第三十三話
透真side
家の角を曲がった瞬間、胸がざわついた。
(……なんだ、この嫌な予感)
歩幅が自然と小さくなる。
玄関が見える。
そして──
そこに、二人がいた。
結愛と、真理。
並んで立っていた。
「……ぁ……こんばんわ……」
俺の声が震えた。
ただならぬ空気に気圧される。
結愛が一歩前に出る。
「旦那様……」
その呼び方が、今だけは胸に刺さる。
真理は腕を組んだまま、冷たい目でこちらを見た。
「だんなさま……?あなた達、本当にどういう……まぁいいわ。中で話しましょう」
逃げ道はなかった。
ーー
家に入ると、真理と俺だけが先にカーペットへ座った。
結愛はキッチンへ向かう。
「お茶かコーヒー、どちらがよろしいでしょうか?」
真理はため息をついた。
「正直酔いたい気分だけど……コーヒーでお願い」
「じゃあ俺も……」
コーヒーメーカーの抽出音が、永遠に続くように感じた。
「お砂糖とミルクを……よろしければお使いください」
「ありがと」
「ありがとう、結愛……」
「いえ。当然のことです」
真理が横目で結愛を見る。
「……ふーん」
胸が締め付けられる。
「なんか……ごめん」
真理はゆっくりこちらを向いた。
「ごめん?何が悪いか分かってるの?」
「その……ホテルで……」
「それもそうだけどね。あなたが疲れてるからって勧めた私も悪かったけど……AIよ?アンドロイドよ?この子は、分かってるの?」
「分かってる……つもりだよ」
結愛が小さく手を握りしめた。
「私は──」
「あなたは黙ってて。所詮プログラムされて動いてるだけなんだから」
「……はい」
胸が痛んだ。
「真理……俺だって、そんなつもりはなかった。でも……こいつだって、生きてるんだよ」
「意味わからない……あなた、自分の言ってること分かってる?」
「分かってるよ。俺だって……どうにかなりそうなんだよ」
真理は目を伏せた。
何か思案している様な形で、時間だけが流れていく。
彼女の許しを得る為の時間なのか、なんなのか分からない無限とも思える時間が続いていく。
「はぁ……私だってよく分からないわよ」
そう言って少し冷めたコーヒーを飲んで真理が続ける。
「これから先、結婚して、私だって子供が出来て、あなたに席を譲って……あなたが出世していって幸せな家庭を……って」
真理の目からは涙が滲んだ。
それは彼女の願いで未来への地図だった物、それが無くなるかもしれない。
俺は胸がきゅっとなる。
「ねぇ、やだよ……私透真と別れたくないよ……」
俺は真理の涙を指で拭おうとした。
真理に近付く――
「やめてよ……、透真の中途半端な優しさ……辛いのよ……」
俺は手を止める。
真理と俺との距離が遠い、目の前に居るのに凄く遠く感じた。
「ねぇ、さっきは黙っててなんて言ったけど……結愛でいいの?あなたにも聞かせてほしいんだけど、いい?」
「はい。構いません」
真理は涙を拭って、結愛の方を向く。
きっとこれで答えが出るんだろうと思った。
「あなた、透真の事、どう思ってるの?」
結愛は一瞬だけ処理が止まったように見えた。
「……私もよく分かりません。ですが……旦那様、真理様に寄り添いたいです」
「それを信じろって言うの?」
真理が真剣なまなざしで結愛を見ると、結愛は固まる。
またしばらく、数分が経過したのか、結愛が続ける。
「私は……このテスト次第では破棄されてしまう存在です……ですから、信じてとは言いません、ここで返してしまえば私はスクラップです、でも私に痛みはありません」
結愛の言葉に俺と真理は、しばし固まる。
AIアンドロイドなのに、何故か悲哀を感じる。
「私をスクラップにするのも、このままにするのも……旦那様と真理様がお決めになることです。私はあくまでもAIですから……」
「結愛……」
俺は小さく呟く名前を呼ぶことしか出来ない。
こんな時にどんな言葉を掛けていいのか分からない。
真理は横で深く息を吐いた。
「はぁ……じゃあ聞くけど、結愛はどうしたいの?」
結愛の瞳が揺れた。
身体も少し震えている。
「私は……わた……わたしは……」
「結愛! 無理しなくても──」
「透真は座ってて!これはこの子の問題なんだから!」
その瞬間、結愛の目から透明な液体がこぼれた。
「これは……なんでしょう……お二人と離れることを考えたら……エラーで……分からないです……」
真理はその涙を見て、ゆっくりと目を閉じた。
「……それがあなたの気持ちなのね」
「結愛……」
「私の……気持ち……?」
真理は立ち上がった。
「分かったわよ。透真も、結愛をスクラップにした私を許してくれなさそうだしね」
「真理……」
「ただし。約束、私の透真を奪わないこと。分かった?」
「メモリーの奥深くに……刻ませていただきます」
真理は俺を睨んだ。
「透真も分かった?1ミリでも変な気起こしたら……社会的に抹殺するわよ」
「……はい」
仁王立ちになっていた真理に、俺は何も言えず。
静かに返事をして、その場は終わったのだった。
ーー
真理side
家を出た瞬間、夜風が肌に触れた。
胸の奥がまだざわついている。
歩幅は自然と早くなり、ヒールの音が乾いた道に響いた。
(……もう、何なのよ)
怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からない。
そんな時だった。
「……課長」
振り返ると、宮坂君がいた。
「宮坂君?どうしたの、こんなところで」
「散歩っす。あ、これ飲みます?」
コンビニ袋から缶コーヒーを差し出してくる。
「お酒ないの?」
「ありますけど……いいんですか?」
真理は少し考えて、近くの公園を指さした。
「そこの公園で付き合ってよ」
「仕方ないですね。どうせ“業務命令”とか言うんでしょ?」
「当たり前じゃない」
「……少しは否定してほしいっす……」
公園のベンチに並んで座る。
夜の静けさが、少しだけ心に沁みた。
「それで、課長──」
「今は白河でいいわよ」
「……白河さん。なんかあったんですか?」
真理は缶チューハイを開け、一気に喉へ流し込んだ。
「バカ透真と話してきたわよ」
「まぁ……先輩なんで……」
「仕事の時はハキハキしてるのに、プライベートはからっきし。私と中々結婚してくれないし!」
「結婚も一大イベントっすから……」
私は宮坂君を睨みつけて、缶チューハイの缶をベンチに叩きつける様に置く。
「あなたはどっちの味方なのよ!?」
「僕はみんなの味方っす」
「今だけは私の味方になりなさいよ」
宮坂君は肩をすくめ、観念したように続ける。
「……仕方ないっすね。結愛ちゃんも悪くないし、先輩も悪くないし、ましてや結愛のテスターを勧めた自分がいる。だから怒るに怒れないんですよね?」
私は缶を握りしめた。
中身が少し零れるが、構わず胃の中に流し込む。
「そうよ……この怒り、どこに向けたらいいのよ……?」
「俺でいいんじゃないですか?どうしようもないなら」
「いいの? 殴るわよ?」
「どうぞ。どうせいつもやられてるんで……勢いで……」
私は苦笑する。
冗談で振り上げた拳を振り下ろした。
「それを意識してやったら、私最低じゃないの」
「まぁ、そうなるっすね」
「あなたも大概よね」
「そうっすか?」
私は夜空を見上げた。
星がちかちかと輝き続け、飛行機が軌跡を描く。
「……もうなんかバカバカしくなってきちゃったわよ」
「それでいいと思いますよ。AIアンドロイドが導入されて、これからどんどんおかしくなる。こんなの序章ですよ」
「嫌なこと言ってくれるわね」
「世の流れです」
真理は深く息を吐いた。
「そうね……私も少しずつ噛み砕いて飲み込んでいくしかないのかもね」
「はい。それに先輩、結婚すると思いますよ。真理さん、今度二人で行く時はお酒飲まない方がいいですよ」
「参考にさせてもらうわ……」
身に覚えがあるなと思いつつ、宮坂君を見ると少しだけ笑った。
この子は本当にどこまで見てるのだろう?
「少しは落ち着きました?」
私は飲み干した缶を横のごみ箱に捨てる、そして小さく呟いた。
「……ごめん。少し肩貸してもらえる?」
「どうぞどうぞ」
私は宮坂君の肩にそっと頭を預けた。
夜の静寂の中、今日だけは透真以外に寄りかかりたくてどうしようもなかった。
(今日だけ、今日だけは……また明日からはちゃんとした私になるから……)




