第57話 戦がもたらしたもの
ルシウスはエマの件を無かったことにする条件としてレティシアとの市井お出かけを提案した。なぜかライオネルとテオドールも含めたお出かけになってしまったが。
その後、レティシアとライオネルはエマの話をするため移動した。
3年前、聖歴533年。
ガルディニア帝国がフェルディナンド公国に宣戦布告。
海が近く穏やかな風の吹くフェルナンド公国の王都はわずか1か月で陥落し火の海に。
王族と貴族たちはそのまま南下しながらレグラント王国との国境線にそびえたつ渓谷地帯の手前まで戦線を下げ逃げ続ける。
ここまででわずか3か月。
途中の村々も燃え、多くのフェルディナンド公国の民たちがレグラント王国方面へ逃げてきた。
ガルディニア帝国が完全にフェルディナンド公国を制圧し、領土の拡張と戦争の終了を宣言したのは、開戦からたったの4か月だった。
レグラント王国とフェルディナンド公国の国境沿いの村々には、多くの難民たちが立ち往生していた。
この緊急事態にさすがのライオネルも自ら動くしかなく、ギルバートと数人の騎士を連れて国境沿いの村々へ向かった。
フェルディナンドは国土のほとんどが草原地帯であるため見通しがつきやすい。
レグラントとの国境沿いの鬱蒼と茂る森の間にある村は、彼らにとっては馴染みがないらしく、多くの難民が海が見える最南の街か、森が少なく草原地帯が多い街への移住を希望した。
その中で、数人だけが最初に訪れた村に残る選択肢を取った。
幸い受け入れ先の村の者たちは、快く受け入れてくれたため、特にトラブルなく問題は解決した。
その残った中に、難民たちから慕われる人物がいた。
その女は死人のような目をしていて、髪の毛は肩辺りで散切り、食事もせずにただ座って一日を過ごす姿は、とても慕われるような人間とは思えなかった。
ライオネルはその女に声をかけた。
女は自身を"エマ"と名乗った。
難民たちから慕われている理由を聞いたが、その時には何も答えなかった。
その女が気がかりだったライオネル達は、すぐに帰らずに数日その村に滞在した。
するとどこからやってきたのか、また一人村に難民が増えていた。
その老人は自らを"レイモンド・アトラス"と名乗った。
レイモンドはエマを知っていてとても驚いた様子であった。
レイモンドとエマはフェルディナンド公国の貴族で、特にエマは"最強"の称号を貰った女騎士であり、民たちからの信頼も厚いらしい。
アトラス家は宰相の家系で色々な仕事ができるため、王都に連れて行って欲しいと懇願してきたレイモンドを、ライオネルは連れて帰ることに決めた。
その際、エマにもレイモンドから素性を聞いたことを話し、王都で自分の手足にならないかとライオネルは誘ったが、エマはそれを断った。
このままでは死んでしまうのではないかと思ったライオネルは、村長に話をして、彼女がきちんと食事をとって生きていけるように定期的に連絡してほしいと頼んだ。
王都に戻ったライオネルは難民の後処理に追われ、さらには前王が残した最悪の"経済不況"という大きな問題を前に余裕がなかった。
その為、レイモンドは適当に主殿の内政官の下の方に配置して仕事をさせ、エマの事は村長からの定期報告に目を通していただけだった。
時が過ぎて王国歴521年。
ロスト商会からヴァレリアの手紙を使いの者から直接受け取ろうと、ライオネルがたまたまアルキオネ宮の裏門へ行った帰り道、3年前に生まれた憎い女の娘に思わぬ形で出くわしてしまった。
生まれた日以来一度も見ないようにしてきたその姫は、自分と同じ銀髪を持っていて顔立ちも少し似ていることにライオネルは驚いた。
数日後、なぜか姫の事が直感で気になったライオネルは、今まで放置してきた離宮に足を運んだ。
そこは想像していたよりも酷い状況で、彼は思わず色々と取り仕切ってしまった。
アルキオネ宮の新しい人材配置のために、スパイとして送り込める人物を選ぶ際、ライオネルの頭にはクリスタ以外に二人の人物が浮かんだ。
それがレイモンドとエマだった。
エマについては数週間前に、気晴らしに一度王都へ来てみないかとライオネルから手紙を出して、ちょうど市井の宿屋に泊っていることを思い出した。
レイモンドは二つ返事で承諾した。
ライオネルはギルバートと共に足早に宿へ向かった。
2年ぶりに会ったエマの姿は、当時よりも血が通っている姿になり、散切りだった髪の毛も肩のあたりで綺麗にそろえられていた。
ライオネルはアルキオネ宮の侍女として王宮へ来ないかと提案した。
嫌になったらすぐ村に帰ってもいいと付け加えて。
エマは乗り気ではなかったが、アルキオネ宮の主人が"姫"だと聞くと少し考えこみ、嫌になったら本当に村に帰るという条件で要求を呑んでくれた。
その先は、クリスタがロスト商会でレティシアとマリアンヌに話した内容と同じである。
現在、レティシアは向かい合って座るライオネルの話を、真剣な表情で静かに聞いていた。
ライオネルは事実だけを淡々と話し続けた。
「すまないがこれ以上の事情は知らない。ただ、レイモンドは地下牢でエマに"ヴァレンタイン家と王女を囮に自分自身たちとその他の王族を逃がした"と言っていた。理由はフェルディナンド公国の再興の為らしい…」
ライオネルはそこまで言うと短くため息をついた。
「ガルディニアとの友好関係の為、レイモンドは即解雇して王都から出させた。その後どうするかは私たちは預かり知らない。何か問題が起きてもしらを切ればいい」
ライオネルは冷めきった紅茶の入ったカップを手に取る。
「マリアンヌが戻るまではフローリアンという優秀なやつを貸してやる。私直属だから信頼できる奴だ。クロードの心労が増えればテオが悲しむからな…」
そしてライオネルは少しだけカップに口をつけると、ずっと俯いたままのレティシアを見た。
「エマの事は、ルシウスが揉み消してくれるようだし、お前に任せる。エマは私よりもお前のことを信頼しているようだった…」
レティシアは唇を噛みしめながら両目を力強く閉じた。
数秒そのまま止まると、覚悟を決めた顔で目を開きライオネルを真っすぐに見た。
「分かりました。レティをエマの所に連れて行ってください」




