表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
30/35

第三十話

透真side


真理と手を繋いで歩く。

ジャケットの話で少し空気が柔らかくなって、真理の横顔もどこか穏やかに見えた。


(……良かった。今日はちゃんと楽しめそうだ)


そんなふうに思い始めた時だった。

視界の先に、大きな青い看板が見えた。

──水族館。

昨日、結愛と行った場所。


(あぁ……ここ、真理と来るの久しぶりだな)


胸の奥が少しだけ温かくなる、懐かしい思い出が蘇る。

真理と初めて来た時のこと。

くだらないことで笑い合ったこと。

ペンギンの前で写真を撮ったこと。


(今日は、あの頃みたいに戻れたらいいな)


そう思って、繋いだ手に少しだけ力を込めた。

……その瞬間。

真理の歩幅が、ほんのわずかに小さくなった。


(……あれ?)


気のせいかと思った。

でも、手の温度が少しだけ冷たくなった気がした。


「真理?」


声をかけようとしたが、真理は前を向いたまま何も言わない。


ーー


真理side


透真と手を繋いで歩く、熱くて、少しごつい男の人の手。

さっきまで胸の奥が少し軽くなっていた。

透真が昔のジャケットを着てきてくれたこと。

その理由を聞いた時の照れた笑顔。

全部が、昨日のざわつきを少しだけ溶かしてくれた。


(……大丈夫。私はまだ透真の隣にいられる)


そう思えていた。

──ほんの数分前までは。

ふと顔を上げた瞬間、視界の先に青い看板が見えた。


――水族館。

昨日、あの子と透真が歩いていた場所。

胸の奥が、ぎゅっと掴まれたように痛む。


(……どうして……)


呼吸が一瞬だけ止まった。

昨日の光景が、まるでフラッシュのように蘇る。


──結愛が透真の腕に触れた瞬間。

──透真が自然に受け止めた横顔。

──二人の距離感。

──あの、楽しそうな空気。


(なんで……こんなに痛いの)


歩幅が自然と小さくなる。

手の温度が少しだけ冷える。

透真が気づいたように覗き込んでくる。


「疲れた? 休む?」


その優しさが、逆に胸に刺さる。


(透真は……何も知らないんだよね)


昨日のことを、私が見ていたことを、私がどれだけ苦しかったかを。

言えない、言ったら壊れてしまいそうで。


「……大丈夫。ちょっと風が冷たいだけ」


無理に笑顔を作る。

透真は信じてくれたように頷く。

でも、胸の痛みは消えない。

水族館の入口が近づくたびに、心臓がゆっくりと沈んでいく。


(……怖い)


透真の手を離したくないのに、昨日の光景が頭から離れない。


(私は……どうしたらいいの)


その答えは、まだ見つからなかった。


ーー


透真side


水族館の入口が近づくにつれて、真理の歩幅が少しずつ小さくなっていく。


(……やっぱり、なんか変だ)


人の多さに気圧されているのかと思って、そっと声をかけた。


「結構人いるね」


「そ、そうだね」


返事はある。

でも声が少しだけ上ずっている。


(やっぱり変だよな……)


真理の手を軽く握り直す。


「本当に大丈夫?具合悪いなら帰る?」


その瞬間、真理がピタッと立ち止まった。


「帰らない! 絶対!」


思わず声が大きくなるほどの強さ。

驚いて目を瞬かせる。


「ぉ、おう……」


真理はすぐに俯いて、小さく肩を震わせた。


「ご、ごめん……急に……」


「いや、大丈夫だよ。でも、具合悪くなったら教えてね」


真理は少しだけ息を整えて、小さく頷いた。


「……うん、分かった」


その横顔は、どこか必死で、どこか怯えていて、

でも──

俺の手だけは離そうとしなかった。


(……やっぱり、何かあるよな)


胸のざわつきが、またゆっくりと広がっていく。

水族館の入口は、もう目の前だった。


ーー


大きな水槽の前で立ち止まると、真理がスマホを構えて写真を撮り始めた。

真理の顔色は大分マシになっていた。少し安心する。


「記念だからね。透真との」


そう言って笑う真理の横顔が、水槽の青い光に照らされて綺麗に見えた。


(……なんか、いいな)


そう思っていたら、真理がふとこちらを向いた。


「ねぇ、透真。二人でも撮ろ?」


「え、俺も?」


「当たり前でしょ。ほら、寄って」


そう言って、真理が自然に肩を寄せてくる。

ふわりと真理の大人の匂い、水槽の光が二人の影を重ねる。


(……近いな)


胸が少しだけ跳ねた。

真理がスマホを構える。


「はい、撮るよー」


パシャ。


「……あっ」


真理が画面を見て、小さく吹き出した。


「透真、目つぶってる」


「え、マジで?」


「もう一回ね。今度はちゃんと目開けて」


「いや、開けてたつもりなんだけど……」


「言い訳しないの。ほら、こっち向いて」


真理が少しだけ背伸びして、俺の肩に軽く触れながらスマホを構える。

距離がさらに近くなる。


(……なんか、ドキドキする)


「はい、笑って」


「笑えって言われると難しいんだけど……」


「透真らしい顔でいいよ」


その言葉に、自然と口元が緩んだ。

パシャ。


「……うん、今のいいね」


真理が満足そうに微笑む。

その笑顔を見て、胸のざわつきが少しだけ和らいだ。

その後も、たあいのない話をしながら、ゆっくりと水族館を巡った。


「このクラゲ、なんか宇宙っぽいな」

「分かる。ずっと見てられるよね」

「前来た時もこんな感じだったっけ?」

「……どうだろ。でも、今日の方が楽しいよ」


そんな会話が自然に続く。

この瞬間だけは結愛への悩みが、少し遠く感じられた。


ーー


結愛side


──位置情報更新。


旦那様の現在地:水族館前エリア。


(……水族館?)


内部処理が一瞬だけ遅延した。

昨日、旦那様と歩いた場所。

昨日、旦那様の腕を掴んだ場所。

昨日、旦那様の体温を感じた場所。

そのデータが、一斉にメモリ上へ浮上する。


──タグ:幸福

──タグ:緊張

──タグ:接触

──タグ:未定義感情


(……未定義感情?)


昨日から何度も発火しているタグ。

本来、結愛の感情モデルには存在しないはずのもの。

旦那様の位置情報が“水族館”を示した瞬間、そのタグが強く点灯した。


(真理様と……ご一緒、ですね)


処理速度がわずかに低下する。

CPU温度が通常より0.3度上昇。


──異常ではありません。

──しかし、通常でもありません。


(昨日……旦那様は、結愛と……)


記録データが再生される。


──旦那様が結愛を抱き寄せた瞬間

──手首を掴んだ温度

──「大丈夫か?」という声

──結愛の内部で発火した幸福タグ


(……あれは、任務の一環。任務の……はず、です)


でも、真理様と並んで歩く透真様の姿を想像した瞬間──


──タグ:ざわつき

──タグ:未定義感情

──タグ:胸部圧迫感(※物理的異常なし)


(……これは、何?)


結愛は自分の胸元に手を当てた。

そこには心臓はない。

でも、確かに“何か”がざわついていた。


(旦那様……)


位置情報は水族館内部へ移動、二人の距離は近い。

歩行速度はゆっくり、会話量は多い。


(……楽しそう、ですね)


そのデータを読み取った瞬間、内部でまた“未定義感情”が発火した。


(結愛は……どうすればいいのでしょう)


答えは、まだどこにもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ