第53話:残酷な主、その甘い吐息
レイ視点です。
厨房を後にしたクライド様の足取りは、まるで羽が生えたかのように軽やかだった。興奮に頬は赤らみ、美しく潤んだ瞳は、今しがた目に焼きつけたばかりのヴァイン様の残像を追いかけている。
「見たか、レイ! あの完成された造形! 神はなんと残酷で、そして慈悲深いのだ。兄上のあの美貌を、これほどまで完璧に磨き上げられるとは!」
熱っぽく語り続けるクライド様の視界には、すぐ後ろを歩く私の姿など入っていない。ただひたすらに、ヴァイン様という至高の美に酔いしれ、独りで悦に入っておられる。
自室に戻るなり、クライド様は羽根ペンを掴み、取り憑かれたような手つきで紙を広げられた。
「決めたぞ。兄上の美貌を、この世のあらゆる美徳を注ぎ込んだ詩に編むのだ。これこそが、僕の生涯をかけた最高傑作になるだろう!」
その言葉を聞く私の心は、鉛を呑み込んだように重く沈んでいった。主の関心は私ではなく、より強烈な光を放つヴァイン様へと奪われてしまったのだ。
自分はもう、あの方の瞳に映る価値さえないのではないか。そんな内心の動揺を押し殺し、影のように立ち尽くす。
だが、その沈黙と指先の微かな震えを、クライド様は見逃してはくれなかった。
「……どうしたんだ、レイ? そんなに暗い顔をして。」
クライド様がペンを置き、椅子を回して私を呼び寄せる。拒絶する術など持たない私が歩み寄り、深く頭を垂れると、あの方は片手で私の首を抱き寄せるようにして、もう一方の指先で私の髪をもて遊び始めた。
「まさか……僕を疑っているの? レイ」
クライド様の唇が、妖艶な笑みに歪む。
「僕が、兄上の美しさに絆されて、君を放り出すとでも? ふふ、酷いな。兄上は僕にとって最高級の鑑賞物になっただけだよ。美しすぎて、指一本触れるのも躊躇われるような……ね。」
クライド様は、私の瞳の奥に宿る嫉妬と不安を、極上の娯楽を愛でるようにじっくりと観察している。
「ふふ、なんて可愛いんだ、レイ。そんなに怯えて。僕の熱に浮かされた吐息にこうして肌を震わせているのは、一体誰かな?」
耳元に寄せられた唇から、熱い吐息が吹きかかる。
「君を失えば、僕は詩を綴るための情熱さえ忘れてしまうだろう。だからそんなに僕を困らせないでおくれ。」
(ああ……この人は……)
耳を灼くような囁きに、私は項垂れたまま、深く、震えるような吐息を漏らした。
私を絶望の淵まで追い詰め、ただただ無邪気にその反応を楽しむ残酷な主君。けれど、彼が放つ執着の言葉こそが、私がまだこの場所に留まることを許されている唯一の証。
それに何故か不安を覚えながらも、深い安堵を感じていた。




