第36話:春の陽だまり、影の慟哭
久しぶりのオト登場。
ポカポカとした陽気に包まれて、私は中庭の落ち葉を掃き集めていた。
竹箒が地面を撫でる乾いた音を聞きながら、今夜の献立は何にしようかと考えていた、その時。
「聖女オト。……少し、よろしいでしょうか。」
予想もせず背後からかけられた声の低さに、思わず心臓が跳ねた。
振り返ると、そこにはいつもの隙のない立ち居振る舞いをかなぐり捨てたような、幽霊のように青ざめたレイが立っていた。
「レイ様……? どうしたのですか、そんな酷い顔色で。」
彼は答えず、ただ顎で建物の陰にある小さな控え室を指した。
どうやらただ事ではない。私は箒を壁に立てかけ、泥のついた手を拭いながら、彼に続いて薄暗い小部屋へと足を踏み入れた。
重苦しい音を立てて扉が閉まると、レイは壁にもたれかかるようにして、ようやく声を絞り出した。
「……クライド様が、お目覚めにならないのです。」
「え? お昼寝が長引いているとか、そういうことじゃなくて?」
「違います。…第一聖女トヨ様の執務室で倒れられたまま、もう3日もそれきりで。王宮お抱えの治癒師を総動員し、あらゆる気付けの法を試しました。だが、指先一つ動かない。まるで体という器だけを残して、魂がどこか遠い場所へ連れ去られてしまったかのように。」
窓から差し込む一筋の光の中で、レイの手が目に見えてガタガタと震え始めた。彼はその震えを抑え込むように、自分の胸元を強く握りしめた。
「…あの御方は、私を救おうとなさった。廃棄物でしかない私を、この世界の理から引き剥がそうとして…私のような者のために、独りで深淵に踏み込み、そして、引きずり込まれた。」
「レイ様、落ち着いて。あなたのせいじゃない。」
私は思わず、彼の冷え切った指先に触れた。
レイは縋るように私の手を握り返した。その力は驚くほど強く、彼が今にも壊れてしまいそうなほど、深い絶望の中にいるのが伝わってくる。
「…私のせいだ。私が、あの方の傍らにいながら、止めることもできず、守ることもできなかった。あの方が目覚めない世界に、私の存在価値などないというのに。」
いつも主君の完璧な影として、感情を殺して生きてきたレイ。その彼が、私の前で今にも崩れ落ちようとしていた。
「聖女オト、私は……私はどうすればいい。あの方を、あの暗い眠りから連れ戻せるなら、私はこの魂だって、この命だって喜んで差し出すのに。」
狭い部屋の中に、レイの荒い呼吸と、私の早まる鼓動だけが響く。
外ではまだ鳥がのどかに鳴いているというのに、この小部屋の中だけは、冷たくて深い闇の底に沈んでしまったかのようだった。




