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第32話:泥にまみれた好々爺と、黄金の薪の真実

王宮の喧騒から遠く離れ、木漏れ日が揺れる静かな隠居所の庭。かつて一国を統治したその人は、麦わら帽子を被り、土の匂いに包まれながら愛おしげに野菜の苗を弄っていた。


「おじい様。そんなに熱心に土を弄っていては、せっかくの指先が汚れてしまいますよ。」


クライドが、いつもの慇懃な、けれどどこか甘えるような調子で声をかけた。老王は腰をさすりながら振り返り、目尻を下げて破顔した。


「おお、クライドか。またそんなに綺麗な服を着て…そんな恰好でここに来ると、泥が跳ねて台無しになってしまうよ。おや、レイも来ていたんだね。相変わらず、クライドが片時も離さぬようだな。」


近づいてきた孫の頭を撫でようとして、土で汚れた手に気づき、慌てて引っ込める。そんな、孫に甘い好々爺としての元国王との穏やかな時間が流れていた。


しかし、クライドの瞳は、庭に咲く花々の美しさの奥にある【毒】を射抜こうとしていた。


「おじい様。教えてください。兄様が独りで背負い、ヴァインが戦場で血を流して守っているこの『世界の正体』を。」


祖父の動きが、ぴたりと止まった。穏やかな好々爺の顔に、一瞬だけ、かつて幾多の決断を下してきた『王』の険しさが戻る。


「…クライド。お前には、花の香りとうただけを愛していて欲しかったのだがね。お前の兄のロイエンタールもそれを望んでいるはずだ。」


「知らぬまま愛でる美ほど、空虚なものはありません。お願いします、おじい様。」


クライドが真っ直ぐに祖父を見つめ、その袖をそっと引いた。その幼子のようなねだり方に、彼は弱り果てたように溜息をつき、手近な木製のベンチに腰を下ろして言った。


「やれやれ。お前には敵わないな。

…いいかい、クライド。この平和な1000年という年月はね、天からの無償の贈り物などではない。それは、気の遠くなるような時間をかけて丁寧に仕込まれた、『極上の収穫物』との等価交換なのだよ。」



小さな家の応接間で、メイドが淹れた紅茶の香りが甘く漂う。クライドの祖父は渋々といった様子でカップを置き、背もたれに深く身を沈めた。


「いいかい。この世界を照らす女神の加護…あれは天から降ってくる慈雨などではないのだよ。1000年に一度、枯れ果て力尽きる女神を繋ぎ止めるために、異世界から『高純度の魂』を買い叩いて焚べている…いわば、巨大なまきなのだ。」


クライドは、その優雅な指先を膝の上で組み、微かに震える唇を隠すように問いかけた。


「…薪、ですか。では、トヨ様たち聖女が100年もの間、歳も取らずに神殿に留め置かれているのは……」


「ああ。最高の状態で、【保存】されているのさ。彼女たちは異世界から連れてこられ、この地の祈りや希望を与える仕事をさせられ、魂を黄金色に熟成させられる。

そして今、54番目の娘を最後に召喚が止まった。それは、器が満ちたということ。

いよいよ、女神のたね)が、彼女たちの生命を最後の一滴まで啜り上げ、新たに神として羽化するときが来たのだよ。」


「兄様はそれをただ静かに看取るためだけに、あの冷たい椅子に座っているのですか?」


「…それが、王冠を戴く者の呪いだ。現王は、お前たちの兄のロイエンタールは、お前たちにだけは『自由』という名の無知を捧げたかったのだよ。自分一人が、その『屠殺者』の汚名を背負うことでね。」


祖父は、クライドの震える手を、土の付いた温かな手でそっと包み込んだ。


「…すまないね、クライド。美しいだけの世界を見せてやれなくて。だが、これがこの世界の、《唯一の正解》なのだよ。」


クライドは、祖父の手の温もりと、その言葉のあまりの冷たさの乖離に、目眩を覚えたのだった。

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