第8話:聖女の箱庭
ヤキトリの最後の一口をゆっくりと飲み込み、彼は満足げに溜息を吐いた。
彼の視線は、皿に残った串の山から、ヤキトリの美味しさにうっとりと無防備に頬を緩ませているオトの顔へとゆっくり移る。
…この女だけだ。『汚染』されていないのは。
彼は視線を落とし、空になった皿を睨みつけながらこの国の歪な構造を反芻した。
聖女召喚。それは彼女たちの救済などではない。この世界を守るためだけに女神が作り上げた、精巧で無機質な『エネルギー供給システム』だ。
そして、この巨大な大聖堂は、聖女たちを効率よく飼い慣らすための、美しくも残酷な箱庭。
《聖女は常に幸福でなければならない。その純粋な幸福感こそが、世界を維持する魔力の源となる》
それが女神の作った我らの世界の絶対的なルールだ。
さらに徹底しているのは、彼女たちから『特定の誰かを愛するという機能が削ぎ落とされている』ことだ。
恋愛感情という美しくも不安定な執着は、外の世界への渇望を生みシステムを乱すノイズになる。だからこそ彼女たちは、博愛という名の笑顔を誰にでも等しく振りまき、ただ『今が一番幸せ』だと疑わずに信じ込んでいる。
この唾棄すべき設計図を知っているのは、女神と王族のみ。
そして、彼もまた、その『知る側』の人間。
彼は、不自然に愛を奪われシステムの一部として摩耗していく聖女たちの姿に耐えかね、騎士団の死神の仮面を被り戦場へと逃げ出したのだ。
彼にとって大聖堂は聖域などというものではなく、女神のお人形たちの展示場に過ぎなかった。
彼女たちは大聖堂の外がどうなっていようが欠片も気にしないよう操作されている。なので、そのシステムの外である彼ら騎士団に特に興味を持つことはない。
かつて持っていたはずの、前世の世界を懐かしむ心や、家族や友を失った感情を『不要なノイズ(いらないもの)』として削ぎ落とされても、彼女たちはそれを知らずに花の咲くような笑顔で日々を謳歌する。
意志を持たず、愛すら知らず、幸福という名の魔力を絞り取られる、高貴な家畜。
それが、彼自身の血筋が守り続けてきた『聖女』の正体だ。
……だが、この54番目はどうだ。
彼は、何か戸惑ったようにこちらを伺うオトを無言で見つめる。
彼女だけは、深夜に隠れて米を炊き、元の世界の味を再現しようと躍起になり、あろうことか『死神』である俺に平然と飯を振る舞っている。
何より、この箱庭の外側にまだ見ぬ食材が広がっていることを、その強欲な胃袋で知ろうとしている。
「…オト。貴様、やはりただの聖女ではないな。」
立ち上がり、彼女の頭にゴツゴツとした大きな手を置いた。
「あいたた! え、あ、ありがとうございます……?」
夜の廊下を歩く足取りはいつになく軽く、彼は静かに決意を固めていた。
オト。貴様をただのシステムの一部で終わらせるつもりはない。この呪われた箱庭を壊す鍵は、案外そのフライパンの中にあるのかもしれんな。
彼の瞳の奥で、小さな、しかし消えることのない火が灯り始めていた。




