第60話:賢者の囁き、砕かれた外交
魔導馬車の車輪が上げる悲鳴すら、今のふたりには心地よかった。帝国の命運を背負い、各国の説得に奔走する日々。ヴァインもクライドも、その瞳の奥には隠しきれない疲労が澱のように沈んでいる。
ようやく辿り着いた大国グランブリュゲン。
だが、開かれた謁見の間の重厚な扉の先に待っていたのは、歓迎の宴ではなく、冷え冷えとした拒絶の空気だった。
玉座に座る王。その傍らには、老賢者になりすましたマリオットが影のように張り付いている。彼が王の耳元で何かを囁くたび、ねっとりとした視線が彼らに注がれる。
「……ほう。帝国の誇り高き王弟殿下が、あのような『紛い物』を、片時も離さず慈しんでおられるとはな。」
ぴく、とクライドの肩が微かに揺れる。
「主の後ろに隠れ、ただ命令を待つだけの去勢された家畜。あのような、己の意志も持たぬ出来損ないを『半身』などと呼び、あまつさえ神の力を秘めていると触れ回るとは。帝国も、よほど物語の世界に浸りすぎて正気を失ったか。」
「…………黙れ。」
クライドの声は、喉の奥で押し潰されたような低い響きを帯びていた。けれど、王はマリオットの毒に煽られるまま、嘲笑を深めていく。
「あれは男ではない。ただの便利な道具、あるいは王弟殿下の歪んだ執着を満たすための人形だ。化け物を寵愛し、侍従に身をやつさせて悦に入る。獅子の血を引く者が、なんと卑しい趣味をお持ちか。」
「黙れと言っているんだ……その汚い口を閉じろ!!!」
「……待て、クライド! 何かおかしい、動くな!」
虚ろに響く王の言葉。その激しい違和感に襲われたヴァインが必死に叫び、クライドの腕を掴む。だが、掴まれた腕を通して伝わってくるのは、今にも弾けそうなほどに激しい、クライドの心臓の鼓動だった。
―誇りを汚された。自分ではなく、何よりも大切なレイという存在を、吐き気を催す言葉で汚された。―
その怒りだけが、今の彼を突き動かしていた。
ヴァインのその静止も虚しく、裂けるような咆哮とともに、クライドが地面を蹴る。
その瞬間、左右の影から躍り出た近衛兵たちの槍が、鋭い金属音を立ててクライドの喉元に突きつけられた。
「不敬である! 狂犬のごとき王弟を捕らえよ。その醜悪な執着が、いかなる破滅を招くか……地下の暗闇で、じっくりと噛み締めるがいい。」
マリオットは悦に入り独りごちる。
(……ああ、いい。その瞳、その絶望。さあ、貴方たちの『地獄』を、もっと私に見せてください…)




