第55話 厭世と快報
マリアンヌを取り戻して再び平和な日々が訪れたアルキオネ宮。
しかし、エマがルシウスに切りかかり、かばったクリスタが大けがを負ってしまう。
地下牢に入れられたエマの前に現れたレイモンドから衝撃的な言葉が発せられる。
レイモンドは微笑むと、その場から立ち去ろうと一歩踏み出した。
エマが勢いよく檻を両手で掴み顔を近づけてきたため、彼はその場に立ち止まる。
「レイモンド、何を言っているの?ソフィアを囮にしたって言ったのかしら?」
エマは顔を引きつらせながらもレイモンドの顔をしっかりと捉え、無感情だった瞳にゆらゆらと怒りの感情を沸き起こしていた。
「そのように申し上げましたぞ」
レイモンドは微笑んで答えると、再び歩き始めた。
「レイモンド・アトラス!!!!!」
エマは檻を両手で激しく揺らしながら、去っていくレイモンドの背中を睨みつけ叫び続けた。
レイモンドは1度も振り返ることなく扉を開けて去って行った。
レイモンドが扉を出ると、壁に背を預けて腕を組んでいるライオネルと、いつものように彼の隣にはギルバートがいた。
「殿下、盗み聞きとは趣味がよろしくないですぞ」
レイモンドは笑いながら彼らの前を通り過ぎようとする。
「おい、レイモンド」
ライオネルは冷たくレイモンドを呼び止めた。
「さっきの話本当なのか?」
レイモンドは立ち止まったが、振り返りはしない。
「本当だと言ったらどうされますかな?」
ライオネルは大きくため息をついた。
「ならお前を王宮には置いておけない。レグラントは今ガルディニアとは一応友好関係にある。その関係にひびが入りかねない危険分子は擁護できない」
レイモンドはホホッと笑うと、ライオネルの方を振り返った。
「今まさにエマ殿が危険分子なのでは?」
ライオネルは冷徹な視線をレイモンドに向けた。
「お前にはアルキオネ宮のことも含め色々手伝ってもらったからな。ガルディニアに突き出すことはしない。荷物をまとめて王都以外のどこかへ出ていけ」
「殿下はお優しすぎますぞ」
レイモンドはそう言いながら笑うと、ライオネルにお辞儀をして去って行った。
ライオネルは地下牢の扉を開けエマのいる檻の前まで来るとその場に屈み、死人のような顔で檻のすぐ前でうな垂れているエマと目線を合わせた。
「エマ」
ライオネルの呼びかけにエマは全く反応しない。
「お前を王都に無理やり連れてきた私の責任だ、申し訳ない」
ライオネルの態度にいつもの冷徹さは少しもない。
「レイモンドの事は私も知らなかった…。エマ、お前が望むならどこか海の見える端の村にでも逃がしてやれる…」
エマは虚ろな目でライオネルを見た。
「殿下…お願いです…殺してください…」
「誰をだ?!」
ライオネルは驚きながら少し顔を檻に近づける。
「お願いです…。もう私を…殺してください…。これ以上…こんな世界で生きていられない…」
ライオネルは目を見開いて固まった。
エマは徐に自身の首を両手で掴む。
「ギル!こじ開けてやめさせろ!」
ライオネルは瞬時に後ろを振り返ってギルバートに命じる。
ギルバートは檻の錠前を容赦なく叩き壊すと、中に入り自らの首を絞めようとするエマを羽交い絞めにした。
エマの体には力が入っておらず、両手が床に垂れさがった。
「お願い…殺して…」
エマの口から絞り出されるように、同じ言葉が紡がれ続けた。
数時間後、アルキオネ宮の医務室近く。
レティシアは必死に廊下を走り抜けて、医務室の入口へ向かう。
「クリスタ!」
入り口に扉の無い医務室から中を見ると、笑顔で上半身を起こしてベッドに横たわるクリスタが見えた。
「姫様」
クリスタは優しく今にも泣きだしそうな自身の主人に笑いかけた。
その瞬間レティシアは勢いよく駆け寄ると、ジャンプしてクリスタに抱き着いた。
「いたた!姫様さすがに痛いですよ!」
クリスタは苦しそうな顔をしながらも、自身の胸に顔をうずめて大声で泣く主人の頭をそっと撫でた。
「居なくならないで…私を一人にしないで…」
レティシアは嗚咽しながらクリスタの胸に顔をうずめる。
「いなくなりませんよ姫様…。あたしはずっとお側にいますから」
クリスタは愛おしそうにレティシアの頭を撫で続けた。
「ほんとに良かったが驚きの回復力だ。並大抵の人間なら死んでいたとも言われてたぞ」
既に医務室の中にいたルシウスが感心しながら呟いた。
「なんでか知らないですけど、昔から傷の治り早いんですよあたし。それに、この子の応急処置が適切で助かったそうです」
クリスタはそう言うと、傍らに立っていたクリーム色の短髪に黒い瞳の見習い騎士の少年を指さした。
ルシウスは少年を見るとものすごく嫌そうな顔をした。
「なんでこんなとこにいるんだよ…」
少年は無表情のままルシウスを見ると淡々と答える。
「ライオネル殿下にお誘いいただき、数人の兵士の方と行動を一緒にしておりました」
丁度その時、医務室の入り口に肩で息をしながら落ち込んだ顔をしたゼノが現れた。
「姫様は…、足が…お速いのですね…」
「ゼノが遅いだけだろ」
ルシウスがすかさずツッコミを入れる。
レティシアは涙でぱんぱんに腫らした顔を上げると、見習い騎士の少年を見た。
―この子、あの時訓練所でルシウスに勝った…?兄さん似の子??
少年はレティシアに見つめられていることに気が付くと騎士の敬礼をした。
「キースと申します」
「レティは別にお前の名前は聞いてない!」
ルシウスが勢いよく二人の間に入るとキースに威嚇した。
―テオドールは猫だけど、ルースは…犬だ!!
威嚇し続けるルシウスをレティシアは目を輝かせながら見ていた。
「ルース、クリスタを見ててくれてありがとう。それと、キースもありがとう」
レティシアは二人に優しい笑顔で話しかけた。
キースは軽くお辞儀をして答える。
ルシウスは勢いよくレティシアの方を振り向くと顔を真っ赤にしながら視線をそらした。
「俺はレティの婚約者だからな!当然のことをしたまでであって…」
そんな微笑ましいやり取りを見ていたクリスタが申し訳なさそうに片手を挙げる。
「姫様、あたしから提案があるんですけど…」
「どうしたのクリスタ?!まだどこか痛む?」
レティシアは心配そうにクリスタの顔を覗き込む。
「いや、さすがにあたしもまだすぐには動けないですし、マリアンヌ様にも心配かけたくないですしこんな時に呼び戻せません。まあ侍女はどうにかなるとしても、姫様の護衛がいないのはちょっと、王子とはわけが違いますし…」
「そっか、クリスタはレティの侍女謙護衛だもんね!あんま気にしたことなかったや!」
レティシアは納得した様子で片手の拳でもう片方の手のひらを叩いた。
―それに、エマも侍女謙護衛だったし…
「そこでなんですけど、こちらのキース君とやらに、あたしが戻るまでの代理を務めてもらうのはどうでしょう?」
クリスタはどや顔をすると、隣に立つキースを両手で示した。
「はあ?!こいつである必要ないだろ!!」
ルシウスが勢いよく反応し、再びキースを威嚇する。
「だってこの子、ルシウス殿下より強いですし」
クリスタはあっけらかんと答える。
「違うッ!あの時はたまたま!」
「確かに」
レティシアの一言にルシウスはショックを受けると、そのまま床に座り込んで落ち込んだ。
「キースがそれでもいいならレティはお願いしようかな」
キースはレティシアの瞳を真っすぐ見ると大きく頷いた。




