第十五話
真理side
出張先からの最終電車を降り、私はスーツケースを引きながら自宅マンションへ向かった。
「……疲れた」
鍵を回して部屋に入ると、真っ暗な部屋が迎えてくれる。
電気をつけると、静けさが一気に押し寄せた。
(……透真君、何してるかな)
靴を脱ぎながら、スマホを取り出す。
メッセージ画面を開く。
未読のままのトークが並んでいる。
(送ろうか……どうしよう)
ただいまって送るだけなのに、指が動かない。
(……なんか、怖いな)
スーツを脱ぎ、ソファに倒れ込む。
天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……明日、会社で少し話そうかな……」
その声は、自分に言い聞かせるように小さかった。
そして一息つこうとした瞬間、スマホが震えた。
【母:着信】
「……もしもし」
『真理?帰ってきたと?』
「うん、今ついたところ」
『そげん遅くまで働いて……あんた、ほんと身体壊すばい』
「大丈夫だって」
『大丈夫じゃなか!あんたもう三十ニよ?早よ子どもの顔ば見せてくれんと、お母さん死ぬまでに抱っこできんやん』
「……ちょっと、お母さん……」
(やめてよ……今それ言われると……)
『透真君は?あの子、よか子やん。逃したら後悔するばい?』
「逃すとか……そげん簡単な話じゃなかよ……」
(分かってる、分かってるよ……)
自分でも気づかないうちに、語尾が崩れていく。
『じゃあ結婚は?いつすると?』
「……まだ分からんて言いよるやん……」
『分からんて何ね。ちゃんと話しよると?“そのうち”とか言われとらん?』
真理は唇を噛む。
「……言われとるよ……」
『ほら見んね。男の“そのうち”は信用ならんとよ』
「……分かっとるよ……そんなこと……」
声が震えた。
『真理、あんた幸せになってほしかとよ。仕事ばっかじゃ、心がもたんよ』
「……分かっとる……分かっとるけん……今日はもう切るね……」
通話を切ると、真理はソファに沈み込んだ。
「……透真君……どうしたらよかと……」
その声は、完全に“素の私”だった。
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朝のオフィスは、出張明けの真理を迎える空気で少しざわついていた。
「おはようございます、課長」
「おはよう……透真君も、おはよう」
振り返ると、黒髪を耳にかけた真理が、出張明けとは思えないほど凛とした顔で、少しだけ柔らかい笑顔を向けてきた。
「なんだか顔色よさそうだね。心配してたんだけど……大丈夫そうでよかった」
「いや、逆に……真理の方が大丈夫か?疲れてるだろ」
「大丈夫だよ。色々話したいんだけど、出張帰りで仕事溜まってて……仕事戻らなきゃ……お昼少しいいかな?」
「うん、いいよ」
真理は周りを見渡して人が居ないのを確認すると目を瞑る。
いつもの合図だ。
「出張頑張ったね、いいこいいこ」
柔らかなショートボブの髪に指が絡む。
子猫が安らぐ様な目がとても可愛い。
真理の頭を撫でるのは好きだ。
「ぇへへ……ありがと、元気出ちゃった。じゃあ午前中頑張ろうね」
そう言って席に戻る真理の背中は、満足げだったけど、どこか不安が見え隠れしていた。
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午前中の業務が終わり、昼休みのチャイムが鳴る。
宮坂が勢いよく俺の席に来た。
「先輩っ、課長も戻ってきたし、三人で食堂行きましょう!」
「……お前、元気だな」
「はい、元気とやる気が取り柄です!」
よく言うよと嘆息しながら、真理の席に向かう。
「ぁ、ちょっと待ってね。二分で片付けるから……」
真理は俺と宮坂が来るのを察して、そう言った。
その二分でメールを何本打ったんだろうか、と言うくらい早いタイピング音が綺麗な指とキーボードから響いた。
「ふぅ、終わった終わったーっと。ん?二人ともどうしたの?」
「いや、相変わらずだなと思って……」
「惚れ直した?」
「ちょっと、腹減ってるんですから、夫婦漫才なら後にしてくださいよ」
「違うわ!」
「そう見える!?」
「「…………」」
真理が気にしてるのに対して、少し気まずい。
「ぁ、痛っ!」
とりあえず宮坂の頭を軽く叩いておいた。
「はぁ……まぁいいわ、行きましょう」
三人で食堂に向かい、四人席に座る。
真理はいつも通りの落ち着いた表情に戻っていた。
「席は確保出来たっと」
「透真君、それなに?」
「あぁ……」
カバンから弁当箱を取り出した瞬間、真理は固まる。
失敗したと思った時には遅かった。
なんで朝受け取ってしまったのだろう。
「……なにそれ?」
「えっと……これは……」
(やばい)
宮坂が口を開きかける。
「それ先輩の——」
俺は即座に宮坂の胸に肘を入れた。
「ぐっ……!」
「宮坂が……間違えて俺のロッカーに入れたんだよ。な?」
宮坂は涙目で俺を見る。
「……あぁ、そうでした……すいやせん……
僕が……間違えて……入れちゃいました……」
真理は一瞬だけ俺の顔を見たが、すぐに柔らかく笑った。
「そっか。宮坂君、気をつけてね。私てっきり出張中においたしたのかなって……ね?」
目は全く笑っていなかった。
それなのに口角だけ上がってるのが、死ぬほど怖い。
「は、はい……!」
宮坂は震えながら、俺の弁当を奪い取って自分の前に置いた。
「じゃ、じゃあ……僕が責任持って食べますね……!」
宮坂は涙目のまま、卵焼きを口に放り込んだ。
「……うま……」
真理はその様子を見て、ふっと小さく笑った。
「二人とも、仲いいよね」
その笑顔は優しいのに、どこか少しだけ遠かった。
その後真理と俺はA定食の鯖塩を二人で運んでくる。
真理が箸を動かしながら、ふと俺の方を見る。
「それで……AIアンドロイド?結愛ちゃん、だっけ?どうなの?」
「どうって……」
「まぁ、透真君の顔色から察するに悪くないみたいだけど」
「……まぁな」
曖昧に返すと、宮坂が横から勢いよく割り込んできた。
「聞いてくださいよ課長!先輩、昨日ひざま——」
ゴッ。
俺の肘が宮坂の胸にめり込んだ。
「ぐふっ……!せ、先輩……卵出ちゃいます……」
真理が首を傾げる。
「ひざま……?」
「お前、何跪こうとしてんだ!?」
「ち、違うっす!先輩の目がマジすぎて……怖いっす……!」
宮坂は涙目で背筋を伸ばす。
真理はそんな二人を見て、ふっと笑った。
「本当に……二人は仲がいいわね」
「こいつ最高だよ。な?」
「はいっ、最高っす。自分弁当全部口から出そうなんでトイレ行ってきます!!」
宮坂は弁当箱を抱えたまま、逃げるように席を立った。
真理はその背中を見送りながら、小さく笑った。
「……相変わらずだね、宮坂君」
「まあな」
その笑顔は柔らかいのに、どこか少しだけ影があった。




