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第49話:棄てられた聖女、呪いの言霊

城内の豪奢な談話室にて彼らは向かい合っていた。

魔王に従って来た大魔族マリオットと王弟クライド。

そしてクライドの背後には常に影のように腹心のレイが控えている。


表面上は親しげに談笑するクライドとマリオットだったが、その裏では熾烈な腹の探り合いが続く。

しかし、数百年を生きる大魔族の老獪ろうかいさは、若き王弟の到底及ぶところではない。


マリオットは、正面に座るクライドを興味深く眺め、薄く笑みを浮かべた。


「どうやら殿下とは存外話が合いそうですな。貴公の兄のヴァイン殿は、正義だの理想だのという、いささか退屈な鎖に縛られすぎていて、どうにも辛気臭くていけない。」


マリオットは背もたれに深く体を預け、誘いかけるように声を潜める。


「貴公の瞳の奥には、もっと瑞々しく、食欲をそそる『かおり』がある。……おっと、これは褒め言葉でございますよ? 」


マリオットはクライドに極上の笑みを送ると、次にその不吉な視線をクライド越しにレイに絡ませる。

その紅い双眸がレイを捉えた瞬間、マリオットはレイの奥に広がる深淵を、まるで書物のページを捲るかのように読み解いてみせた。


「ほう……なるほど、お前も『聖女』だったか。異世界の空気に窒息しない程度の最低限の加護を与えられ、この世界に棄てられた異分子か。実に惨めで美しい生贄じゃないか。」


マリオットは目を細め、レイの喉元をなぞるように、ねっとりとした視線を投げた。


「……私は男です。聖女などではありません。」


レイはマリオットの視線を正面から受け止め、氷のように硬い口調で告げた。しかし、マリオットはくっくっと嗤う。


「あの狂った女神様にとっては『男』の聖女など不要だったというわけだ。まあ人間の性別など我々魔族には意味をなさん。単にあの傲慢な女神に召喚された個体に、便宜上の記号を付けているに過ぎんよ。だが—」


マリオットは、レイの魂の更に深奥に刻まれた呪いに触れてゆく。


「おやおや、女神あれはこうも言ったようだな……【あとは好きにすればいい】と。お前はこの言葉がどれほど残酷で、どれほど強力な《言霊》かを理解しているのかね?」


マリオットは愉悦に肩を揺らし、その声はまるで獲物の耳元を這う蛇のようにうごめいた。


「それは裏を返せば、神が敷いたすべてのことわりからお前を解き放ってしまったということだ。

今まで不思議に思ったことはないのか?お前のご主人様の望むがままの言葉や知識や魔法を、いともたやすく習得できる己の異質さを。それはな、お前がすでに人の枠を外れている証拠なのだよ。」


マリオットの笑みがさらに深く歪む。


「仮にお前が望めば、あの幼子を女神の座から引きずり下ろし、自ら神に成り代わることさえ可能なのだ。」


「……それは買いかぶりでございます。私はただの従者です。」



レイはマリオットが放つ微毒を帯びた言葉を淡々とやり過ごしていたが、しかし、マリオットの言葉はクライドの心に一滴の猛毒となって滴り落ちた。


「マリオット!私の従者をこれ以上その汚らわしい口の端に上らせるな!!!」


いつもの余裕を完全に失ったクライドの声には、鋭利な刃物のような怒りが滲んでいた。


クライドにとって、レイは己の孤独を埋める『半身』であり、何があっても手放してはならない唯一無二の所有物そんざい

そして、身勝手に召喚されながらも必要なしと女神に棄てられた絶望の中でクライドに拾われ、その庇護に縋ることでしか存在を許されなかったレイ。

彼らのそのいびつな精神構造を、指先で弄ぶように観察しながらマリオットは内心で激しく嗤っていた。


(まさかこれが愛情だと? ……笑わせる。これはそんな陳腐なものではない。)


マリオットの目に映るのは、一人では立つことすら叶わぬ脆弱な魂が縋り合う、《共依存》という名の滑稽な喜劇オペレッタ。救いという名の愛撫で、互いを逃げ場のない袋小路へと追い詰めていく。そのおぞましくも美しい精神の壊れ様を、彼は完熟した果実の滴りを味わうかのように堪能していた。


「くく…まあ案ずるな、クライド殿。私はただ、彼に秘められた『価値』を教えたに過ぎん。」


マリオットは、囁くようにクライドに追い打ちの毒を添えた。それは呪詛のような問い。


「ただ……貴公が慈しむその者が、最強の言霊を背負い、いつかお前の届かぬ高みを見上げた時。貴公は一体どうするつもりかな?」


クライドがその無礼な口を封じようと、抑えきれない怒りを爆発させかけた瞬間——ソファに深く腰掛けていたはずのマリオットの姿は、陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には影も形もなく消え失せていた。

ただ、その場には彼の不吉な残響だけが嘲笑うように漂っていた。


「……くそ、あの化け物め……っ」


クライドは荒い息を吐きながら、拳を固く握りしめた。その肩の震えは怒りによるものか、あるいはマリオットが投げ入れた『毒』への無意識な恐怖によるものか。


そんな主人の様子を、レイは静かな、凪いだ瞳で見つめていた。

彼は一歩歩み寄り、クライドの背にそっと手を添える。


「……クライド様。何も案ずることはございません。」


その声は、深海のように静謐。


「私は、貴方だけの従者です。魔族とは、あのように甘い毒で人の心をかき乱すだけの化け物……あのような卑しい虚言に、貴方の尊い心を割く価値などございましょうか。」 


「……ああ、お前の言う通りだ、レイ。……すまないが紅茶を淹れなおしてくれないか。口直しをするとしよう。」


―しかしふたりの魂には、マリオットの撒いた毒が静かに浸透し始めてゆく…―


マリオットは、この美しい地獄が無残に崩れ、絶望という名の完熟した果実がこぼれ落ちる光景を幻視し、その滴を待ちわびるように、闇の中で紅い双眸を輝かせていた。

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