第三十五話
エピローグ
──1ヶ月後。
世界は、何事もなかったかのように進んでいた。
YUASYNCのテストも完了したが、結愛はそのままいる事になっている。
世の中には結愛の別モデルが徐々に浸透してきており、このままいけば普及率は30%に届くだろう。
透真の生活も、表面上は平穏だった。
真理は、結婚式の準備を着々と進めていた。
彼女の机には、式場のパンフレットやドレスのカタログが積み上がっている。
「透真、これ次の式場候補ね。あとドレスのカタログも見ておいて」
分厚いファイルが机に置かれる。
透真はげんなりした顔でそれを見つめた。
「……仕事の書類より厚いんですが」
「未来の旦那様なんだから当然でしょ」
真理は当然のように言い、次の資料を開く。
新居の準備も同時進行で進んでいた。
結愛は淡々と図面を広げ、透真と真理の生活動線を計算しながら、自分の部屋の配置を説明する。
「こちらが結愛のお部屋の図面です。旦那様と真理様の生活を邪魔しないよう、“静かに存在する部屋”を目指しました」
「なんだそのコンセプト……」
「静かに、でもひっそりとすぐ近くにおります」
「怖いよね!?」
「旦那様のいつも背後に……」
「暗殺AIアンドロイド……」
「必殺結愛です……」
真理は横で図面を覗き込み、眉をひそめる。
「結愛ちゃんの部屋、私の部屋より綺麗にまとまってない?」
「真理様の部屋は“生活感”を重視しましたので、博多感も出してみました」
「生活感……博多感……情報量多すぎて頭痛くなってきたわ……」
結愛は淡々と頷いた。
「真理様の生活感と方言は旦那様の癒しになると判断しました」
「……褒められてるのかしらこれ」
「まぁ……方言嫌いじゃないけど……」
「すいとぉよ……」
しばらく沈黙が流れる。
「なんか言いなさいよ!」
「旦那様、顔が真っ赤ですと進言させていただきます」
透真は赤面しつつ苦笑するしかなかった。
そして透真の部屋は、真理と結愛の共同監修で決められた。
「透真、あなたの部屋はこれね。“最低限の生活力しかない男の部屋”って感じでまとめておいたわ」
「ひどくない?」
「事実でしょ?」
結愛が補足する。
「旦那様の部屋は“散らかっても崩落して生き埋めにならない構造”にしてあります」
「崩落って言うな」
「結愛が居るので安心して崩落してください、救助いたします」
「結愛ちゃん……どさくさに紛れて透真にキスしようとしてないかしら……?」
真理は肩をすくめた。
「はぁ……、まぁ結婚式も家も順調ね。あとはあなたが逃げないだけ」
「逃げないよ……多分」
「“多分”じゃないの」
結愛が小声で囁く。
「旦那様、真理様は“逃げる”という単語に敏感です。使用は控えめに」
透真はため息をついた。
こうして、三人の生活は“普通に”進んでいた。
あたかも普通に――まだ誰も知らない。
※
そしてある朝。
真理は出勤前の透真に言った。
「透真、今日の朝礼、絶対に遅れないでね」
「なんで?」
「新入社員の紹介があるのよ。……まぁ、見れば分かるわ」
意味深な笑みを残し、真理は先に会社へ向かった。
透真は嫌な予感を覚えながら後を追う。
朝礼。
部長が前に立ち、新入社員を呼ぶ。
「では、新しく我が部署に配属された──結愛さん、前へ」
「はい。本日より配属となりました、結愛です。よろしくお願いいたします」
結愛が前に出てきた。
姿はグレーのスーツ。
透真は絶叫した。
「はぁぁぁぁぁ!?!?」
周囲の社員が振り返る。
真理はこめかみを押さえた。
「そこ、声がデカい」
結愛はにこりと微笑む。
「旦那様、会社では“透真先輩”と呼びますね」
「呼ぶなぁぁぁ!!」
「もう、私語は慎みなさい!」
真理が諫める中、宮坂が爆発した。
「いやぁぁぁぁぁ!!可愛い子が僕の後輩なんて幸せですよぉぉぉ!!」
「宮坂、落ち着け」
「無理です!!天使ですよ!?天使が歩いてるんですよ!?!?」
真理はため息をついた。
「……やれやれ。会社の命令だから仕方ないけど……宮坂君がこれじゃ仕事にならないわね」
透真は頭を抱えた。
「……結愛、本当にここで働くの?」
「はい。真理様の部署で働くよう、会社から命令されました。透真先輩、よろしくお願いします」
「俺の心臓がもたない……」
こうして──
彼らの日常は、また一つ変わった。
結愛が会社に来たことで、何が起きるのかなんて、この時の誰も知らなかった。
ただ一つだけ確かだった。
──この日を境に、三人の日常は静かに形を変えていく。
それが“始まり”だと気づくのは、もう少し先のことだった。




