第43話:54番目の聖女は、魔王と和平を結ぶ
王宮の最奥にある謁見の間。
そこには今、およそ場違いな、賑やかで芳醇な香りが立ち込めていた。
ロイエンタール王と並んで玉座に深く腰を下ろすのは、漆黒の魔力を物理的な重圧として放つ魔王。その傍らには、相変わらず慇懃な笑みを浮かべた大魔族マリオットが控えている。
大剣を背負ったヴァインと、彼の背後に隠れるようにして、けれど好奇心に瞳を輝かせている幼き女神アイ。
そして中央には、エプロン姿のオトが、ぐつぐつと音を立てる大きな土鍋を用意していた。
「……女神を餌付けしたという不遜な娘か。」
魔王の声が、空間そのものを震わせる。
「マリオットからは聞き及んでいる。そなたが作る料理が、冷酷であるべき神の理を溶かしたと。
ならば証明してみせよ。我ら魔族の永き渇きを癒し、この世界を見守るに値する『価値』が、その一品にあるのかを。」
ヴァインが緊張に拳を握りしめる。
マリオットはくつくつ愉しげに嗤いながら、その整った片眉を上げてオトに告げる。
「さあさあ、聖女オトよ。貴女の料理が魔王陛下を納得させられねば、この世界は再び戦火に包まれることになりますよ。」
オトは、ふう、と小さく息を吐くと、土鍋の蓋を勢いよく開けた。
「お待たせしました!これは、色んな個性が一つの場所で混ざり合う料理。黄金の『寄せ鍋』です!」
立ち上った湯気の向こう側には、色鮮やかな光景が広がっていた。
透き通った黄金色の出汁の中で、海の幸、山の幸、野菜、そして滋養強壮に富むキノコが、互いの旨味を主張し合いながらも、一つの完成された宇宙を描いている。
オトは、ふっくらとした白身魚と鶏肉、出汁をたっぷり吸った野菜を器に取り分け、魔王の前に差し出した。
「魔族の方は、強くて孤高だから、いつも自分一人の力で戦っているのでしょう? でも、この鍋を見てください。魚、肉、野菜……全然違う個性を持ったものたちが、一つの鍋の中で高め合っているんです。
アイちゃんが成長するまでの時間もきっとこれと同じ。人間も、魔族も、神様も、それぞれの味を出し合いながら、この世界という一つの鍋を美味しくしていけばいいのではないでしょうか。」
魔王は無言で、旨味が凝縮されたスープと共に具材を口に運んだ。
「…………」
静寂が謁見の間を支配する。
魔王の瞳の中で、激しい魔力の渦が静かに凪いでいった。噛みしめるたびに溢れ出す、暴力的なまでの重層的な旨味。それは、戦いと略奪の中に生きてきた魔族が、決して知ることのなかった【調和】という名の味だった。
「………ふむ。確かに……これは、恐ろしいな。」
魔王は最後の一滴までスープを飲み干すと、ふっと息を漏らした。
そして彼は小さな女神を見据えた。アイは怖がることなく、魔王の漆黒の衣をちょんちょんと触り、「まおーさんも、おいちー?」と無邪気に笑いかける。その幼い存在が放つ不可解な温もりに、魔王は不思議と拒絶することができなかった。
「……この寄せ鍋の如く、異質な種族が真に手を取り合える日が来るとは余には到底思えぬがな。しかしこの器の中で完成された調和を前にしては、無粋な口出しも控えねばなるまい。よかろう。これからこの世界が、そなたの言う『寄せ鍋』のごとき味に変わるのか、余が見届けてみてもよい……その和平の協定、聞き入れよう。」
魔王は、空になった器を差し出した。
「ただし、条件がある。おかわりを所望する。そして、最後に控える雑炊とやらが余を満足させられぬ時は、いつでもこの協定を破棄してやろう。それまでは、たとえ天が落ちようとも余はここを動かぬぞ。」
「はい! とびきりのを作りますね!」
そのまま、皆で一つの鍋を囲む。
アイは「おいちーね!」とはしゃいでいる。
オトは笑いながら、皆のおかわりの要求に応え続けた。
その輪に加わろうとせず、忽然と姿を消したマリオットに、ヴァインは不快な胸騒ぎを感じていた……
黄金色のスープが結んだ、危うくも優しい《共存》。
新世界の夜明けは、魔王をも虜にする、抗いがたいほどいい匂いがしていた。




