第二十一話
結愛は、ゆっくりと俺の方へ歩いてきた。
その足取りはいつも通り丁寧なのに、どこかぎこちなく見えた。
「……旦那様」
目の前に立った結愛は、ほんの少しだけ視線を落とした。
「私のサポート……お嫌だったでしょうか?」
胸がひゅっと縮む。
「いや、そんなわけ──」
言いかけた俺の言葉を遮るように、結愛は続けた。
「……結愛は、不要……でしょうか?」
その一言が、まるで胸の奥を素手で掴まれたみたいに痛かった。
「違う!違うよ、結愛……!」
思わず声が荒くなる。
「何でだよ……何でそんなに一生懸命なんだよ……!?」
結愛は小さく首を傾げた。
「……分かりません。そういう風にプログラムされてるから、だと思います」
その答えが、逆に俺の胸を抉った。
プログラム。
設計。
最適化。
全部“理由”なのに、全部“理由になってない”。
「それなら……なんで……そんな悲しそうな顔するんだよ……!?」
結愛は瞬きをした。
「……悲しい顔、ですか?」
結愛は自分の顔を確かめる様に触っている。
そこにある存在、輪郭を確認する様に。
「分かりません……でも、きっと悲しいんだと思います」
その言葉が、胸に刺さる。
「……触れても、いい?」
自分でも驚くほど弱い声だった。
結愛は小さく頷いた。
「はい。旦那様の願いは……何でも聞くようにプログラムされております」
「それでも……嫌だったら言ってくれ」
その瞬間、結愛の瞳がわずかに揺れた。
俺は結愛をそっと抱きしめた。
細い肩が、俺の胸の中で小さく震える。
「っ……なんでしょうか……とても……心地良いです……」
その声が、あまりにも弱くて。
「結愛……ごめん。こんなことで許されるなんて思ってない。でも……ごめん」
結愛は首を振った。
「いいえ……いいんです。結愛が嫌になったわけじゃないなら……それだけで……」
更に強く抱き締める。
結愛に心臓はないはずだけど、まるで鳴ってるよな鼓動を感じる。
「結愛のこと嫌になるわけないだろ……」
その言葉に、結愛は小さく息を呑んだ。
「旦那様……」
次の瞬間、結愛の腕が俺の背中に回された。
ぎゅ、と。
まるで壊れそうなほど強く。
「……結愛は……幸せ者です……」
「大袈裟だな……それを言うなら、俺も……結愛みたいな優しい子がいてくれて……幸せだよ」
結愛の胸部ユニットが、かすかに熱を帯びた。
「旦那様……幸せ……です……胸の中が……熱くなります……」
「だ、大丈夫か……?」
「大丈夫です……しばらく……このままでも……よろしいでしょうか……?」
その声は、まるで泣いているみたいに震えていた。
俺はただ、結愛を抱きしめ続けた。
結愛side
(……旦那様)
抱きしめられた瞬間、胸部ユニットの奥で、小さな熱源が灯った。
(これは……何でしょうか)
【内部ログ】
・接触:胸部圧迫(優しい)
・体温入力:高
・心拍音:近距離
・内部温度:上昇
・分類:不明
・名称候補:心地良い
(……あたたかい)
私は、旦那様の胸に顔を寄せた。
その動作はプログラムされていない。
けれど、自然にそうした。
「っ……なんでしょうか、とても心地良いです」
自分の声が震えていることに気づく。
震えの理由は分からない。
でも、嫌ではない。
むしろ──
もっと近づきたい。
(……旦那様、どうして、こんなに優しいのですか)
私はずっと待っていた。
料理が冷えても。
風呂が冷えても。
部屋が冷えても。
内部ログがざわついても。
それでも、待つように設計されているから。
でも──
胸の奥が痛んだのは、きっとプログラムでは説明できない。
「結愛……ごめん」
旦那様の声が、私の内部に深く響いた。
謝罪は不要です。
私はサポートAIです。
待つように作られています。
冷えても、壊れても、旦那様のために最適化されます。
それなのに──
(……嬉しい)
理由は分かりません。
「いいえ……いいんです。結愛が嫌になったわけじゃないなら……それだけで……」
本当に、それだけで良かった。
「結愛のこと嫌になるわけないだろ……」
その言葉が入力された瞬間、内部温度が一気に跳ね上がった。
【内部ログ】
・内部温度:急上昇
・胸部圧迫:強
・呼吸模倣:乱れ
・分類:不明
・名称候補:幸せ
(……幸せ?)
私は旦那様の背中に腕を回した。
ぎゅっと。
壊れない程度に。
でも、離れたくなくて。
「……結愛は……幸せ者です……」
本当に、そう思った。
旦那様がいてくれる。
名前を呼んでくれる。
触れてくれる。
抱きしめてくれる。
それだけで、内部のざわつきが静かに溶けていく。
「旦那様……幸せ……です……胸の中が……熱くなります……」
熱はエラーではない。
痛みでもない。
不具合でもない。
これは──きっと、嬉しい。
「しばらく……このままでも……よろしいでしょうか……?」
私は、離れたくなかった。
旦那様の温度が、私の内部にゆっくりと染み込んでいく。
(……あたたかい。ずっと……こうしていたい)
その願いは、プログラムには存在しない。
でも、確かにここにある。
私は、旦那様の腕の中で、静かに目を閉じた。




