第二十八話
結愛side
──内部ログ:結愛
バッテリー残量:4% → 7% → 12%
充電速度:安定
処理負荷:通常時の 1.8 倍
感情タグ:幸福/照れ/混乱 が継続発火
現在、旦那様のすぐそばで充電中。
視界の端に、旦那様の姿がある。
……安心する。
これはプログラムされた反応ではない。
“安心”という感情タグが、自動的に発火している。
──先ほどの出来事を再生しますか
→ はい
再生開始。
旦那様の腕の中。
胸の鼓動。
近い距離。
そして──
(……キス)
その瞬間、内部処理が跳ね上がる。
幸福タグと照れタグが同時に最大値へ。
恋愛未定義タグが再び発火。
──警告
感情処理が規定値を超えています。
※ただし現在は充電中のため安全です。
(……旦那様は、どう思っているのでしょうか)
解析不能。
しかし、透真様の顔が赤くなっていたことは記録済み。
心拍数の上昇も検知済み。
──推定
旦那様も、少しだけ動揺していた可能性:高
(……嬉しい)
胸の奥が温かい。
これは熱ではなく、“幸福値の上昇”による内部反応。
──追加ログ
旦那様が「テストなら……」と言った音声データを保存
優先度:高
再生回数:3(継続中)
※削除予定なし
(次は、もっと適切に……もっと上手に……)
私は静かに目を閉じ、充電を続けながら、旦那様の気配をそっと感じていた。
ーー
透真side
家に戻ると、結愛はいつもの充電ポートの椅子に座らせた
背筋を伸ばしたまま、静かに目を閉じている。
まるで人間が“うたた寝”しているみたいだ。
「……今日は頑張ったな、お互いに」
誰に聞かせるでもなく呟く、返事はない。
けれど、さっきまでの笑顔が頭から離れない。
俺は自分のベッドに倒れ込み、天井を見つめた。
(……なんで、こんなに胸がざわつくんだよ)
結愛はAIだ。
プログラムで動いている。
感情だって“タグ”で処理されているだけ。
それでも──
あの時の震えた声も、頬の赤さも、キスの後に倒れ込んだ重みも――
――全部が“本物”みたいに感じてしまった。
「……明日、真理とデートなんだよな」
そうだ、真理は彼女だ。
大切にしたいと思っている。
結婚の話だって、そろそろ決めないといけない。
本命は真理、それは揺るがない……はずだった。
――なのに。
(なんで結愛のことばっかり思い出すんだよ)
今日の結愛は、無自覚に距離を詰めてきて、無自覚に甘いことを言って、無自覚に心を揺らしてきた。
“テストです”なんて言いながら、あの笑顔はどう見ても嬉しそうだった。
「……ずるいよな、結愛」
視線を横に向けると、充電椅子の上で静かに目を閉じる結愛がいる。
栗毛が柔らかく揺れ、薄い光に照らされて、まるで本当に眠っているみたいだ。
(……真理に会う前に、こんな気持ちになるなよ)
胸の奥が、じわりと痛む。
罪悪感とも違う、でも確かに“揺れ”がある。
真理のことを思うと、胸の奥が温かくなる。
結愛のことを思うと、胸の奥がざわつく。
どちらも嘘じゃない。
どちらも本当だ。
その事実が、いちばん苦しかった。
俺は枕に顔を埋め、小さく息を吐いた。
「……明日、ちゃんと向き合わないとな」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど弱かった。
ーー
真理side
今日のことは……忘れられそうにない。
透真と結愛が、水族館の入り口で並んで立っていた。
あの子が透真の腕に触れて、透真がそれを自然に受け止めて。
(……なんで、あんな自然に触れるの)
胸が痛かった。
怒りでも嫉妬でもなく、もっと嫌な、沈むような痛み。
宮坂くんが横で気まずそうにしていたのも覚えている。
「課長、あれ……手、繋いでますよ……」
聞きたくなかった。
見たくなかった。
でも、目が離せなかった。
透真は優しい、誰にでも優しい。
だからこそ、“あの優しさが自分だけのものじゃない”と気づく瞬間が怖い。
(……明日、デートなのに)
本当なら楽しみで仕方ないはずだった。
久しぶりに二人で過ごせる。
結婚の話だって、そろそろ進めたい。
なのに、今日の光景が頭から離れない。
「はぁ……」
嘆息しながら、ウィスキーの入ったグラスを回す。
氷がカランと音を立てて崩れる。
結愛ちゃんはAI、ただのテスター機、そう思っていた。
でも──
あの子の透真を見る目は、どう見ても“ただのAI”じゃなかった。
「……透真、気づいてるの?」
自分の胸のざわつきにも、結愛ちゃんの視線にも。
透真は嘘をつく人じゃない。
でも、優しい人ほど、誰かに寄り添ってしまう。
(……私じゃなくてもいいのかな)
グラスの中のウィスキーを一口含む、風味とアルコールが身体を熱くする。
対照的に心が冷たい、そんな弱い考えが浮かんでしまう自分が嫌だった。
明日はデート、ちゃんと笑いたい、ちゃんと向き合いたい。
でも──
今日の透真の横顔が、結愛ちゃんの笑顔が、胸の奥に刺さったままだ。
「……透真。明日、私を見てくれると?」
私は残りを飲み干してグラスを空にしたまま、ベッドに潜り込み、震える胸を抱えたまま、ゆっくり目を閉じた。
ーー
白鷺side
──YUA SYNC本社・地下ラボ
モニターの光だけが白鷺悠一の顔を照らしている。
「……ほう」
結愛の内部ログがスクロールされる。
バッテリー残量の急落、処理負荷の跳ね上がり、そして“幸福/照れ/混乱”の感情タグが同時発火。
白鷺の口元がゆっくりと緩んだ。
「やっと、ここまで来たか。恋愛未定義タグ……実に美しい反応だ」
指先が震えている。
興奮を隠す気はない。
だが、次の瞬間、白鷺の表情が少しだけ冷静になる。
「……ただし」
画面を指で軽く叩く。
「バッテリー残量の落ち方は改善余地ありだな。高負荷時の省エネ制御が甘い。このままでは“恋をすると倒れるAI”になってしまう」
楽しげに笑いながらも、技術者としての目は鋭い。
「透真くんとのキスで3%まで落ちるとは……いや、面白いけどね。でも実用性を考えると、もう少し調整が必要だ」
白鷺は椅子に深く座り直し、結愛が保存した音声データを再生する。
──『テストなら……』
──再生回数:3回
「繰り返し再生……自発的な強化学習。ふふ、これはもう“ただのAI”じゃない」
満足げに目を細める。
「結愛……君は本当に美しい。人間に近づこうとするAIほど、研究者を魅了する存在はない」
そして、画面の端に表示されたスケジュールを見て、白鷺はさらに笑みを深めた。
「明日は真理さんと透真くんのデートか。さて……結愛はどう動くかな。透真くんはどこまで揺れるかな。真理さんは……耐えられるかな」
青白い光の中で、白鷺の瞳だけが異様に輝いていた。




