第52話 手遅れ
マリアンヌとミハイルの結婚式当日、ミハイルは結婚拒否の手紙を使用人を通じて叩きつけ姿を消した。
絶望に満ちたマリアンヌが逃げ出して向かったのはロット家。親友のシャルリナに会いに行ったが、彼女はもう帰らぬ人となっていた。
現在、レティシア達はエインワーズ家の前で入り口の門を睨みつけていた。
エマが徐に自身の首にかけていたペンダントを取り出す。
「こんなもの、取っておいても意味ないと思っていたのに…」
エマは表に家紋の入ったペンダントを憂いを含んだ目でさすると、中を開けて入っていた写真を見た。
そこには美しい長髪の少女と、おそらく幼い頃のエマと思われる長髪の少女が笑いあっているモノクロの写真が入っていた。
「さあ~行きますよ~姫様~討ち入り~」
エマはペンダントを再び閉じるといつもの微笑みで片手で力こぶを作った。
クリスタはどん引いた表情でエマを見ながら呟く。
「エマが言うと冗談に聞こえないから怖っ」
レティシアもエマに合わせて力こぶを作ってみせた。
「こんにちは~マリアンヌ様はいらっしゃいますか~」
エマはエインワーズ邸の門番に近づくと微笑みながら声をかけた。
「どこのものだ?」
門番は訝しげにエマを見る。
「レティシア様の侍女ですが~」
「平民の従者を連れてこの家へ入ることはできない。お帰り願う」
門番はまるで定型文のように言い放つと所定の位置に戻った。
「あなたじゃお話にならないので、隣国の貴族の名前が分かる方はいますか~?」
エマは微笑みを崩さずに自らの首にかけてあった紋章を見せた。
「なんだそれは?」
門番はエマのペンダントを怪訝そうに見て言った。
「だから、ヴァレンタイン侯爵家が分かる人を出せって言ったんですよ?」
門番はもう一度エマの顔を見た。
表情は笑っているが、その瞳は獲物を捕らえた猛獣のように恐ろしい。
門番は思わず怯みながら後ずさりした。
「どっどうぞ…」
門番はエマをちらちらと確認して、怯えながら門を開けた。
「行きましょ~姫様~いぇーい~」
エマは門番をもう一度見てにこりと笑うと、優雅に門を通って歩き始めた。
レティシアもエマの後ろを続く。
「なんか知らんけど、あたしも入って良さそうなんで行きまーす」
クリスタも何食わぬ顔で二人の後に続いた。
エインワーズ邸の所々にいる侍女や使用人たちは、レティシアの姿を見て驚いて固まっていた。
それもそのはず、貴族の間では色んな意味で有名な"冷遇姫"だ。
離宮から出ている姿など想像もできないだろう。
レティシア達はそんなことは意にも介さず突き進むと、邸宅の入り口の扉を開けた。
外にいた使用人たちと同様に、邸宅内の者たちも驚いた表情でその場に固まる。
レティシアはすーっと大きく息を吸うと自身のありったけの声を出して叫んだ。
「マリアンヌーー!!!!!」
レティシアの後にクリスタも大声でマリアンヌを呼び始め、使用人たちは慌てふためきだした。
「誰だ!入り口で騒いでいるのは?!」
非常に腹を立てた様子で最初に出てきたのは、緑髪でたくさんの髭を蓄えた小太りの男性。
彼はレティシアの姿を見つけると、頭の上からつま先までをまじまじと見た。
そして非常にバカにしたような表情でゆっくりと歩み寄ってきた。
「これはこれは、誰かと思えば、もしや"レティシア"様ですかな?私はこの家の主のエインワーズ伯爵です」
伯爵は小さなレティシアを上から見下ろすとニヤリと笑った。
「あら~レグラント王国の貴族は礼儀を知らないのですか~?」
レティシアの隣に立つエマが片手を口に当て、伯爵の事を哀れそうに見ながら言った。
「なんだこの女は!平民の侍女に我が家の敷居を跨がせおって!つまみ出せ!」
伯爵は唾を飛ばしながら大声で叫ぶとエマを指さした。
「ほんとに礼儀を知らないんですね~このくそ野郎」
エマは微笑みの顔から真顔になると、声を低くして伯爵を鋭い視線で刺した。
エマの圧倒的なオーラに伯爵は思わずひるんで一歩後ろに下がる。
「姫様?!どうしてここへ?!」
騒ぎを聞きつけたのか、別の部屋から慌てた様子のマリアンヌが姿を現した。
彼女は自身の父親とレティシアが向かい合っている状況を確認すると、顔を真っ青にして走り出しレティシアをかばうように二人の間に割り込んだ。
「お父様?!やめてください!姫様です!」
伯爵は真っ青な自身の娘を目の前にしても尚、嘲笑うような態度を止めない。
「マリアンヌ」
レティシアは自分の前で父親に対しておびえているマリアンヌに、真剣な表情で話しかける。
マリアンヌは驚いてレティシアの方を振り向く。
「マリアンヌ・エインワーズ。いったい誰の許可を得て、アルキオネ宮の侍女をやめたの」
レティシアの姿は齢4歳になる小さな姫の姿とは思えないほど圧があった。
その場にいる誰もが、その姫の姿があの"氷の皇太子"と重なったであろう程の圧だった。
マリアンヌは息もすることもできずレティシアの顔を見たまま固まる。
「帰るよマリアンヌ。私はやめることを許した覚えはないんだから」
「何をおっしゃられているのか?姫様お言葉ですがマリアンヌは我が娘、いずれエインワーズ家の跡取りを産まなければ…」
伯爵が額に汗をにじませながら早口で話し始めたのを、レティシアは鋭い視線で制止させた。
伯爵はだらだらと汗を流しながら、顔を引きつらせて固まる。
「マリアンヌ…帰ろうレティたちと」
レティシアはマリアンヌに優しく微笑みかけながら手を差し出した。
マリアンヌは戸惑った表情でレティシアの手を数秒見つめた後、床に座り込んで地面に頭を着けた。
「姫様、申し訳ございません。一緒に行くことはできません…」
レティシアの差し出した手がそのまま宙を漂う。
「エインワーズ家の跡継ぎを産めるのは私しかおりません。レグラント王国建国時から続くこの家を、私の自由で断絶させることはできないのです…」
マリアンヌの声は震えていた。
レティシアは自分の視界が色を失ってモノクロになっていく感覚に陥った。
―私が覚悟を決めるのが遅すぎたから…?マリアンヌはもう戻ってくることは無いの…?!
レティシアの差し出した手が、ゆっくりと、ゆっくりと力を失い落ちていく。
「はははは、残念でしたな姫様。申し訳ありませんがそういう事でお帰り願います」
伯爵はその様子を見て嘲笑うように笑うと、再びレティシアを見下すような視線を向けた。
その奥でエマが目から殺気を放ちながら自身の拳を握りしめている。
エマが今にも伯爵に手を出してしまうのではないかというその時、再び邸宅の扉が勢いよく開かれた。
「今度は誰だ?!不届きな!!」
伯爵は全身で憤怒しながら扉の方を見た。
そこに立っていたのは、濃い緑の髪で清潔感溢れる水色の瞳の騎士だった。




