第二十四話:ラスト・フラグと最後の鏡の連鎖
天后の清廉な水の波紋が消え去り、静寂を取り戻した美術室。床に倒れていた美術部員たちが小さくうめき声を上げ、脳内メモリの正常なリブート(意識回復)を始めた。
そのなかで、真っ先にむくりと上体を起こした新一年生の弓削が、自分のブレザーについた血の涙の跡を見て、一瞬にして網膜のOSをパニック(混乱)に陥らせていた。
「……あ、あれ? 私、一体何を……」
「弓削、大丈夫か? もう怪異の精神ハックプログラム(呪い)は完全に消去したから安心しろ」
博雅がその太い腕を差し出し、いつになく爽やかなイケメンパッチ(笑顔)を起動させて語りかける。
差し出されたその大きな手を見た瞬間、弓削は自分のブレザーの裾をぎゅっと握りしめ、顔を一瞬にして夕焼けのネオンのように真っ赤に染め上げやがった。
「あの……また、助けていただいて……っ」
弓削は上目遣いで博雅を見つめながら、蚊の鳴くような音声ログで完全にハートマークの常駐ハック(一目惚れブースト)を再起動させていやがった。
俺はイーゼルの横に気怠く寄りかかり、半分も吸ってねえタバコを指に挟みながら、心底呆れ果てた目でその青春のテクスチャ(光景)をスキャンした。
「……お前、ホンマに初期の運勢パラメーターがバグりすぎやろ」
おいおい、マジかよ。昨日の放課後の十三階段に続いて、人体模型に今度は今日の昼休みにこの美術室だぞ?
新学期が始まってまだ数日だってのに、学校の特級バグセクターにピンポイントで強制ログイン(遭遇)させられた挙句、助けられるたびに同じ男に惚れ直すなんて、どんなバグった恋愛シミュレーションプログラムを走らせてんだよ、ホンマによー。
俺が最高に気怠いツッコミ(ぼやき)を吐き散らしていると、隣でずっとタブレットの画面をスキャンしていた有世の瞳が、絶対零度まで一瞬でフリーズ(凍りつき)した。
「――晴明先輩、博雅先輩! ラブコメの常駐プログラムを回している猶予は、本当に一ビットも残っていません!」
有世がタブレットの画面を俺たちの網膜へと突きつける。画面のマップ、旧校舎の最深部を指し示す座標が、これまでに見たこともない真っ黒なエラーログ(切迫した波形)を点滅させていやがった。
「有世!? 嘘やろ、まだ昼休みのリソース(時間)すら残っとるぞ」
「ダメです、美術室の肖像画がタスクキルされたログをトリガーにして、地脈の底のシステムが完全に暴走を始めました! 二十四時間サイクルどころか、数分のインターバルすら完全にゴミ箱へデリートして……今まさに、最後のバグ【第七の不思議:旧校舎の合わせ鏡】が、最大出力で強制起動をかけましたッ!!」
「――っ、何やて!?!?」
有世のその緊迫した叫びが美術室のトラフィックに同期された瞬間、俺、博雅、あるいは道満の脳内OSに、ぞくっとするような最悪の戦慄のコードが走り抜けた。
「……チッ、一服する猶予も、焼きそばパンを完食する猶予もくれへんのかよ! 行くぞ道満、博雅、有世、弓削!
学園の地脈が丸ごと過去のバグログにオーバーレイ(上書き消去)される前に、俺たちの手で、その最後の特級エラーコードを根こそぎ一括強制終了したるわッ!!」
俺はジッポの蓋をパチンと激しく閉めると、まだ火のついたままのタバコを床の残骸と一緒に踏み消し、世界の終わりを告げる不気味な黒いノイズが噴き出す旧校舎の暗黒ドメインへと向けて、全員で三度目の猛烈なスプリントを開始した。




