすぐに出てくると、錠前をかけずに檻の扉だけを閉めた。
「姫様、僕は退散します。何かあればすぐ呼んでください」
ギルバートはレティシアに微笑むと、足早に去って行った。
レティシアは檻の扉を開いて中に入ると、エマの前に座った。
エマの瞳は光を失い、レティシアを見ることは無い。
「殿下が知っている事は全部聞いたよ、ここでのレイモンドとの事も…。あと、クリスタは無事だから安心して…」
レティシアもエマの姿を真っ直ぐみることが出来ず、自身の足の爪先を眺めながら話し始める。
「マリアンヌが戻ったら、聞かせてくれるって言ってた話って、今私に先にしてくれる?」
二人の間に沈黙が数秒流れる。
「エマ、私に聞いたよね。兄さんはどうなったのかって…。私が事故で死んだんだと仮定したら、兄さんは生きていないと思うんだ、ほんとはね、信じたくないだけなの…」
レティシアはミーナが見た兄の最後の姿を思い浮かべた。
「エマは戦争で、たくさんの大切な人を失ったんじゃない…?一人ぼっちになったんだよね…」
エマの頬がピクリと動いた。
「私も、いやミーナは兄さんを失った事実を認めたら、一人ぼっちになったことを認めたら、死にたくなったと思う」
エマは1度だけ瞬きをすると、自分の前で俯きながら話しているレティシアを見た。
「レティシアになった今も、私にとってミーナの兄さんはやっぱり特別。何にも変えられない大切な人」
レティシアは静かに涙を流しながら顔をあげてエマを見た。
「その上で、同じように大切だって思える人にたくさん出会えた。どこにも住むところを決めてなくて、ずっと移動しながら生きてた時とは違う…」
レティシアはエマに近づくと、彼女の顔を両手でそっと包んだ。
「私はエマを失いたくないよ。私にとってエマは大切な人だから」
生気の抜けたエマの瞳に、次第に輝きが戻っていく。
彼女を優しく見つめ続けるレティシアの瞳が、まるでエマの瞳の奥を照らすように。
「姫様…」
「うん…」
エマの絞り出した声にレティシアも震える声で答える。
「私の大切な人の話を…ソフィアの話をしてもいいですか…」
「うん、聞かせて」
レティシアは震える声で答えながら、震える両手でエマの頬を優しく撫でた。
ライオネルは何もしゃべることなく大人しくしているキースをちらりと見た。
「キース、おまえ出身は?」
キースは真顔のままライオネルを見る。
「フェルドです…」
「フェルディナンドのどのあたりだ?」
キースはライオネルから視線を外して下を向いた。
「王都です…」
「北西の辺りじゃないのか?」
二人の間に気まずい空気が流れた。
「母が…そのあたりの出身だったと思います…」
キースの表情は変わらないが、何となく答えたくなさそうな雰囲気であった。
「そうか…では…」
ライオネルが何かを言おうとしたとき、ギルバートが足早に階段を上ってきた。
かなり急いで登ってきたようで、ライオネル達の前で両手を膝につき、肩で息をしている。
そんなギルバートをライオネルはイラついた顔で見た。
「ギル、おまえ間が悪いぞ」
「え?すぐ戻ってきましたよ?」
ギルバートはなぜ睨まれているのか分からずにおどけて笑う。
その頃レティシアは、エマの隣で彼女に肩を寄せながら座っていた。
冷たい檻の中で冷たい鎖に繋がれているエマ。
それでも二人の間には確かな温もりがあった。
レティシアはエマが話し始めるのを急かすことなく優しい表情で待っている。
エマはその場で顔を動かすことなく少しだけ表情を和らげると、徐に口を開き始めた。
「私にとってソフィアは友人であり、仕える主君であり、私の心を照らしてくれる太陽であり…」
エマはどこか遠い眼をして、小さく息をついた。
「最愛の人でした」




