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第38話:鉄錆の抱擁と、眠り姫の帰還

気がつくと、いつまにか寝衣に着替えて自室のベッドの端に腰掛けていた。落ち着かない気持ちのまま着替えて、いつものように厨房に向かう。


片付けをしていると、夜の静寂を切り裂くように、厨房の重い扉が開いた。そこに立っていたのは、最前線から帰還したばかりのヴァインだった。


「……団長!?」


思わず手にしていたお玉を落としそうになった。


彼の姿はあまりに凄惨だった。その騎士団の鎧は泥と乾いた返り血にまみれて鈍く光り、何よりその瞳には見たこともないようなくらい影が沈んでいる。まるで、この世の地獄をその身に刻みつけて帰ってきたかのような、痛々しい姿。


「どうして……どうしてそんなにボロボロに! 怪我は? どこか痛むところはっ!」


矢継ぎ早に問いかける私の言葉を遮るように、ヴァインは無言で椅子に腰を下ろした。


私はもう何も聞かずに、ただ火を起こした。

今のヴァインに必要なのは、言葉じゃなくて、お腹の中から温まるものだと思ったから。


「はい、飲んでください。今はこれが一番でしょう?」


ヴァインは湯気の立ち上るスープを見つめ、震える手でスプーンを握った。


一口、また一口。


野菜の甘みが溶け出した温かな液体を、慈しむように、あるいは自分の中の欠落を埋めるように、静かに胃に落としていく。


最後の一口を飲み干すと、彼はゆっくりとスプーンを置いた。そして、椅子から立ち上がるなり、目の前にいた私の体を力任せに引き寄せた。


「……団長……?」


鉄錆と土の匂いがする、冷たい鎧の感触。

けれど、そこから伝わってくる彼の鼓動は驚くほど速く、何かに怯える子どものように激しく震えていた。


「……頼む……少しだけ…こうさせてくれ………」


耳元で、掠れた声が響く。

抱きしめる腕の力が強まり、鎧の合わせ目がギチリと音を立てた。


「………壊したくないんだ……この世界がどれほど泥水のような欺瞞でできていようと……でも…でも……どうしたらいいんだ………お前だけは、この温もりだけは、失いたくない………」


彼の大きな背中にそっと手を回すと、まるで泣いているような震えが手のひらを通して痛いほど伝わってきた。子どもをあやすようにその背をトントン叩いてみる。


その時だった。


「……ヴァイン!!居るか!?」


厨房の扉が激しく蹴開けられ、夜の冷気が一気になだれ込んできた。


そこにいたのはずっと眠っていたはずのクライドだった。しかし、今の彼に以前の余裕は微塵もない。

上着のボタンは掛け違えられ、シャツの襟元は大きくはだけ、髪は乱暴にかき乱されている。何より、その顔色は幽霊のように青白く、額には嫌な汗が光っていた。


荒い息を吐きながら厨房へなだれ込んできたクライドは、剥き出しの戦慄を瞳に宿していた。けれど次の瞬間、目の前で鎧の騎士が私をがっしりと抱きすくめている姿を捉えると、その険しい表情が訝しげなものに変わった。

背後から追いかけてきたレイも、あまりに場違いな光景に、言葉を失って立ち尽くしている。


「…………」


数秒の、奇妙に引き延ばされた沈黙。


ヴァインが私を離すよりも早く、クライドは毒気を抜かれたようになり、はだけたシャツの襟を整え始めた。


「……おやおや。死の淵から這い戻ってきて一番に目にする光景が、これかい? 随分と情熱的なお出迎えじゃないか、ヴァイン。」


先ほどまでの悲壮感はどこへやら、唇の端にはいつもの、あの人を食ったような薄笑いが戻っている。


「クライド様!良かった、お目覚めになったのですね!」


その腕はまだ微かに震えていたけれど、クライド様はわざとらしく肩をすくめてみせた。


「ああ。地獄の門番に追い返されてね。『お前なんてお呼びじゃない、あっちへ行け』ってさ。あんなに乱暴に放り投げられたのは、生まれて初めてだよ。」


クライドはフラつく足取りで調理台まで歩み寄ると、私の顔をじっと覗き込んだ。


「それにしても、オト。君、そんなに泣きそうな顔をして……

僕の寝起き顔が美しすぎて恋しちゃったのかい? それとも、このむさ苦しい騎士殿の鎧が硬すぎて、お肌が荒れるのが心配なのかな。」


「……もう!そんな冗談を言えるくらいなら大丈夫そうですね!」


私はたまらず叫んで、なぜか目尻に溜まっていた涙を拭った。


服装はボロボロで、顔色も青白い。けれど、その口から飛び出す減らず口だけは、間違いなくいつものクライドだった。


「冗談? 心外だな。僕は今、魂を半分くらい削られた気分なんだよ?

ねえ、レイ。僕の分のスープは? 怪物に襟首を掴まれて放り出されたんだ、お腹が空いて死にそうだよ。」


「ただいま、用意いたします。」


レイが深く、安堵を滲ませた溜息をつきながら、私の手からお玉をそっと受け取った。


アイが無理やりこじ開けた運命の扉。

その向こうから戻ってきた男は、相変わらずの皮肉を盾にして、自分を襲った恐怖を必死に覆い隠しているようだった。

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