第77話:琥珀の誓約、静寂の封印
アイが、その《羽化》への眠りについてひと月ほどの、王宮が深い静寂に包まれた夜―
アイの部屋の窓からは、彼女が女神へと羽化しようとしている予兆であるあの金色の柔らかな光が漏れている。その輝きはあまりに清らかで、けれども同時に触れる者を拒む、絶対的な孤独をも孕んでいるかのようだった。
自室の外、テラスの手すりにもたれ掛かるようにして頬杖をつき、その光を見つめ続けているクライドの背中を、レイは一歩後ろで静かに見守っていた。
クライドは、アイが女神として羽化するその光の裏側に、彼女を襲うであろう底なしの虚無を見ていた。
「……あの子に、あの暗闇を歩ませたくはないんだ。」
その呟きは、冷たい夜風にさらわれて消えてゆく。
目覚めた後にひとりきりで生きてゆく。それをあの子には絶対に味わわせたくはない。たとえそれがどれほど長く、終わりのない旅路になったとしても。
レイは静かにその場に跪いた。言葉を発する必要などなかった。ただその沈黙が彼の意思を物語っていた。
クライドがゆっくりと振り返る。その瞳に宿っているのは、孤独の深淵を知る者だけが抱く、秘められた慈愛だった。
彼は跪くレイに手を差し伸べ、静かに立ち上がらせた。もはや彼を従者としてではなく、これから始まる長い旅を同じ歩幅で歩む共犯者として認めるように。
クライドは、ただ、静かに互いの呼吸が触れ合う距離まで顔を寄せた。
重なり合った唇。
それは、ふたりの初めての接吻。
今まで、指先ひとつ触れるときでさえ主従という形を挟んできたふたりが、初めて交わす息の合間に、互いの命の温もりが静かに流れ込んでいく。
レイは驚きに微かに身体を震わせたが、すぐに、静かに目を閉じた。主君から注がれる熱を、その身を縛る永遠の絆として受け入れるように。
そして、これまで密やかに秘めてきた感情を―自分からも微かに、確かな熱を込めて―その誓いを分かち合うように唇を重ね返した。
それは言葉では届かない、魂の深部での誓い。決して独りにはさせないという祈りにも似た、分かたれることのない彼らの魂の結び目。
長く静かな、そして最初で最後の人間としての接吻。
唇が離れたあと、クライドはレイの額へとゆっくり唇を落とした。それは、これから始まる果てのない時間への静寂の封印。
レイの額に残ったその柔らかな感触は、これから何十年、何百年と続く長い旅路の中で、彼らがかつては自分たちが人間ひとであったことを思い出すための道標となるのだろうか。
「…………行こう。」
その短く、重い一言に、レイはただ一度深く頷いた。
ふたりは未来への扉を開けた。
その光が待つ中へ、迷うことなく。
彼らのお姫様がひとりで目覚めることのないよう、ふたりは今、その『永遠』の中へ静かに足を踏み入れたのだった。




