第78話:慈しみの夜、忘れ得ぬ絆
その夜、トヨは眠り続けるアイの部屋にいた。
朝はおはようのため、王の妻としての公務の後にはおやすみを言うために。
トヨとアイが親子として過ごせたのは5年ほど。
その間はアイの母として、優しく、時に厳しく愛を注いでいた。いつこの日が来ても良いように。
椅子に腰掛け、アイを包む黄金の繭の優しい光を見つめるトヨに、そっと部屋に入ってきたクライドが声をかけた。
「トヨ、やっぱりここにいたんだね。」
トヨはふたりに優しく微笑む。
「クライド、レイ。ええ、アイにおやすみを言うためにね。母はここにいますよって。」
トヨは繭を見つめながら、呟くように言葉を紡いだ。
「ロイエンタールは以前魔王に言われたそうよ。アイの目覚めは何年後になるか分からないって。でも私はアイを見守りたいのよ。ここで、ずっとね。」
「……トヨ、そのことなんだけど……」
クライドは彼女の目をまっすぐに見つめ、その決意を告げた。
「僕たちはアイとともに行くよ。」
その言葉に驚き目を見張るトヨ。
「……っ、クライド!それはあなたの人生を失うということなのよ!」
神託の聖女であるトヨには分かっていた。アイが人間ではなく女神として世界を司ることはどういうことなのかを。クライドはその永遠の孤独の道連れになるというのか。
「僕にはレイがいる。」
振り返ってレイを見つめるクライドの瞳には慈しみの光があった。その視線にレイは目で頷き、微かに微笑む。
クライドはトヨに向き直った。
「僕はアイのお兄ちゃんなんだよ。ロイ兄様もヴァインも、こんな僕を弟として慈しんでくれた。だから僕もアイの兄として、兄らしいことをしてあげたい。」
ただ黙ってクライドを見つめるトヨ。
「それに、お姫様は王子様のキスで目覚めなきゃいけないからね。だからさ、トヨにはロイ兄様の説得に協力してほしいんだ。僕たちだけじゃ絶対に聞いてくれないと思うから。」
いつものおどけた調子で言うクライドの言葉に、トヨは深く溜息をついた。
「……クライド、レイ。こちらにいらっしゃい。」
トヨは立ち上がり、近寄ったふたりを一緒に優しく抱きしめるように手をのばす。
「あなたたちも、私の大切な息子なのですよ。」
幼き日から見守り続けてくれていたトヨのその言葉。クライドの目からみるみる涙が零れ落ちた。
「……うぅっ……トヨ、……トヨ……うあぁ……」
子どものように号泣するクライド。レイも静かに涙を落とす。
トヨは彼らの腕を優しくさすりながら言った。
「分かりました。あなたたち。ロイエンタールのところに行きましょう。」
トヨとともにロイエンタールの執務室へと向かうと、そこには同じく呼び出された、クライドの双子の兄ヴァインと妻のオトの姿があった。
レイとふたりでアイとともに行く、その決意を兄ロイエンタールとヴァインに告げるクライド。
「……クライド。お前は何を言っているのか本当に分かっているのか。そんなことを私は許すことはできんぞ。」
ロイエンタールの表情は暗い。その声は地を這うように重く、顔には氷のような、断固とした拒否の意思が現れていた。
「……ロイエンタール・フォン・ローゼンブルグよ。」
声の震えを抑えきれないトヨが夫に告げる。
「神託の聖女としてそなたに命じます。クライディル・フォン・ローゼンブルグ、そしてレイのふたりを、次代の女神アイとともに行かせるように。」
「トヨ!?」
思わず立ち上がるロイエンタール。
トヨのその言葉にヴァインは激高し、クライドの胸ぐらをつかみ叫ぶ。
「なっ!トヨ、なんだそれは!クライド、俺がお前たちふたりを犠牲になどできる訳がないだろうが!!!」
オトは彼らの話をうつむいて聞いていたが、顔を上げるとヴァインの服を強く掴んだ。
「ヴァイン!ヴァイン!こちらを向きなさい!」
小さな妻の必死なその叫びに手を離し、振り返って体をかがめたヴァインの頬を、オトは思い切りひっぱたく。
「ヴァイン!弟のわがままくらい黙って聞いてあげなさい!」
オトの剣幕に驚き、言葉を失う。
オトはクライドとレイに歩み寄った。
目に涙を溜め、しかしいつもの優しい笑顔で。
「クライド。レイ。いってらっしゃい。アイをよろしくね。」
クライドは彼女の言葉に思わず体を震わせた。そして、ふっと笑ってオトの額にそっと自分の額を寄せた。
「ありがとう……ありがとう、オト。」
傍らのレイもうっすらと涙を浮かべていた。
友として、今は義姉としていつも彼らと一緒にいた、明るく優しいオト。
「うん。行ってくるよ。」
クライドの涙ながらの明るい笑顔、レイの穏やかな微笑み。
もう彼らを止めることなどできない。
そこには皆の、家族として決して消えることのない、どこまでも温かい心の絆があった。




