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第45話:聖女の選択 〜アユの想い

大聖堂の厨房に、焼きたてのクッキーの甘い香りが漂う。

アユはテーブルからオト特製の胡桃くるみクッキーを一枚取ると、軽やかな手つきで口に運んだ。サクッ、という軽い音が静かな厨房に響く。


「……ねえ、オトちゃん。ウチ、決めた。やっぱゲートくぐるわ。」


オトは手を止めず、次の生地を丁寧に丸めていた。


「帰るの? アユちゃん。」


「うん。だってな、記憶が戻ってみたら、もうムリムリ!ってなっちゃった。スマホもインスタもない生活なんて、今のウチには耐えられへんもん。推しの配信も見れないし、グループチャットもできないとか、マジありえない。ここでは『聖女様』だけど、あっちに戻ればただのJKやしさ。」


アユはふざけたように笑い、指先でクッキーの欠片を転がした。


「ロイエンタール王は、ここで残るなら一生生活を保障してくれるって言ってるし、この鳥籠みたいな大聖堂を出て他国へ行くのも自由だって。実際、こっちでいい男捕まえて結婚してやる!って息巻いてる子もおるけどさ〜。」


アユはふう、と小さな息を吐き、窓の向こうに視線をやった。


「オトちゃんはさ、トヨさんと話した? あの、100年前から居るっていう。」


「ううん、トヨ様忙しそうで、まだちゃんとは話せてないよ。」


「さっき会ったんやけど、トヨさんは残るってうてた。あっちの世界はもう、私の知る場所じゃないからって。トヨさんの時代には、スマホも動画も…それこそ、このクッキーみたいな甘いお菓子さえ贅沢品だったんだよね、きっと。」


第一聖女であるトヨは、前世の記憶が戻った瞬間に絶望に崩れ落ちた聖女たちを誰よりも早く鼓舞し、今は神官長や王と膝を突き合わせ、彼女たちひとりひとりの今後の処遇について協議を重ねている。その姿は、混乱する娘たちを守る母親そのものだった。


旧女神が消滅した瞬間、元の世界に戻れるゲートが現れた。ただ、それは今の時点の日本に戻れるものだ。そして、一度戻るとこの世界での記憶は消えて、二度とこちらに来ることはできないという。


「トヨさんにとっては、この世界が今居る場所なんだ。でもウチにとっては、ここは『なんもない不便な場所』でしかない。ねえ、オトちゃんはどうするん?」


オトは動きを止め、窓から差し込む午後の光を見つめた。


「私は……アユちゃんが言うみたいに、スマホみたいな文明がなくて寂しいとも思う。でも、トヨ様がこの世界に居場所を見つけた気持ちもよく分かるよ。」


「えー、マジで? オトちゃん、結構しっかりしてるのに。戻ってばりばり働かへんの?」


「しっかりなんてしてないよ。会社ではよく怒られてたし。今はこの厨房で、こうやって誰かのために何かを作っている時間が一番しっくりきているだけ。」


オトは焼き上がったばかりのクッキーの香りを、満足げに深く吸い込んだ。


「それに、アイちゃんがいるしね。あの子を置いてゲートをくぐれるかって言われると……うーん、やっぱり無理だなぁ。」


「あー、やっぱそこかぁ!女神アイちゃん、特別だもんね。でもさぁ、残る理由はアイちゃん『だけ』じゃないんじゃないのお〜?」


意味ありげにニマニマと口角を上げると、アユは最後のクッキーを口に放り込み、すっと立ち上がった。


「決まりだね! ウチは文明社会に帰る。オトちゃんはここで、みんなのために美味しいもの作ってなよ。あーあ、YouTubeにオトちゃんの料理動画アップできたら、絶対バズるのになぁ!」


アユは努めて明るい足取りで、出口へと歩き出した。


その背中は、現代日本への強烈な未練と、この異世界で皆と共に過ごした楽しい日々への微かな寂しさに、小さく揺れているようだった。

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