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時神と暦人外伝①・恋の媚薬はルネサンス文豪とサンシキスミレー舞台女優の青春ー  作者: 南瀬匡躬


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3/3

第三幕 思い出は永遠のカーテンコール

 雅之と陽菜は中に入っていった夏見たちを路上で待っていた。ちょうどタバコ屋の角にあたる場所だ。そこの店の自販機でコーラを一本買って飲んでいた。

「演劇の公演は明日だよ」と教えてくれるタバコ屋の老婆。

「ええ、でも仲間がおりまして、いま劇場内で打ち合わせをしているんです」

「なんだ、関係者かね。木古里(きこり)さんのお友達かい?」

「いいえ、役者の身内なんです」と真面目に答える雅之。どのみち、この時代の人に言っても自分は理解不能な立場である。

「そうなのかい? 看板女優の雪ちゃんかな?」

「おばあさん、知っているの?」と雅之。

「おや、当たりだね。雪ちゃんは感心な娘でね、いつもこの辺りを自主的に掃き掃除してくれたり、ゴミ拾いをしてくれるんだよ。劇場のまわりのついでだからっていってねえ」と優しい瞳で劇場を見ている。

『ねえちゃんってそういう人だったな』と頷く。雅之はそんな姉の面影をすっと思い出す。

「あ、でも僕がここに来たことは内緒なんで、おねえちゃんには言わないでくださいね」と雅之。

「え、弟さんなんだ。お兄さんかと思ったよ」と老婆。それはそうだ。すでにこの時代の姉の歳を上回る年齢の雅之だ。タイムリープなど考慮しない老婆の目には年相応に映ったのだ。


 そこに雪があの案山子大五郎(かかしだいごろう)と一緒に手をつないで出てきた。見覚えのある純白のワンピースに、ピンクのショルダーバッグ、薄いレモン色のヒール靴だ。その姿を確認した雅之は、そっと陽菜の陰に隠れた。

 雪は雅之に気付くこともなく仲睦まじく駅の方に向かって歩いて行った。その笑顔は家族には見せたことのない甘えたような、安心したような表情を感じさせる。

『ねえちゃんもあんな無防備な表情を見せるのか。ねえちゃんの通夜の時、ずっとねえちゃんの前を離れなかったあの男性が案山子さんか。劇団代表だからかと思っていたけど、それ以上にねえちゃんの大切な人だったんだな。ありがとうございます。最後まで姉のこと思ってくれて……』と心の中で熱いものがこみ上げている雅之だ。

「ねえちゃんてみんなに愛されていたんだなあ」とポツリと自然に言葉が出た。

 するとセンチな気分の雅之に、「それは雅之も一緒だよ。みんなから愛されているわ」と温かく柔らかい表情で陽菜が頷く。

「ははは、ありがとう」と湿っぽくなった目じりを隠すように指でそっと拭うと雅之はほっぺを両手で二回叩く。


 日も傾き始めた夕暮れ、ドタバタの終わった劇場から夏見とフランソワ、歌恋、それにあのポンコツ妖精が出てきた。

「夏見さん!」

「おねえさん今出ていった人だろう。きれいな人だな。それに負けず劣らず、紗弓えみさんもきれいだったよ。いまや大女優だもんな」と納得した顔で雅之に報告する。

 後ろでパックが、「約束だ、お前たちを元の時代に戻してやる」と言いかけると、夏見は「いや結構!」と右手で止める仕草をした。

「なんだ?」と妖精。

「俺は暦人と言ってな、お伊勢さんを祀る神明社や時神さまの命を受けた神社に存在するタイムゲートの管理人なんだ。阿佐ヶ谷には神明宮の近くに状態の良いタイムゲートがあるのでそっちで帰るよ」と言って夏見は頷く。

 歌恋もフランソワも「うん、そのほうがいいわ」と納得した。

 ポンコツ妖精のパックのことである。また手違いで変な時代に飛ばされたのではたまったものではない。夏見の誘導するタイムゲート、すなわち『金色の御簾』で戻れば間違いはおきない。二人はそのことを察しての返事だった。

「パックは帰ってオベロン王に叱られてきなさい」と歌恋。

 ガクッと肩を落とすパック。

「終わりよければ、すべて……」とパックが言いかけたところで、フランソワが「ケガの功名ね」と言葉をかぶせてきた。

「とほほ」と肩を落として俯き加減のパックだ。



「じゃあ、あの青梅街道沿いの二十四時間営業のファミレスで夜明けを待つことにしよう」と夏見。

「あの夏見さん、僕たちはねえちゃんとえみさんが青春を送ったこの時代のこの町をもう少し堪能しておきたいので、夜になってからの合流でもいいですか」と雅之。

 夏見は笑みのこぼれた偏光グラスの位置を直しながら「もちろん」と簡潔に答えた。



 この当時阿佐ヶ谷には小さな映画館があった。情報誌にも載らないような名画座だ。オーナーが自分の道楽で始めたようなミニシアターだった。雅之は陽菜と二人でブラブラしながら歩く。七夕飾りの後の目的地は、そこだった。

「500円 『雨に唄えば』だってさあ。雅之の好きなやつじゃん」と陽菜。

「正確にはねえちゃんが好きだったやつだよ。デビー・レイノルズ、『スターウォーズ』のレイア姫、キャリー・フィッシャーの実母だ」

「へえ、博学じゃん」とまたちゃかす陽菜。そのまま横を向くと驚いた様子で、「雅之、あれ、おねえさんが来たわよ」と顎でその方向を指す。

「げ、見つかったらまずい、中に入ろう」

 そう言って雅之は映画館の中に陽菜の手を引っ張って入っていく。

 すると雪と案山子も入ってきた。どうにかホールの薄暗さに紛れたおかげで見つからずにすんだ。そして入口にはなんと鉄男とえみまでいるのだ。

「まあ。この時代の紗弓さんには面ばれしてないから大丈夫だと思う」

 コインを出して、雅之は袋つめのポップコーンとスプライトを二本買う。そして二組のカップルから見えない位置で映画を楽しんだ。

「わたしね」と映画が終わり一足早くホールを出ると陽菜がいう。

「なに?」

「レイア姫よりアミダラ姫の方が好きかな?」

『何の話だ』と言いたげな雅之だが、まあ彼の嗜好性もそっちのようで「ナタリー・ポートマンか? センスいいよ、陽菜」と笑う。

「褒められちゃった」とさわやかな笑顔の陽菜。

「これでわかったぞ」と雅之。

「なにが?」

 紗弓さんがファッジと『雨に唄えば』が好きなわけだよ。七夕祭りの日に大好きな彼と親友の僕のねえちゃんの二人との思い出を手に入れたからさ」


「大舞台女優の原点なのね、この町とあの劇場での思い出が」

「そうみたいだね」






 ファミレスの食べ終わった食器をウエイトレスが片付けていく。疲れからなのか、片手肘で頬を抑えた夏見はうとうとしている。その顔をテーブルの向かいから優しい笑顔で見つめる歌恋。

 片思い。甘酸っぱい思い出だ。はねっかえりの性格だった十代をを経て、折角お淑やかになって帰国したのに、すでに夏見は別の人のものになっていた。青春時代の彼にまだ手が届きそうだったあの頃に戻れないジレンマに悩んだが、彼女もアラサー、そんな気持ちはとうに克服したはずだ。

 熱田神宮で杯佐和(はいさわ)という騙名(ニックネーム)で出会ってからずいぶんと時がたった。あの時は本当の自分の住む時間世界ではなかったため、告白もままならずといった感じだ。そのことは夏見の親友山崎も承知済みだ。そして今この場の夏見の横に座るフランソワもなぜか知っていた。


 夏見は栄華と知り合い、たちまち夏見に恋に落ちた栄華を助けるべく、一緒に御厨をつかさどる桜が丘御師(おんし)として時神に使える立場になってしまった。欧州で修行をしてきた間に歌恋の恋ははかなく散ったのである。


 彼女のその視線はどこか優しくもあり、儚くも見える。彼女の心情をそこそこ知っているフランソワは手で彼女に招きのサインをする。

「なに?」と歌恋。

「こっちに来て、場所変わって」と笑うフランソワ。

「うん」

 夏見の隣席から正面席に移るフランソワ。変わって正面席にいた歌恋が夏見の横に座る。

 配置換えをした歌恋を確認すると、フランソワは軽く微笑んで、「ここまでで止めておいてね、って伝言されている時神さまに。私も、やっぱり歌恋ちゃんと同じくらい栄華ちゃんも大好きだから」といって深呼吸をした。そしてうたた寝の夏見がついていた肘、その腕ごと頬から外す。つっかえ棒になっていた肘が取れると夏見の体はそのまま歌恋の膝の上に崩れ落ちた。しかもウトウトかと思っていたらかなり深い眠りでぐっすりだ。

「えっ?」と驚く歌恋。

 あっという間に夏見は眠ったまま歌恋の膝枕の姿勢である。夢の中の夏見は何も気づいていない。フランソワの思いやり、それは軽い事故で片付けられると踏んでの可愛いたくらみだ。そしてスッと二人の間に風が走る。

「時神さまが、いまここをお通りになってお礼をおっしゃっていました。膝枕はほんのお礼だそうで……、とのことです」

「悪くないお礼ですね」とほほ笑む歌恋。この穏やかで、麗しい時の流れに心を絆されて、つかの間の幸せに浸っていた。


 それから二十分ほどして、雅之と陽菜もファミレスに入ってきた。その姿を見て歌恋は慌てて座っていた位置を数十センチ横にずらした。当然夏見の頭はシートへと落ちる。

「ううん」と首を傾けて夏見が起きる。

「ふぁああ。よく寝た」と言うと、

「うん、よく寝ていたわよ」と笑う歌恋。膝枕の件は歌恋とフランソワだけの秘密だ。


「何してきたんですか?」と歌恋。

「ねえちゃんと彼氏さんの普段の生活が知りたくて少し陰から様子を見ていました。思ったより幸せな恋愛をしていたので安心しました。もうこの世からいなくなってしまった姉ですけど、恋を経験していたと知れただけでうれしくなっちゃって」

 彼の眼には安堵の印、涙が滲む。

「君は本当にお姉さん思いなんだな」と感慨深い言葉で心に刺さった彼の言葉をかみしめる夏見。

 左手で涙をぬぐいながら、「でもブラコンと言われていたのは姉の方です。きっと姉の愛情が僕の中で覚醒し、涵養したんでしょうね。姉の真心が育てた愛情と思っています」と軽い笑みをこぼす。

 横で小さく頷く陽菜。そして「義姉になる人を見られたのも私にとっては良い経験でした」と言ってほほ笑む。そのまま「すみません。ちょっと私の疑問にも答えていただけますか?」と付け加えた。

 夏見は「俺にわかること?」というと、「夏見さんにしかわからないことだと思います」と返す陽菜。

「いいよ」というと夏見に、「みんなきっとマヒしているんだと思いますけど、私たち今、過去にいるんですよね。これって異常なことって思わないんですか? しかもなんで夏見さんは毎回移動しているって言ってましたけど、何のお仕事なんですか? 説明してください」

 夏見は「そうだよなあ」と感慨深そうに彼女の意見を肯定する。


「俺は暦人。歌恋ちゃんはカレンダーガール。そしてここにいるフランソワは付喪神なんだ」

「こよみびと、かれんだあがある、つくもがみ?」

 彼女には何のことだかさっぱりわからない。

「我々は、あ、俺と歌恋ちゃんね。時間越える役目を担ったボランティア見たいな者なんだ。時を駆け抜けて、時の狭間で迷った人を助ける役目を追っているのね」と夏見。

「それで私たちを追って来てくれたんですね」

「うん。でも大抵は時神さまの『託宣』っていうのを受けて、強制移動させられるんだけど、なぜか今回はフランソワに伝言を渡されたんだよね。そしてあのへなちょこ妖精の水の壁を潜ってこの時代に飛んだ。君たちを元の時代に戻すための手伝いのためにね。もし君たちが元の時代に帰れないと『時の迷い人』になる。すると時代に適応できる人はいいけど、そうでない人は一生時間の狭間でもがき苦しむことになるんだ。そうさせないようにするのも役目。時の道案内みたいな職だ」

「人知れず、そんなお役目の人がいるんですね」と陽菜。

「そう、時間を戻るには各地に存在する神明社の近くに結構な確率で存在するタイムトンネルを使うんだけど、それを我々は『金色の御簾』とか『七色(なないろ)の御簾』って呼ぶんだ。穴の向こうの空間が御簾やオーロラのように揺れているからその名がある。異なる時代にいった生命体はそのトンネルにはいると本来存在するはずの時間へと戻される。『自然の摂理』のしくみと一緒かなって我々は思っている。そのタイムホール、神社にできるものを操るのが暦人。そして教会にできるものを操るのがカレンダーガールってわけだ」

「意外に体系化された組織なんですねえ」と感心する陽菜。

「まあ所詮は異次元の話。当然体験者以外は信じるはずもないので、何百年以上もこうして世間にはばれずに存在してきたのさ。そしてそのタイムトンネルの管理人が暦人御師(こよみびとおんし)ってわけだ。おおよそ『金色の御簾』が存在する場所、つまり荘園のひとつである伊勢神宮の社領である御厨の中心神社のそばで何世代にもわたってタイムゲートを護ってきたの」

「なるほど。歴史の『陰の生き証人』って感じですね」

「で、フランソワはもともとプレイエルのピアノの精霊なんだ」

「プレイエルって、あのショパンが愛したピアノ?」

「よくご存じで」といってから夏見は続きを話す。

「そう、日本には昔からのルールで百年たつと物にも感情が芽生えて、物心が付くといわれている。それは百年たってこの依り代をもらったのがピアノの精霊、付喪神のフランソワってわけ。なんでか時神さまの信頼が厚くて、今回のように我々に託宣や伝言を伝えにきてくれる。ありがたい存在なんだ。こんな若いおねーちゃんの格好をしているけど、中身は百歳を軽く超えているってわけさ」

「すごい! まるでSF小説の舞台設定や舞台装置のようだわ」と陽菜。

「うん。俺もそう思うよ。こんな世界で俺たちは日々、時神さまや時巫女の助けをしながら御厨の中心神社のタイムゲートのそばで何世代にもわたって時間を護って来たんだよ、上手くその地域で生活するための生業(なりわい)を見つけてね」

「なるほど」


「そしてね、さっきこの店になぜか十二階君のおねえさん、雪さんが現れた。しかも俺たちのことも君たちのことも知っていたようだ」

「えっ?」ととても驚く雅之。歌恋もフランソワも頷く。

「これを預かっているから渡すね。君のおねえさんはカレンダーガールだったようだ。そして君がここに来ていることも知っていたようだ。タイムパラドクスを避けるために直接は会わないみたいだね。出来たカレンダーガールだ」と言って一通の手紙を雅之に渡す夏見。


『こんにちは、大きくなったダース君。私ね、どうやら長くないみたいなの。『刻越(こくえつ)の病』っていってね、人命救助のために時間移動しすぎちゃった人がなるみたいね。これふつうのお医者さんじゃ治せないのよ。だから一足お先に向こうに行くことになりそう。そうなる前にあなたに伝えておきます。私を支えてくれている案山子さんは暦人、最後まで私に寄り添ってくれた人なのよ。もともと出身は鮎沢御厨っていって静岡の奥地、そう私たちの故郷、山梨に近い場所なの。もしあなたの身にも暦人の託宣が舞い込んできたときは夏見さんに相談して。今後、夏見さんはきっと味方になってくれるはずよ。その後輩の一色さんもね。さあ、今回の台本なし雪ねえさん密着劇はこれにて閉幕。カーテンコールはこの手紙って感じね。ちゃお! 追伸、彼女可愛いじゃないの。大切にしてあげてね』

「ねえちゃん……」

 そう言ってからしばらくは真一文字の口を動かすことはなかった雅之だった。その瞳には真珠色のつぶてが溜まっている。


 沈黙を破って「ところでここまでは順調なんですが、ポンコツの妖精パックが妖精の王様のもとに行ってしまったけど、どうしたらよいでしょう?」とやはり冷静な陽菜の一言。


「あ、帰り道の話ね」と夏見。

 そして「さっきも言ったけど、大丈夫だよ。阿佐ヶ谷の神明さまは金色の御簾が朝日とともに現れるから夜明けまで待てば、無事に我々のいた元の時代に戻れるよ」と言う。

 そのSF小説のような話を当然のように話す夏見。すでに驚くこともなくこの時空世界のルールを受け入れている雅之と陽菜である。

「夏見さん、あなたっていったい?」

 陽菜の驚く顔に「言ったでしょう。おねえさんのお手紙にもあったようだし、まあ一色の先輩なんですよ、暦人御師としてのね。その秘密のボランティア活動とでもいうのかな。君のおねえさんもそうだったように時間の迷子になった人を助ける役目の」と少し真面目に、でも雅之と陽菜、二人の安心を誘うために少し笑った。

 何よりもすでに水壁のタイムゲートを潜ってしまった二人に暦人の存在は伝えることが出来た。そして口止めも同じくらい重要な役目だ。まあ、そもそもこんな時間を越えたタイムリープの話など誰が信じるものか、ともいえるのだが、そこは一応お約束なので。

「それでお二人さんにお願いです。今回の時間越えのことは暦人以外の人間には、ご内密でいてください」と夏見は念押しをする。

「まあ、仮に言ったとしても、こんなありえないことの連続は誰も信じないと思います。でも夏見さんのおっしゃることですから、陽菜と二人の間でだけ、あとはここにいた方々や暦人さんの前でだけ話題にすることを誓いますね」と雅之も頷く。

「ありがとうございます」と夏見。契約成立となった。


「ちなみにあのポンコツ妖精のパックが瞼に塗っていた媚薬って結局どんな過程で効能があったんですか? 僕たちは結果しか知らないので。惚れ薬なのは知っていますけど」

「それは歌恋ちゃんから聞いた方がわかりやすいよ。自分たち暦人は神明さまや時神さまのもとでタイムゲートを守り、時を越えてやってくる暦人たちの道しるべになる存在で魔法とは無縁だ。立場上たまにそういうことを知っている者がいても、それは暦人の本業ではない。たまたま居合わせて経験として知っているに過ぎない。西洋の魔術は歌恋ちゃんがいい」

 夏見の言葉に歌恋は「じゃあ、私が簡単に説明します」と言って話し始める。

「パックの使った媚薬は、サンシキスミレ、一般にはパンジーと呼ばれる欧州原産の(すみれ)の園芸品種の抽出されるエキスから調合されたもの。それを寝ている人の瞼に塗ることで魔法が始まる。その薬を塗られた人が目覚めて最初に見た者を好きになるという効果があるの」

「だから弁蔵さんって人はえみさんに恋心を抱いてしまったのね」と驚く陽菜。

 その話で疑問が生じたようで雅之は「もし最初に見たのが動物だったらどうなるんですか。まさか猫や小鳥に恋心を抱かないでしょう?」と肩をすくめる。

「いいえ、それらを真剣に好きになるわ。恋愛の対象として。実物のロバの顔をした者に恋している話が『真夏の夜の夢』に記されて残っているもの」と歌恋。

「うわあ、えぐい話」と肩を落とす雅之。

「でもそんな媚薬に頼らなくてもあなたたちは素敵な恋愛しているから気にしないで。しかもパックはきっと私たちの時代に来ることはないわ。本来古典古代のアテネの近郊に住む彼らは、ここに来ることはないもの」

「じゃあなんで今回はここに?」

「君たちが結婚するにあたり、阿佐ヶ谷の神さまが暦人を探していたんじゃないかな? パックをダシにして。そう考えれば託宣ともとれる。お姉さんにゆかりのある町、阿佐ヶ谷の『時の番人』になってほしかったって言う風に考えれば辻褄が合う。ただここは御厨ではないので、俺と同じように新しい御師の居場所を作ろうとしているのかもしれない」

「僕らを必要としているってことですか?」

「暦人として考えられるのは、その結論しかないけどね。でも答えは決して一つじゃないので、自分たちでも考えてみて」と夏見は玉虫色の答えを返した。

「そっか」

 窓の外を見ると東の空が白くなり始めた。藍色の空からオレンジの朝焼けになるのもあっという間だ。

「さあ、引き揚げますか。中央線の阿佐ヶ谷駅の向こうにある神明宮の金色の御簾までパールロードの七夕飾りを見ながら帰ろうよ。いろいろあったなあ、もうオジサンにはきつい仕事だ」

 そう言って笑う夏見はポケットのスマホがブルブルと震える。タイマーの設定が始まった。いつもの起床時間だ。それで彼は何かを思い出したようだ。

「しまった」と口走る夏見。

「どうしました」と歌恋。

「栄華ちゃん、カンカンだよ。きっと角が生えているかも」となんとも渋い顔だ。

「でも時空を超えてメッセージなんかこないでしょう」と歌恋。

「時代を戻った時が怖いのさ」と苦笑いの夏見。

「まあ、おかわいそうに。すっかり飼いならされちゃって」と可愛い皮肉の歌恋。自分に振り向いてくれなかった男性への軽いジャブである。

「それとも私とどっかに逃げちゃいます?」と意味深な甘えた目を見せる歌恋。腕を絡める。

 あわててその腕を振り払い歌恋から離れる夏見。

「これ以上面倒事はごめんだよ!」と渋い顔の夏見。

「いくじなし……なあんて」と(つの)口のあとで冗談をほのめかす歌恋。

「本当に冗談かしら?」と一念の疑惑を持つフランソワ。十人十色の思惑でタイムゲートを目指す一行。

 この思惑通り、実際に金色の御簾を越えた後、現代に戻った時、『こんな時間までなにをしていたんですか』の文面に癇癪マークの連発が送られていたが、それはまた後の話だ。


 誰もいないアーケードを神明宮方面へと歩く。アーケードの天井にはおなじみのはりぼて造りの七夕飾りが数多く吊り下がっている。


 話が終わると夏見は「で、お姉さんを遠くからでも見れたことはよかったかい?」と訊ねる。

 雅之は「はい、姉はちゃんと恋愛して心通い合った男性と結ばれていたんだな、って思いました。両親は生前あの子は恋もせずに不憫だっていってましたけど、それは誤解でした。思ったより幸せで充実した日々を送っていたんだなと確認できました。しかも人のお役に立っていたのならなおさらです」と少し柔らかい眼差しで頷いた。

「それは何よりだった。幸せの基準は人それぞれだけど、彼女に一番愛された弟の君がそう思ったのだから真実に近いと感じるね」

「はい」

「さて今回は何にも役に立たなかったけど、阿佐ヶ谷の金色の御簾を皆に教えるという役目が出てきて、ようやく自分のいたことに意味があった」と自虐の夏見。

「そんなことないですよ。私は心強く感じました。桜ヶ丘御師、健在って感じでした」と歌恋。

「うんうん」と頷くフランソワ。

「そうですよ。私たちも新居の候補地に阿佐ヶ谷を加えてみます」と陽菜。

「本当に?」という夏見。

「そりゃ、夏見さんの存在価値をかけてのことですから検討しますよ」

「おお、役に立った。阿佐ヶ谷御師もできる日はそう遠くない」


「歌恋は歩きながら意味ありげに、そういえばパンジーの花言葉って何だったかしら?」と夏見に訊ねる。

 当然そんなもの知らない夏見は「さあ?」と小首を傾げる。

 気を利かせた陽菜が電子辞書で調べる。

「『私を思って』ってですね」と余計な入れ知恵をした。

「あら、そうだったのね」と空々しく天井を見ながら言う歌恋。勿論ワザとだとすぐにフランソワにはわかった。

「もう歌恋ちゃん!」

 この一連の行動、やりすぎの感じがする歌恋にフランソワはほっぺをつねった。

「ごふぇんなざい」と笑いながらの謝りを入れる歌恋。フランソワには敵わないようだ。


 中央線のガードを越えるともうすぐ阿佐ヶ谷の神明さまだ。四人と一柱(ひとはしら)は夜明けの街を神明宮に向けて楽し気に歩いていた。


                                   ー了ー

『時神と暦人3⃣ 御厨に流れる時間物語』

「第1話 ♪オールドローズとプレイエルのピアノ」


『時神と暦人4⃣ 伊勢の時間物語』

「 第6話 ♪番外編・幸運のライラックと友情-熱田の出会い-」


『思い出の『潮風食堂』-不思議な味どころ-』

「∞第十一話ダース君とファッジとミュージカル・スター」


『思い出の『潮風食堂』Ⅲ』

「∞第三話 花菱の効力-恵方巻き-」


(以上の四作品からの登場人物で構成された新作です)




参考文献・映像資料(説明註含む)


ウィリアム・シェイクスピア(著) 福田恆存(訳)『夏の夜の夢・あらし』 新潮文庫 昭和46年(平成28年)


ライマン・フランク・ボーム(著)武田正代 山形浩生(訳)『オズの魔法使い』 Open Shelf(https://open-shelf.appspot.com/TheWizardOfOz/index.html)


※『Open Shelf』 サイトは、著作権の切れた海外名作文学を有志が翻訳してアップしているもの


『雨に唄えば』 監督ジーン・ケリー スタンリー・ドーネン 出演ジーン・ケリー ドナルド・オコナー デビー・レイノルズ 製作MGM 1952

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