第43話 記憶
セシリアと共にライオネルを訪ねてきたのは彼女の母、ヴァルハイト公爵夫人だった。
夫人はライオネルに一つの頼みごとをする。
「それはどういう思惑で?」
瞳の奥を揺らしながらライオネルを見つめる夫人に対して、彼は淡々と述べた。
「殿下、見逃してくれないのですね」
夫人は寂しく笑いながら斜め下へ視線を動かす。
「公爵家はミハイルの件でエインワーズ家に負い目があります。未来のエインワーズ夫人に恩を売るのは悪いことではありません。それに…」
夫人は再び笑顔を作りライオネルを見た。
「貴族の女性は自由に生きられませんから、少しでも幸せになって欲しいという私自身の私情もあります」
ライオネルは数秒考えた後、ふーーとため息をついた。
「分かりました。彼女は優秀な侍女なので、居なくなられるとアルキオネ宮の者たちも困るでしょう。すぐに適任を探させます」
ライオネルの言葉に夫人は顔を明るくした。
そして、彼の後ろに立っているギルバートへ笑顔を向ける。
「ギルバート安心して、この母があなたの生き方をとやかく言わないよう、しっかり監視しておくからね」
「お母様…」
ギルバートは唇をかみしめながら呟く。
「ああ可愛いギルバート、でもたまには母に会いに来て欲しいわ〜!」
夫人はいつもの調子に戻ると、口元を片手で隠しながら豪快に笑う。
「もう子どもじゃないのですよ僕は成人しました!」
ギルバートは顔を真っ赤にしながら、母から顔をそむけた。
終始、真顔で話を聞いていたセシリアが椅子から立ち上がる。
「お母様、行きましょう。殿下、お時間いただきありがとうございました、では」
そう言うと、ライオネルに対して両手でドレスの裾を持ち上げて丁寧にお辞儀をした。
「セシリア嬢」
帰ろうとするセシリアにライオネルは椅子に座ったまま声をかけた。
「なんでしょう」
歩き始めたセシリアが立ち止まり、後ろを振り返る。
「また、どこかで二人で散歩でもしましょう」
ライオネルはいつもの冷徹な表情だったが、少しだけ優しい声色で言った。
「お忙しいのですから無理はなさらず」
セシリアは真顔で答えるとそのまま自分の母を連れて行ってしまった。
二人が帰った後、ライオネルは椅子に座ったまま少し姿勢を後ろに倒してギルバートを見る。
「ギル、1人思い当たる男がいるよな」
「いますけど、首を縦に振るでしょうか」
ギルバートは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「なんとか説得する」
ライオネルの言葉を聞いて、ギルバートが心配そうな顔で彼の肩にそっと手を置く。
「どうしてそこまで、殿下が苦労する必要はありませんよ、公爵家のことなんてほっといてくれて構いません」
ライオネルはギルバートから顔をそむけた。
「姫が泣くだろうな」
「姫様のことはお嫌いでしょう?」
ギルバートがライオネルの顔を覗き込もうと前に少し回り込んだが、ライオネルはギルバートの動きに合わせて顔をそらした。
「分からなくなってきた」
ギルバートからライオネルの表情は見えない。
「ギル、本当にたまになんだが、姫の姿がミーナと重なる。きっと気のせいだと思う。だんだん前世の記憶が抜け落ちてきている。このままミーナのことも忘れてしまうかもしれない。その恐怖からなのだろうか」
ライオネルの声は弱弱しく震えていた。
「ライ…」
ギルバートはライオネルを後ろからそっと抱き寄せると、彼の強く握っている拳に自身の手をそっと重ねた。
「僕はいつか、ミーナの兄である"ライ"では無くなって、この国の冷徹皇太子''ライオネル''になってしまう…」
ライオネルの声はいっそう弱弱しくなり、声だけでなく体も少し震えている。
「大丈夫だよライ、君が忘れても君が話してくれたことの全てを僕が覚えている。ミーナさんも君が幸せに生きることをきっと望んでいるよ」
ギルバートはそんなライオネルを、優しく包み込んでそっと目を閉じた。
数時間後、アルキオネ宮。
レティシアは自室のソファーでうつ伏せに寝転がりながら、恋愛小説を読んでいた。
部屋にはレティシア一人。
クリスタはレティシアに頼まれたお菓子を取りに行っている。
騒々しく廊下を走る音が聞こえてきて、レティシアは体を起こして扉の方を見た。
―この足音はクリスタかな?どうしたんだろ
レティシアは読んでいた本を閉じて横のテーブルに置くと立ち上がり、ゆっくり扉の方へ歩いた。
すると丁度、クリスタが勢いよく扉を開けた。
彼女は服も髪もこれまでにないくらい乱れていて、顔はもう涙でぐしゃぐしゃだった。
尋常じゃないクリスタの様子を感じ取ったレティシアは、その場で驚いて固まる。
クリスタはレティシアに駆け寄ると、彼女に縋りついてそのまま膝から崩れ落ちた。
「姫様っ、姫様っ、どうしましょう!」
クリスタは動揺していてパニックになっている。
「おっ落ち着いて!どうしたの!?」
レティシアは慌ててクリスタの肩を両手で掴んでなだめた。
泣きながら嗚咽しているクリスタがレティシアを見上げる。
「マリアンヌ様がっ!マリアンヌ様が…!」
「マリアンヌがどうしたの?!」
マリアンヌの名前を聞いて、レティシアも不安を隠しきれない表情になる。
レティシアの脳裏に、寂しそうな顔をしていたあの時のマリアンヌの表情が呼び起される。
「辞表を出してっ!いなくなられたと…」
クリスタはレティシアを掴んでいた手を引きずるように下に落とすと、両手を床につけてうずくまった。
「マリアンヌが、いなくなった…?」
レティシアは状況が理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。




