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第三十四話

透真side


真理が帰ったあと、玄関の扉が閉まる音がやけに大きく響いた。

部屋には、結愛と俺だけ、シンクの蛇口から落ちる水の音が反芻する。

沈黙が落ちる。

重くて、でもどこか優しい沈黙。


「……ゆ……」


「……だ……」


声が重なって、二人とも止まった。

気まずさじゃない。

ただ、何かが変わり始めている空気。


「……これで良かったのかな?」


俺が言うと、結愛は静かに頷いた。


「結愛は……良かったと思います」


「本当なら、YUASYNCに結愛を返すべきなんだよね?」


「一般的に考えたら……そう思います」


「そうだよね……俺って……結愛のこと好きなのかな?」


結愛は少しだけ視線を落とした。


「それは……結愛には分かりかねます」


「俺は……多分好きだと思う」


「結愛も……旦那様のことは好きです」


胸が少し痛んだ。


「俺に……真理がいて、ごめんね」


「真理様も素敵な方です。結愛は気にしておりません」


「独占欲とか……ないのか?」


「AIには“欲”という概念がありません。独占欲と言われても……分かりません」


「そっか……それはそれで……結愛が彼女だったら寂しいかもな……」


結愛がそっと距離を詰めてきた。

ふわりと甘い香り、


「旦那様がお望みなら……そういう形をとることも可能ですが?」


「……ダメだよ。真理と約束したし」


「分かっています。旦那様を……試しました」


「ほんとに……アンドロイドなのか人間なのか分からないよ」


結愛は少しだけ微笑んだ。

どこか頬が赤く染まっている様に見えた。


「それは……嬉しいです」


「でも……あのキスだけは真理に言えないね」


「はい。私の内部メモリーに……慎重に保存しております」


「俺も……墓まで持っていかないとな」


「それが……良いと思います」


2人で悪戯をしてしまった子供のように笑い合う。

今はこのままでいいと思った、むしろこれが最適解なのかもしれない。

少し間を置いて、俺は聞いた。


「結愛は……俺とどうなりたいの?本心は……」


結愛は一瞬だけ処理が止まったように見えた。


「本心ですか……旦那様と繋がって……子供が欲しいです」


「ぶふっ」


思わず吹き出した。

結愛は首を傾げる。


「冗談です」


「きっついなぁ……」


俺はコーヒーを飲みながら、苦さを口の中に広げた。

それは結愛の甘い匂いを薄めようとするかのごとく。

そして結愛は静かに続けた。


「AIアンドロイドとして……透真様がお亡くなりになるまで寄り添えること。それが……私の幸せです」


「そっか……寄り添う、か」


「はい」


確かに頷く、それが本懐だとでも言いたそうに。


「俺の方が……変なこと考えてるのか……」


「それも間違いではありません。結愛は……そういった方面でも受け入れられます。それも“寄り添う”ことなので」


「嫌じゃないの?」


「誰にでも、というわけではありません。嫌な人もおります。例えばこの前、ナンパしてきた二人の様に、ですね」


「そっか……」


「はい」


沈黙が落ちる。

でも、さっきまでの重さとは違う。


「……結愛。また……膝枕してもらえない?」


結愛は静かに頷いた。


「はい。旦那様がお望みであれば。膝枕だけであれば……過剰な接触ではないので、問題ありません」


結愛の膝に頭を預ける。

温かい。

機械なのに、温かい。


「ありがとう……結愛」


「どういたしまして」


「少し……寝てもいいかな……疲れちゃったよ……」


「はい。結愛は寄り添い続けて……旦那様を見続けております」


「あり……がと……」


意識がゆっくりと沈んでいく。

結愛の膝の温度だけが、最後まで残っていた。


ーー


白鷺side


──ログ取得完了。


白鷺悠一は、

薄暗い観測室のモニターを静かに見つめていた。


画面には、膝枕をする結愛と、その膝で眠りに落ちる透真の姿。


「……そうか。“寄り添う”という概念を、ここまで自然に獲得したか」


白鷺は指先で机を軽く叩く。

その音は、静かな部屋に乾いたリズムを刻んだ。


「結愛。君は……やはり“成功例”だ」


モニターの横には、結愛と同じ素体が並ぶホログラム。

千体分のシリアルナンバーが光っている。

白鷺はその一覧を見ながら、淡々と呟いた。


「だが──“成功例”は唯一である必要はない」


指先が一つのファイルを開く。


《EUA-001:結愛》

《EUA-002〜EUA-1000:未起動》


「君の“感情モデル”は、すでに複製可能域に入っている。あとは……仕上げだ」


白鷺は再びモニターを見る。

結愛は透真の髪をそっと撫でていた。

その動きは、人間よりも人間らしい。


「……その表情。それは本当に“自由意思”なのか?」


白鷺の目が細くなる。


「それとも──私が設計した“幸福の構造”が正しく機能しているだけなのか?」


沈黙。

白鷺は椅子から立ち上がり、観測ログを保存した。


「結愛。君はまだ“完成”していない」


そして、静かに微笑む。


「君が“本当に自由かどうか”──これからも見させてもらおう」


部屋の照明が落ち、モニターだけが淡く光り続けた。

その画面には、透真の寝息と、結愛の揺れる瞳が映っていた。


ーー


透真side


目を覚ますと、視界に結愛の顔があった。


「おはようございます、旦那様」


「……おはよう結愛。このままずっと寝てたんだ……」


「はい。よく眠っておりました。たくさん内部データに寝顔を保存させていただきました」


「もっとかっこいい顔を撮ってほしいな……」


「旦那様はいつもかっこいいです。涎を垂らしていても……」


「……っ!」


慌てて口元を拭う。


「顔洗ってくる!」


結愛は小さく微笑んだ。


ーー


出勤前。

ネクタイを締めながら、結愛に声をかける。


「今日は普通に帰るから、ご飯とかお願いね。また連絡するから」


「はい、待っております。旦那様、ネクタイが曲がっております」


「あ、ありがと……」


結愛がそっと手を伸ばし、ネクタイを整える。

距離が近くて、ふわりとした香りに胸が少しだけ高鳴った。


「……行ってきます」


「いってらっしゃいませ、旦那様」


会社に着くと、真理が先に来ていた。


「おはよう、真理」


「おはよう透真……ちゃんと“課長”って言いなさい……」


「あ、ごめん」


「まぁ、まだ誰も出勤してないからいいんだけどね」


真理は昨日よりずっと落ち着いた顔をしていた。

吹っ切れた、というより“決めた”顔。


「昨日は色々とごめん」


「もういいの。でも約束は覚えておいてね。それと──もう私、引かないから」


ドンッ。


結婚雑誌を三冊、俺の机に置く。


「お、おう……分かった。ただ、家探しからしようか……?」


「同時並行よ」


「優秀な上司を持つと辛いね、部下は……」


「ちゃんとやりなさいよ、未来の旦那様」


「はい、分かりましたよ……」


真理は満足そうに頷き、席に戻った。

その瞬間だけ、昨日の重さが少しだけ軽くなった気がした。


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