第30話 焚火の夜
漁場へ向かう為王都を出発したレティシア達。
途中で魔物に遭遇し、テオドールとクロードが攻撃を受けて気を失ってしまう…
血走った目でよだれを垂らした屈強な男は、ゆっくりと荷馬車に座っているレティシア達に顔を向ける。
レティシアは突然の出来事に息をすることもできず止まっていた。
―人間の魔物…はじめて見た…
目の前にいるのは紛れもなく人間だが、喉元に刃を突き付けられているかのように殺伐としている。
男が唸り声をあげるのと同時に、レティシアの隣にいたはずのエマが消えた。
そして、唸り声をあげている男の両腕が、肩のあたりから綺麗に消えている。
何が起きたか分からないまま、レティシアはクリスタの手で両目を隠された。
再び何かが切られたような風の音が聞こえると、辺りは静まり返った。
「姫様~目を開けないでくださいね~」
男がいたはずの方向からエマの声がする。
「クリスタ~タオルを貸してちょうだい~」
クリスタはレティシアを回して後ろを向かせると、タオルを引っ張り出してエマの方へ投げる。
エマは自身の顔に付いた赤い液体を拭うと、倒れているテオドールの方へ歩み寄った。
「王子~大丈夫ですか~とどめをさしていただきたいのですが~」
しゃがみ込んでテオドールの頬を軽く叩く。
すぐに目を開けたテオドールは警戒態勢で飛び上がった。
そして目の前の光景を数秒いぶかしげな眼で見た後、手から氷魔法を放った。
自分の前で微笑みながらしゃがみ込んでいるエマを見つめる。
「油断して悪かった…」
テオドールはそう言うと傍らに落ちていた自らの剣を拾って、荷馬車へと戻る。
エマはその場にしゃがんだまま、隣で倒れているクロードへ目を向ける。
気を失っているはずのクロードの額に、次第に冷や汗がにじみ始めた。
「途中から気が付いてましたよね~」
エマは微笑みを崩すことなく話しかける。
クロードが気まずそうな顔でゆっくり目を開けると、立ち上がって服を整えた。
「なぜ、とどめをささなかった…」
クロードは剣を鞘に戻しながら問う。
「ふふふ、2年も握っていなかったので腕が落ちたみたいです~」
エマはそう言って立ち上がると、荷馬車の馬にまたがって手綱を握った。
「汚れてしまったので、明日海に着くまで私がこちらでもいいですか~?」
クロードは無言で頷くと静かに荷馬車に乗った。
その夜、レティシアは中々眠りにつけなかった。
何事もなかったかのようにいびきをかいて隣で寝ているクリスタを見ながら、その奥で寝ずの番をしているエマとクロードへ視線を向ける。
クロードは自身の剣を無言で丁寧に磨いており、エマは焚火をゆったりとした表情で見つめている。
「エマ、殿下の専属騎士になっては?」
クロードは剣を磨き続けながら言った。
「レグラントに女騎士はいませんよ~」
エマも焚火から視線を逸らすことなく答える。
「殿下が王位を継がれれば、どうとでもなるだろう」
「そんなにギルバート君を解任させたいのですか~」
エマの言葉に剣を磨いていたクロードの手がピタリと止まる。
「称号なんてただの飾りですよ~」
エマは微笑みを崩さなかったが、その声色に感情は無かった。
「守りたいものを守り続けているギルバート君は立派な騎士です。私は…姫様のただの侍女ですから~」
エマの言葉にクロードがそれ以上何か言うことは無かった。
次の日の朝、相変わらず言い争いをするクリスタとテオドールに呆れながらも、レティシア達は出発した。
鬱蒼とした森の小道を通っていたが、次第に開けた大きな道になっていく。
前方から吹く風に乗って、潮の香りが流れてきた。
―久しぶりの海~!!
王都の市井とはまた違った解放感に、レティシアは思わず目を輝かせる。
数秒後にはどこまでも青く輝く海が前方に広がっていた。
海の近くにはいくつかの小屋が並んで立っている。
小屋の周りには大きなバケツを運んでいる複数の漁師がいた。
エマは近くの邪魔にならない所に荷馬車を止めると、馬から降りてローブのフードを深く被った。
「姫様~私はここで番をして待っていようと思うのですが~」
レティシアが荷馬車からぴょんと飛び降り、エマの方へ近づこうとすると、クロードがエマの前に歩み寄った。
「私が番をする。エマは汚れを落としてきては?」
エマは数秒沈黙した後、微笑んだ。
「じゃあお言葉に甘えて~」
レティシア達はクロードを残して、漁師たちのいる小屋の方へ歩いて行った。
「おっちゃーん、いる~?」
クリスタが先陣を切って漁師たちの中に入っていく。
バケツを運んでいた一人の男性が、クリスタに気が付きこちらを見た。
「お~クリスタ元気にしてっか~こんなとこまで」
ふくよかな体形で立派な顎髭をたくわえた男性は、バケツを両手に抱えたまま豪快に笑いながら近づいてきた。
クリスタの隣に佇むテオドールに目を向ける。
「あれぇ!テオくん!クリスタと知り合いだったのか?」
男性はテオドールがいることに驚きながら、クリスタとテオドールを交互に見た。
「うんまぁ、腐れ縁みたいな感じ」
テオドールは恥ずかしそうに目をそらしながら答えた。
「おっちゃん、単刀直入で悪いんだけど、体を洗えるところ貸してもらえねぇかな?」
クリスタが気さくに男性に尋ねた。
「おうよ、構わんが見た感じ汚れてないぞ?年頃だなクリスタ」
男性は再び豪快に笑った。
「違う違う!あたしじゃなくて、えっと…」
クリスタは慌てて答えながら後ろを振り返り、フードを深く被っているエマを指さした。
「あたしの~…えっと~姉貴がちょっと」
男性はエマを見て目を丸くする。
「姉ちゃんいたのか?」
「だぁ~!細かいことは良いから!借りるね!」
クリスタは強引にエマの背中を押して小屋の方へ歩いて行った。




