第15話 兄の手がかりと涙
ヴァレリアと1対1の心理戦をしていたレティシア。
対等に渡り合えていると思っていたが完全に彼女の術中であり、さらには衝撃的な名前を囁かれ、固まってしまう。
レティシアはヴァレリアの言葉で時が止まったかのように感じた。
前世を言い当てられたことはもちろん、この得体のしれない女性から大好きな兄の名が出たことが何よりの衝撃だった。
左手を右手で握りしめ俯いたまま微動だにしないレティシアに、微笑んでいたヴァレリアの表情が次第に焦った顔になっていく。
「ごめんなさい、私意地悪しすぎましたわね」
泣きだした小さな子どもを、慌ててなだめる大人のようにレティシアに話しかける。
「兄さんを知っているんですか」
「え?」
固まったままのレティシアから急に放たれた言葉に、ヴァレリアは拍子抜けする。
「ライを知っているんですか」
俯いたままの小さなお姫様の小さな体から、確固たる意志を感じる声で発せられた。
「良く、知っていたわ」
今までの何を考えているか分からない微笑みとは異なった、柔和な優しい笑みでヴァレリアは答えた。
「じゃあ!」
レティシアが今にも泣きだしそうな顔をあげて、ヴァレリアに縋りつこうとしたその時
「お嬢」
あの屈強な男が、部屋の隅の扉から声をかけた。
レティシアの伸ばしかけた手が宙で止まる。
「ダグラス、クリスタの具合はどう?」
ヴァレリアは彼の方を見て尋ねる。
ダグラスはゆっくりとうなずいた。
レティシアが案内された部屋に入ると、頭に包帯を巻かれたクリスタがベッドに腰かけていて、隣の椅子にはマリアンヌが座っていた。
「姫様…」
クリスタは寂しそうな顔でレティシアを見ると、表情を見せないように視線を下に向けた。
「良かった、気が付いたんだねクリスタ」
レティシアはほっとした表情でそっとクリスタに近づく。
「姫様、あたし…」
クリスタは視線を下に向けたまま黙り込んでしまった。
俯いたままの彼女の表情はみえないが、声が震えていた。
レティシアはベッドを揺らさないようにクリスタの隣にそっと座る。
「災難でしたわね、クリスタ。よりにもよってあの化け物に出くわすなんて」
ヴァレリアが優しく慰めるようにクリスタに話しかけると、彼女は勢いよく顔を上げて目を潤ませた。
「あねさん、あたし、もうだめですよね、、」
そのまま口を開けてクリスタは大声で泣き始めてしまった。
捨てられた子猫が、助けを求めて一人で泣き続けているように。
ヴァレリアがゆっくりと近づきレティシアとは反対側に腰を下ろすと、横からクリスタを覆うようにそっと抱きしめた。
レティシアは両手の拳を膝の上で握りしめながら、ちらりとマリアンヌを見る。
マリアンヌはレティシアと目が合うと、そっと首を傾けて微笑んだ。
大声で泣くクリスタを見守りながら、レティシアとマリアンヌは無言でゆっくりと部屋を出た。
扉を出てすぐの薄暗い廊下で二人は横並びになり、レティシアは壁にもたれかかった。
所々にかかっているランプの淡い光だけが、二人の沈黙を照らしている。
「姫様、申し訳ありません。私は侍女失格でございます。何もできず」
マリアンヌは暗い表情で俯きながら、自身を責めるように言った。
―マリアンヌは、市井に来るのもはじめてだろうに、辛い思いをさせてしまった
レティシアはこのまま暗闇に溶けてしまいそうなマリアンヌを数秒見つめた後、頭を撫でようと手を伸ばしてジャンプした。
小さなレティシアの体では身長のあるマリアンヌの頭には到底届かなかったが、彼女の肩をぽんっと叩いた。
「レティの一番の侍女がマリアンヌだよ。もっと堂々としていて欲しいな」
涙目で顔を上げ、レティシアの方を向くマリアンヌにそっと微笑む。
穏やかに見つめ合う二人は、主人と侍女というよりは親子のように暖かく映った。
その穏やかな空気を破るように、すぐそばから誰かが咳払いする声が聞こえた。
かなり近い距離から発せられた声に目を丸くしながら、二人はそろってそちらを見る。
ダグラスが少し身をかがめながら二人をじっと見ていた。
「うわあああ!」
二人はそろって飛び上がりながら驚いた。
小動物が狙われている視線に気づいて慌てふためくように。
「どうされました?」
二人の大きな声を聞きつけたヴァレリアが、少し慌てた様子で部屋から出てきた。
ダグラスを見ながら驚いた様子の二人と無言でかがんでいるダグラスを、目線だけ動かしながら交互に何度も見た。
そして状況を理解した後、口にそっと手を当ててくすりと笑った。
「ダグラス、あなた怖いのですから。気を付けなければいけませんわよ」
ダグラスはゆっくりとうなずいて、どっしりとした足取りで廊下を歩いて行った。
レティシアとマリアンヌは体は固まったまま、消えていくダグラスを視線だけで追った。
ヴァレリアはくすくすと笑っている。
「姫様、それとマリアンヌ様。クリスタから話があるようですわ。私は席を外しますわね」
ヴァレリアはそう言うと、そっと扉の方へ手を差し伸べた。




