第二幕 劇団ドロシー・ガーランドと青春
「雅之、ここって私たちが暮らしている時代より過去なんじゃないかな?」
陽菜は馬鹿を承知で思っていることを口にした。そう、さっきからおかしな景色や街かどから聞こえてくる会話の内容に少々違和感を覚えている二人だ。どちらが先にそれを口に出しても特に不思議ではなかった。あえて陽菜が先に言っただけのことだ。
爪を噛むしぐさで「……」と無言の雅之。
大きく深呼吸した彼は、吸った分を深く重く吐き出す。自分も馬鹿を承知でその結論に至っているので反論ができないのだ。
「じゃあ、陽菜の予想を当てに行こう」と雅之。すでに分かりきった結論、すなわちタイムリープしたということをわざわざ確かめることなど無意味なのだ。だが何か証拠が欲しい。確信のための材料に手を伸ばしたかたちだ。
「どういうこと?」
「この時代には、姉の所属していた劇団の事務所と練習所がこの町にあったんだ。いまは大きなプロダクションになって青山に事務所を構えている」
「お姉さんと紗弓えみさんがまだ女優志望の研究生で頑張っていた時代ってことを確かめるのね」と察しの良い陽菜は静かに頷いた。
「うん」とだけ雅之。
阿佐ヶ谷にはパールロード商店街というのがある。屋根付きアーケードの商店街だ。この七夕の季節にはハリボテと呼ばれるつくりの木の骨組みに紙を貼っていく手法で作り上げる造形飾りが天井から吊るされて、商店街にカラフルな景観を見せていた。やはり海女の格好をした少女の人形が目立っている。また陸中海岸の海岸線を走る鉄道の気動車も描かれていたりする。
その商店街の先には丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅があり区役所もある。二つの駅を結ぶ阿佐ヶ谷のメインルートとしての機能も備えた商店街だ。
地下鉄、南阿佐ヶ谷駅の上を走るのが青梅街道である。その街道にある郵便局から少し路地を脇に入ると、かなり古い小劇場を改築した建物があり、そこが劇団ドロシー・ガーランドの本拠地だった。そろそろ建築基準法を満たさなくなりつつある老朽化の著しい建物だ。木造の板塀は朽ち始め、水色のペンキはほぼはげ落ちている。
主催者の案山子大五郎の所有物で、その親友の木古里鉄男が理事を務めていた。ほかに座付きの脚本家の木余輪獅子男や照明兼大道具長の素浪弁蔵などもいたが劇団員と接することはまれだった。主催者や理事という肩書は間に合わせにつけているが、サークル気分の小さな劇団で、その肩書というのは名目だけのフランクな団体だった。
「あえいうえお、あお!」
物干し台のあるベランダから三、四人の女性が発声をしているのが聞こえる。いかにも劇団という光景だ。
「よう雪、明日の公演がはけて時間空いたら、今週にデート行かない?」と大五郎が客席の最前列に座って言う。割とこざっぱりしたシャツにネクタイ姿だ。見た感じステディな関係にも見える二人だ。
「えっ、今週末はダース君とデートなんです。ごめんなさい」と黄色のトレーナーに黒のジャージー姿で返事する十二階雪。
「ダース君? 誰?」と眉をひそめる大五郎。
その会話に説明を入れる雪の同期の劇団員である紗弓えみ。ピンクのトレーナーにグレーのジャージーで可愛らしくゴムの髪留めで長い髪を束ねている。
「雪ちゃんの自慢の弟君ですよ、つい先日まで中学生だった」
えみは同期とはいっても歳は二つほど下だ。雪は短大中退でえみは高卒でフリーターから入団したからだ。
「ああ、例のトップ進学校に一発で入った秀才の弟君か」
「じゃあ俺は敵わないな。また今度にするわ」と笑って丸めた台本を右手に肩を叩くしぐさで劇場ホールを出ていった。奥の方で「あせった」と大五郎の声がした。いくら立場は彼の方が上でも、好きな女性の前だと不安になるものだ。
「なに? ダース君がこっちに来るの?」とえみ。
「うん」
雪はとてもうれしそうだ。本当にかわいい弟なのだろう。
「実家って江戸川区の方だよね」
「そう、なんでも新宿で映画を見た帰りに私のアパートに来るんだって」
「へえ、私も会いたいな。その自慢の秀才君に」と笑うえみ。
「じゃあ来れば、今度の日曜日」という雪に、
「ああ残念。今週はオーディションなんだ」と悔しそうな顔のえみ。
「そっか、そうだったわね。また会う機会はあるから、とりあえず今はオーディションを頑張ってね」と雪。
「うん、でもその前に今日のゲネプロを成功させないとね。シェークスピアの作品はお客さんの目が肥えているからしっかり仕込んでおかないとね」
えみの演劇に対する意気込みは雪譲りなのだ。演劇にただひたすら真面目な二人だった。
「そうね。えみは念願のジュリエット役ゲットしたんだもん、こっちも頑張んないとね。その前に甘いものでもどう? ファッジ食べる?」と雪。
「今日も持ってきてくれたの?」
「うん」
「もらうもらう」と上機嫌で舞台縁に座って、足をぶらぶらしながら甘いものをほおばる二人だった。
これがこの頃の劇団のいつもの風景。紗弓がダース君とオーディションで会ったときに、涙でかすむほどに思い出した懐かしい日々なのだ。この日もドロシー・ガーランドはいつもの風景がそのままにあった。
このあと昼過ぎから大掛かりでハードなゲネプロが行われたため、劇団員全員は昼過ぎにはへとへとになっていた。そしてレッスン室の畳敷きの大広間や控室で横になる人が続出だった。ここにへなちょこの妖精が紛れ込んだのを誰も知るよしもなかった
「確か郵便局の横の路地だった」と雅之。
「ずいぶん大きな通りね」
陽菜の言葉に「青梅街道だ」と教える彼。
「ああ、だからか」と彼女も納得。
路地をしばらく進むと、映画館のような、劇場のような古い建物が見えてきた。
「ここだ」と雅之。
「いかにも劇団の建物って感じね」と横で陽菜も納得している。
そんな劇場を眺めていた二人の背後に誰かの気配を感じる。
「おい、お前ら」
陽菜と雅之が振り返ると四頭身ほどの背格好で月桂樹の冠に白装束のおかしな男が立っていた。
「だれ?」と陽菜。
「俺はパックっていうんだ。オベロン様に申し付かって、えみという女と鉄男という男の間を取り持つ役目を担った」
「はあ?」と雅之は胡散臭い目をパックに向けた。
「お前、ギリシャの白色大理石芸術にあこがれているの? コスプレか?」と言葉を出す。
「なんだコスプレって?」とパック。
「あっそうか、わからないか。仮装しているのか、っていってんだよ」と言い直す雅之。
「失敬なこれは俺の一張羅だ」
「あ、そ。じゃあ、その一張羅であっちに行ってなよ。俺たちは忙しいんだよ、チビ」と相手にしない雅之。さほどこのおかしな人物には興味ない様だ。
雅之がそう言ったあと、陽菜はパックの後ろにある荷車に載った大きな木箱を見つける。木箱の前後にはなぜかサンシキスミレが飾られている。通称でいうパンジーだ。
「あれは、あの楽器はあなたのもの?」
陽菜はそのパンジーの花が周りに並ぶ木箱を見て訊ねる。
「ああ、いかにも俺が奏でるバレルオルガンだ。ストリートオルガンとも言うな。俺様のこのオルガンは時間のゲートを操ることが出来る魔法のタイムオルガンだ」
その言葉に過敏に反応する雅之。
「お前さっきこのオルガンをリハーサルのように準備のために弾いていたか?」
「いかにも」と偉そうにうなずくパック。お門違いに威張っているが、逆効果だ。
その言葉に雅之は少し怒った風に、「あのタイムリープはお前のせいか」とパックの冠をぺしっと叩く。冠が斜めになり、パックは視界が見えなくなってその場に尻もちをつく。
「いきなり何をする! きさま、人間の分際で」
憤慨した様子のパックだが、それにも増して雅之の猛追がけたたましい。
「それはこっちのセリフだ。おかげでこっちはタイムリープだぞ。眉村卓や筒井康隆の世界じゃねえか。いやドラえもんやキテレツ大百科の世界か、関係ない人間を巻き込むのが妖精のやることか!」と人差し指を立てて、講釈と怒号の中間のような口調でパックに詰め寄る。
「う、それは悪いことをした。俺の任務が終わったら無事にお前らの世界に戻してやる。だがオベロン様の命令は絶対だ。そちらを先に片付けさせてくれ」とパックはまたしてもの失敗から罪悪感かを感じ、意気消沈して、意外にも常識的な対応を確約した。
「まあ、そういうのなら許してやる」
雅之はあきれながらも安堵の顔を見せる。
「その任務って何よ」と陽菜。
パッとしない目をキラリと光らせたパックは、
「聞いて驚け、俺の崇高な任務を」と得意げだ。相変わらず、自信だけは一人前だ。
「もったいぶって」と彼女はあきれ顔だ。
「紗弓えみという女に惚れるよう、鉄男という男に媚薬をかますのだ。ははは」
「そんなことできるの?」
「できるとも。昔も『真夏の夜の夢』の中でばっちり成功させている」
「なるほど」と笑う陽菜。
すると後ろから女性の声がした。ビクッとしたところをみると、その妖精には聞き覚えのある声のようだ。
「あらあ、それって失敗してオベロン王に魔法を解いてもらって、やり直した件じゃなあい?」
その声を聞いてパックの額に冷や汗が走る。恐る恐る振り返ると、そこには歌恋とフランソワ、夏見が立っていた。
「うわ、歌恋じゃないか。なんでお前が」
パックの言葉に「それはこっちのセリフだっていうの。イギリスで会って以来よねえ」と歌恋はウインクしながら返す。
出会いの挨拶もままならない時間に、前の劇団の建物が騒がしい。
夏見は「俺たちが見てくるからダース君はここにいた方がいい。君がお姉さんと会ってしまうとタイムパラドクスの危険性があるから」と言って歌恋とフランソワを連れてドロシー・ガーランドに入っていった。その後ろをパックもついていく。
劇団の中に入ると、えみの手の甲にキスをして「ジュテーム」という素浪弁蔵の姿を発見。
「お前、あれが鉄男に見えるのか? どう見たって、理事って恰好じゃないぞ。道具係の人だ」
夏見の言葉に、「しまった。また塗り間違えた」と失敗を認めるパック。彼は恋の媚薬を瞼に塗る人物をまたしても間違えたのだ。
すかさず歌恋がパチンと指をはじいて、持っていた小瓶の水を弁蔵に軽く振りかけた。
すると弁蔵はまるで夢から覚めるかの如く正気を取り戻す。
「あれ、俺何していたんだ?」と不思議な顔。
寝ぼけていたという言い訳で済む程度だったが、またしてもパックは媚薬を使う相手を間違えたのだ。
察しの良い読者はもう気付いているだろうが、シェークスピアの『真夏の夜の夢』において、妖精のパックはパンジーから作った惚れ薬、つまり恋の媚薬を寝ている人の瞼に塗って恋の効果を待つのである。だが塗る人物を間違えたり、目が覚めて最初に見た異性を好きになるという効能を鑑みて大勢の人間のいる場所で塗ってしまうと違う人を好きになってしまうというおなじみの失敗を招くことになる。
パックは物語の中でも塗り間違えを犯しており、今またそれを繰り返してしまったのだ。学習しないおっちょこちょいの妖精である。
歌恋が魔法を操れる時魔女だったおかげでなんとか大事にならずに済んだが大変迷惑な話である。
だが弁蔵がえみに好意を持っていると知った鉄男は、突然焦りだした。
「あの、えみちゃん」
鉄男はえみの前に立つと「ちょっと話があるんだ。外の風にあたりに行かない」と誘う。
「うん」
憧れの鉄男に呼び出されて悪い気のしないえみ。素直に彼の後について、ベランダへの階段を上る。
物干し場の毛布やシーツを潜り抜けて、手すりにもたれかかる鉄男。
その後ろでちょこんと手を組んでもじもじしているえみ。今の大女優とは思えない、なんとも青春の一ページである。
「寝ぼけていたとはいえ、弁蔵が君に告白しようとしていたのを見て、僕は心が砕けそうになったんだ。きっとなんとなくふざけ合っていた君との関係が実は恋心で、君を独り占めしたいと思ってしまったようだ。抑えられないこの気持ち。こまったものだ。僕と付き合ってくれるかい?」
えみの心の中は巨大な打ち上げ花火がパッと開いたように、晴れ晴れとした感覚に襲われる。
「私でいいの?」
上目遣いの遠慮がちな彼女だ。まだ何者でもない自分は不安な若者。だが何かを手に入れてしまった年齢になると、その頃の自由さを懐かしく思えるものなのだ。それが後になって気付く若さの特権である。
「君じゃなきゃダメなんだ」と二十代の後半に差し掛かった男性とは思えない情熱的な告白である。
またしても、えみはもじもじしたままだ。十代最後の歳とはいえ、まだまだ幼さも残る彼女は恥じらいと嬉しさの中間、自分でもどんな気分かは表現できなかった。きっとこれを恋と呼ぶんだろうとおぼろげには確信していた。
そうパックのやらかした大間違いは、たまたま今回に限っては上手く「怪我の功名」となって、任務を果たすことが出来た。
つづく




