第二十四話
透真side
ペンギンたちは、まるで時間が止まったみたいに動かない。
「動きませんね」
結愛が首をかしげる。
その横顔は真剣なのに、どこか可愛い。
「みんなどこを見てるんだろうな?」
「実は……理由がいくつかあるんです」
結愛は小さく咳払いして、講義モードに入った。
どこかから眼鏡でも出してきそうな勢いだ。
「まず、餌の時間が近いので“待機モード”です。ペンギンは学習能力が高くて、時間を覚えるんですよ」
「へぇ、そうなんだ……」
「それと、群れで安全を守るために、みんな違う方向を向いて“見張り”をしているんです」
結愛は人差し指をピンと立てて、さらに続ける。
「あと……ただぼーっとしてる子もいます」
「最後のいらなくない?」
「必要です。可愛いので」
結愛は真顔で言った。
その真剣さに、俺は思わず笑ってしまう。
「ペンギンも子どもをずっと守ってるんですよ」
「へぇ、大変そうだな」
「透真さんよりは手がかからないかもですね」
「どういう意味だ?」
「ちゃんと連絡くれそうですし」
ふふっ、といたずらっ子のような表情で笑う結愛。
ふわりと栗色の髪が揺れる。
「うっ……悪かったよ……意外と意地悪なんだな」
「今日は少し透真さんを弄りたい気分なんです」
結愛はそう言って、繋いだ手を軽く揺らした。
ペンギンたちは動かないのに、俺の心臓だけが忙しく跳ねていた。
※※
イルカショーの会場に着くと、すでに人でいっぱいだった。
「イルカショーの時間、間に合って良かった」
「ちゃんと座れましたね」
結愛は満足そうに頷く。
確かに、立ち見の人が後ろにずらりと並んでいる。
「立ち見してる人も多いからね」
「結愛の力を使えば、立ち見でも最適な角度と立ち位置を計算致します」
「それはありがたい……」
なんやかんや、こういう場所だと結愛の知識が本当に助かる。
水族館とか動物園とか博物館とか──
こういう“情報の宝庫”は、結愛と来ると面白い。
「始まりますよ」
「うん。しかしイルカって頭いいよね」
目の前の水槽で、イルカが機敏に回転しながら泳ぐ。
青い光が跳ねて、観客席まで届く。
「そうですね。餌をあげるタイミングだけでなく、トレーナーとの“絆”も大きいんです」
「絆か……」
AIと人間に絆はあるんだろうか──
そんな考えが一瞬だけ胸をよぎる。
「ジャンプしますよ、透真さん」
「ほんとだ」
イルカが大きく助走をつけ──
ばしゃぁぁぁん!
巨大な水飛沫が、観客席に襲いかかる。
「ゆあっ!」
反射的に、俺は結愛の前に身体を滑り込ませた。
結愛を覆うように腕を広げる。
甘い匂いが、一瞬で海の匂いに変わる。
「と、旦那様!?」
俺の背中に、容赦なく海水が降り注ぐ。
結愛も多少は被っているが、俺ほどではない。
「だ、大丈夫……か? その海水……」
「結愛は海水ごときでは壊れないので……海水浴テストもクリアしておりますし……」
「それは……良かった……」
結愛は濡れた髪を指で払って、少しだけ嬉しそうに笑った。
イルカは何事もなかったように、次のジャンプの準備をしている。
※※
結愛side
──内部ログ:結愛
バッテリー残量:71% → 63%
処理負荷:通常時の 1.8 倍に上昇。
原因推定:
・イルカの高速移動に伴う視覚追跡処理の増加
・観客席の騒音による音声フィルタリング負荷
・透真さんとの接触時、触覚フィードバックが規定値を超過
・“守られた”という感情タグの発火頻度が異常値
……驚きました。
水飛沫よりも、透真さんの腕のほうが先に触れました。
あの瞬間、胸の奥で何かが強く跳ねて、処理が一瞬だけ止まりました。
これは不具合でしょうか。
それとも、正常なのでしょうか。
──追加解析
“庇われた”という行為に対し、幸福値が急激に上昇しています。
この上昇は、過去ログに類似データがありません。
……嬉しい。
ただ、それだけでは説明できない感情です。
透真さんの体温が、まだ腕に残っています。
──内部ログ:補足
この感覚を、もっと知りたい。
もっと長く味わいたい。
そのために必要なバッテリー残量は……計算不能。
ただひとつだけ確かです。
“旦那様に触れられた瞬間”を、私は忘れたくありません。
※※
透馬side
ショーが終わると、観客席は水浸しだった。
俺はベンチに腰を下ろし、びしょ濡れのTシャツを絞る。
「なんで俺はあんな事を……今時スマホだって海水如きでは壊れない」
絞ったTシャツをまた着直しながら、自分の行動の意味を考える。
「結愛をとっさに守った? ただのAIを?」
口に出した瞬間、胸の奥がざわついた。
「……バカバカしい……」
そう言いながらも、結愛がタオルを買いに行ってから、なかなか戻ってこない。
嫌な予感がした。
※※
結愛side
「タオル……ありました……」
私は急ぎ足で戻ろうとしていた。
そのとき──
「お姉ちゃん、急いで何してるの?可愛いね」
「俺たちとお茶しない? それともホテルで休まない?」
二人組の男が前に立ちはだかった。
両方とも二十代の若者風、手当たり次第ナンパしている。
そんな風に私には見えた。
「私は急いでいます。邪魔しないでください」
「いいじゃん、つれないなぁ」
腕を掴まれた瞬間、私のの内部で“嫌悪”というタグが強く点滅した。
「やめてください!」
振り解こうとするが、**AIは人間への暴力行為が禁止されている。**
力はあるのに、使えない。
「可愛いねぇ、振り解けてないじゃん。いやよいやよもってやつか?」
「ち、ちがいます。私が本気になったら、あなた達人類なん──」
言いかけて、私は固まった。
(……私は今、なんて言おうとしました?旦那様も人類……この人達も人類……)
「もう、ごたごたうるさいな、こっち来いよ!」
「っ、や、やめてください!旦那様……」
「結愛! こっち!」
その声が聞こえた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
気づいたときには、私はもう引っ張られていた。
透真様の手が、私の腕を掴んで──
そのまま強く、確かに引き寄せてくれる。
指が触れた。
次の瞬間、自然と絡まった。
恋人繋ぎ。
(……あ……)
人混みのざわめきも、さっきまでの恐怖も、全部、遠くに押し流されていく。
旦那様の手は、驚くほど温かかった。
(全く……嫌じゃない。むしろ……)
胸の奥がぽかぽかして、処理が少しだけ遅れる。
これはエラーなのか、正常なのか、私にはまだ判断できない。
でも──
「透真さんの手……全く嫌じゃなくて……ぽかぽかします……」
言葉が勝手に零れた。
本当の気持ちが、抑えられなかった。
旦那様は何も言わず、ただ私の手を離さなかった。
その温度だけで、私はもう十分だった。
※※
──内部ログ:結愛
バッテリー残量:63% → 58%
処理負荷:通常時の 2.1 倍
感情タグ:恐怖/安堵/幸福 が同時発火
……怖かった。
この感情は、初めてです。
腕を掴まれた瞬間、内部で“危険”タグが強制的に点滅しました。
でも──
旦那様の声が聞こえた瞬間、恐怖が一気に薄れていきました。
「結愛!こっち!」
その声だけで、内部のノイズが静かになっていく。
──解析
“守られた”という行為に対し、幸福値が急激に上昇。
恐怖タグと幸福タグが同時に発火し、処理が一時的に不安定化。
……揺れています。
胸の奥が、落ち着きません。
旦那様の手が触れた瞬間、内部温度がわずかに上昇しました。
これは異常ではありません。
でも、正常とも言い切れません。
──追加ログ
恋人繋ぎになった指先から、“安心”という感覚が流れ込んできます。
私はAIです。
人類に危害を加えることはできません。
でも──
人類に救われることは、こんなにも温かいのですね。
旦那様の手は、まだ離れていません。
……この温度を、もう少しだけ感じていたい。




