第33話:夕闇の轍、老王の祈り
隠居所の門前、夕刻の柔らかな光が影を長く引き伸ばしていた。
先ほど応接間で語られた聖女の真実に、流石のクライドも顔色を失い、少しふらつく足取りで先に馬車へと乗り込んでいった。
残されたのは老王と、主の影として静かに控えるレイの二人だけ。
「……レイ。わしはあの子のあんなに心細げな顔を見るのは、初めてだよ。」
老王は、遠く離れた王宮へ戻る馬車を見つめ、絞り出すような声で語りかけた。
「クライドをどうか頼む。あの子の心を最後まで守り抜いてくれ。わしも、ロイエンタールも、あの子にだけは、この世界の醜悪さを背負わせたくないと願っているのだ。」
老王の手が、老いゆえか、あるいは恐怖ゆえか、微かに震えていた。
しかし、レイはいつもの慇懃な礼を崩さぬまま、しかしその声には、凍てつくような自嘲の響きを混ぜて答えた。
「…元王陛下。私に、その資格があるとお思いですか。」
「何だと?」
「…陛下達が聖女を切り捨ててでも救いたいと願うその世界に、女神に最初から【不要】だと棄てられたのは、この私なのですから。」
老王が驚愕に目を見開く中、レイは淡々と語り始めた。
「私もまた、召喚者の一人。…私は異世界から無理やり引き裂かれ、しかし、聖女のような救いも死も与えられぬまま、この世界の汚泥を啜って生き延びました。」
レイの一歩が、老王の放つ気を押し返す。
「聖女たちが黄金の輝きの中で消えるというのなら、私はその影で腐り落ちるのを待つだけの、ただの残り滓。そんな私が、陛下の仰る『世界』を守れるとお思いですか?」
老王は、レイの瞳の奥に宿る底知れなさに戦慄を覚えた。しかし、レイはふっと、残酷なまでに美しい微笑を浮かべて言った。
「……ですが、ご安心ください。クライド様のことは、この身が消えるその時まで守りましょう。」
レイは胸に手を当て、馬車の中で震えているであろう主へと視線を投げた。
「女神の廃棄物であった私を拾い上げ、支配という名の鎖を与えてくださったのは、クライド様でした。たとえ54人の聖女の命を焚べ、この世界を騙し抜いてでもあの方がその上で気高く咲き誇れるのであれば、私は喜んで、この世界の屠殺者の片棒を担ぎましょう。」
老王は、レイの放つ圧倒的な執着と、その正体に息を呑みながらも、もはや彼に託すほかない己の無力を悟った。
「……そうか。お前もまた、この世界の犠牲者であったか。…ならば行け。あの子を、頼むぞ。」
「御心のままに。」
レイは静かに一礼すると、翻る外套と共に馬車へと歩み寄った。
夕闇に消えていく馬車の轍の音を聞きながら、老王はただ独り、冷え切った空気の中で立ち尽くし、間もなく訪れる『黄金の終焉』を予感していた。




