第75話:王子の嫉妬、王の溜息
各国の王族や大貴族を招いた、国を挙げての『合コン』…もとい、懇親のパーティーが開催された。
会場には華やかな音楽が流れ、完璧なマナーとダンスを学び、色とりどりのドレスに身を包んだ聖女たちが、各国の王子や貴族たちのエスコートを受けて優雅にステップを踏んでいる。
そんな熱気溢れるダンスフロアから少し離れた場所で、オトは忙しく動き回っていた。
「……ふう。これでよし。見た目も美しくないとね。」
オトがしていたのは、ダンスではなくビュッフェの配膳。聖女たちが優雅に交流をしている中、オトは黙々と減った料理を補充し、大皿を整然と美しく整えていたのだ。
「今は他の国に行くつもりもないから、これでいいの。……決して、ダンスが苦手だから逃げてるわけじゃないんだから!」
などとぐずぐず自分に言い訳しながら盛り付けの微調整にめらめら情熱を注ぐ。すると、突然後ろから鈴を転がすような可愛い声が響いた。
「わあ、すごい! 君が並べたの? 宝石箱みたいだね!」
振り返ると、そこには13歳くらいの少年が立っていた。きれいな濃い金髪に、豪奢な刺繍が施された服を纏い、育ちの良さが隠しきれない気品を漂わせている。
「そのきれいな黒い髪……君も聖女様なんだね!」
その少年は小柄なオトを同年代だと思い込んだのか、パッと表情を輝かせた。
「兄上たちに連れてこられたけど、年の近い話し相手がいなくて退屈だったんだ。それに、このお食事とっても美味しいね! なんだか力が湧いてくる感じがするよ!」
頬を紅潮させ無邪気に語る少年に自分の料理を褒められ、なんて可愛らしい男の子に懐かれたと、オトの顔は自然と綻ぶ。
「本当に?ありがとう!とっても嬉しいわ。」
ふたりがニコニコと楽しげに話す光景は、遠目には微笑ましい語らいに見えた……ある男の目に入るまでは。
(……なっ、オト、何をしているんだ!?)
とある国賓とにこやかに歓談中だったヴァインは、その光景に猛烈な動揺に襲われた。
―オトが、どこの馬の骨ともしれない(※国賓です)少年に手を握られている。今すぐ飛んでいきたい!だが相手は、見ればリンデンヴォルト国の王の一番お気に入りの第8王子。そんな子どもを無下に追い払えば外交問題に発展しかねない。いやしかし、子どもだからといえ、政略結婚を申し込まれれば外交的に嫌とは言えないかもしれん……―
ぐるぐると逡巡し固まるヴァインの隣に来てその様子を観察していたクライドがくすくすと笑う。
「兄上。そんなに怖い顔をしていたら皆様逃げ出してしまいますよ。仕方がない、ここは僕が仲裁とまいりましょうか。」
クライドはひょいと肩をすくめた後、優雅な足取りでオトたちの元へ近づいた。
「これはこれは、リンデンヴォルトの第8王子、カイル殿下にご挨拶申し上げます。このような、華やかな社交の場の中心からは少々離れた、いささか慎ましやかな場所で一体何をお楽しみなのでしょうか?」
クライドの涼やかな声に、少年王子が振り返る。
「クライディル殿下!お久しぶりです。今、こちらの聖女様と話していたんです。とっても可愛らしくて素敵な人で!」
「おや、カイル殿下。そのような成熟した大人の女性がお好みとはいささか早熟でいらっしゃる。ですが、私の慈しむ大切な花に、そのように熱烈な情熱を注がれては、庭師としては少々困り果ててしまいますね。」
「えっ……?」
ポカンとする王子の目の前で、クライドはごく自然な動作でオトの肩を抱き寄せると、彼女の頬に「チュッ」と大きな音を立ててキスをした。
「……っ!!???」
オトの顔が沸騰したように真っ赤に染まる。少年王子も驚愕のあまり、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「あ、あわわ……す、すみません、クライディル殿下! 彼女は、その……殿下の『想いびと』だったのですか!?」
「ふふ、ご想像にお任せしますよ。ですから、彼女を独り占めするのはほどほどにしてくださいね?」
にこやかに、かつ有無を言わせぬオーラで接するクライド。少年王子は「失礼しました!」と脱兎のごとく兄たちの元へ逃げ帰ってゆく。
その一部始終を遠目から見ていたヴァインは、もはや真っ青を通り越して真っ白。
(ク……クライド……お前……! オトに、公衆の面前で……何を……っ!!)
ヴァインは助けを求めるように、会場のカーテンの陰に控えていたクライドの従者であるレイに視線を送った。しかし、レイは表情ひとつ変えず、静かに首を横に振って小さく溜息をついた。
(……またあのお方の悪い癖が。ヴァイン様にあのような挑発をしなくても、追い払う方法はいくらでもあったでしょうに………)
「ク、ク、クライド……! 今の振る舞いは一体何なんだ!?」
少年王子が逃げ去るやいなや、脱兎の勢いで駆け寄ってきたヴァイン。その顔は怒りと動揺で真っ赤に染まり、国賓と歓談していた時とは別人のような取り乱しぶり。
「しー、兄上、ちとお声が大きすぎます。せっかくの舞踏会の音楽が台無しでしょう。」
兄の剣幕などどこ吹く風で涼しい顔をしているクライドに、ヴァインが必死の形相で詰め寄る。
「台無しなのはお前の倫理観だ! あんなことをしたら、周囲はオトとお前が恋仲だと勘違いしてしまうではないか! 訂正してこい、今すぐだ!」
必死すぎる兄を、クライドは楽しげに、それでいて少しだけ挑発的な色を瞳に浮かべて言った。
「別に勘違いでも構いませんよ、僕は。こんなに可愛いオトとなら、本当にそういう関係になってもいいんだけどな。」
「な……っ!!???」
ヴァインの思考が、あまりの衝撃に真っ白になった。そんな兄に追い打ちをかけるように、クライドは優雅にオトの手を取り、その甲にそっと唇を寄せそうな距離まで顔を近づけた。
「ねえ、オト。僕だけの専属聖女として僕の花園で咲き誇ってくれますか?」
見た者誰もが陶然とする、蕩けるような笑顔と優しく甘い声で囁かれた究極の口説き文句。あまりに劇的で、あまりに様になりすぎているその台詞を聞いた瞬間―
「ふふっ……あははは! もう、クライド様ったら!」
オトは顔を真っ赤にするどころか、堪えきれずに吹き出してしまった。
「ごめんなさい、でも……『僕の花園』って! まるで物語の王子様みたいで、おかしくって……!」
「あーあ、これでも最高に格好をつけたつもりだったのにさ。残念、振られちゃったか〜。」
オトの屈託のない笑い声に、クライドも拍子抜けして苦笑い。一方、冗談と分かっていても心臓が止まりそうだったヴァインは、心底安心した様子で胸を撫で下ろす。
「笑い事ではないぞ、私は寿命が10年は縮まった。クライド、お前これ以上オトをからかうのは許さんぞ!」
からかわれているのは貴方もでしょうよと、カーテンの陰から思うレイ。
―この小さな騒動を、会場の最も高い場所から眺めていたのは彼らの兄である国王ロイエンタール。
華やかに着飾った聖女たちと各国の王族が交流する、完璧なはずのパーティー。その片隅で、料理の皿を抱えた聖女を巡り、情けない声を上げて弟に翻弄されているヴァイン。
彼はこめかみを指で押さえ、誰に聞かせるでもなく、深く、重い溜息を吐き出した。
「全く……ヴァインのやつめ。剣の腕と食欲だけは一人前だが、恋となるといつもクライドに煽られてこの体たらくか。もう少し要領よくできんものなのか……」
王は手元のワインを一気に飲み干すと、もはや諦めに近い表情で、前途多難な弟の恋模様を見守るのだった。




