第51話:騎士の仮面を脱いだ後
国王ロイエンタールの執務室。
王は、彼の弟ヴァインを鋭い眼光で見据えた。
「ヴァイン。これからは各国の利害調整が最も重要な懸念になり、言葉で世界を繋ぎ止める戦いが始まる。お前には申し訳ないが騎士を辞してもらい、私の右腕として各国との交渉の筆頭に立ってほしい。」
兄の言葉に、ヴァインは微塵も揺るがずその場に跪いた。
「陛下、承知いたしました。これからはこの国の礎として命を懸けましょう。」
「……ならば、その顔の傷も、もういいはずだ。」
ロイエンタールは弟の顔に痛ましくも刻まれた、古く無惨な傷跡を見つめた。かつての未熟ゆえの戒め。だが、これからは外交の表舞台に立つ身だ。
そして王の計らいにより、強力な治癒魔法を持つ第三聖女アリサが呼ばれた。治癒の光が消えた後、そこに現れたのは、双子の弟クライドをより精悍にし、磨き抜かれたような圧倒的な美貌の青年だった。
夕暮れの厨房。
後片付けをしていたオトが気配に気づき、振り返る。そこには王族のローブを羽織り、神々しいまでの輝きを放つ見知らぬ美青年が立っていた。
「……っ、どなた、ですか?」
思わず息を呑むオト。
短めの銀髪を上品に整え、彫刻のように整った鼻筋、知性を湛えた紺碧の瞳。その顔はあまりに美しく、見る者を圧倒する力があった。
「私だ、オト。」低く、重厚な声。
ヴァインは迷いのない足取りで彼女との距離を詰めると、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「王に命じられて前線の騎士を辞めることになった。これからは文官として、王の傍らでこの国を動かす。
……そして、この傷も消した。もう、自らを罰する時期は終わったのだ。これからは正々堂々と貴女の隣に居させてもらう。いいな、オト。」
有無を言わせぬ強い口調と、至近距離で見つめてくる国宝級の美貌。ヴァインは、自らの覚悟をこれ以上ないほど叩きつけたつもりだった。
……しかし、オトの反応は、彼の期待とは全く異なるものだった。
彼女は驚きで固まっていた身体をふっと緩めると、まるでお手伝いのご褒美をあげるかのように、慈愛に満ちた笑顔を浮かべたのだ。
「……ああ、よかった! 本当に、綺麗に治ったんですね、団長!」
オトはただ親身になって喜んだ。そして、あやすように彼の腕をポンポンと叩く。
「え……。驚かないのか? この、私の顔を見て。」
「驚きましたよ! でも、本当に素敵なことじゃないですか。なんだか兄の怪我が治った時みたいに、心底ホッとしました。」
「……まだ、兄なのか。」
ヴァインの眉間に、わずかな影が差す。
「はい! 団長は私にとって、いつも支えてくれる頼もしいお兄ちゃんみたいな存在ですから。そのお兄ちゃんがこんなに晴れやかなお顔になれた。私は、それが何より嬉しいんです。……本当、よかった!」
だが―
屈託のない笑顔を見せるオトの胸のうちは、実のところ穏やかではなかった。
……待って。美しすぎて直視できない!
実際は、あまりの美形ぶりに完全に気圧されていた。
心臓がうるさいほどに脈打ち、顔が熱くなるのを必死に抑えている。
それを隠すためにわざと『お兄ちゃん』という言葉を盾にして、自分に言い聞かせているのだ。
―どうしてこんなにドキドキするの? 落ち着け、私!
ヴァインのあまりに真っ直ぐな視線から逃れるように、オトは慌てて流し台へと向き直った。ドクドクと早まる鼓動が彼に聞こえてしまいそうで怖くなり、逃げるように蛇口を全開にする。
勢いよく溢れ出した水音が、静かな厨房に響き渡る。その騒がしい水音に紛れ込ませるようにして、オトは必死に呼吸を整えた。
背後で見つめるヴァインは、そんな彼女の葛藤など知る由もない。
「……やはり、貴女には敵わないな。だが、諦めるつもりもない。」
彼が吐き出した溜息混じりの言葉さえ、今のオトには激しい水音の影に隠れて、よく聞き取れなかった。




