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第29話:王弟の愉悦 ―禁忌の頁をめくる指先

クライドの宮にある書庫の空気は、古びた紙の匂いと、腹心のレイが静かに発動させている魔力で満ちていた。


「クライド様。各国の古い神殿、および秘匿されていた禁書庫から女神伝承に関する文献の複写をすべて揃えました。目ぼしい箇所にはあらかじめ付箋をしております。」


レイの声は、いつものように静かで淀みがない。


彼の周囲には浮遊魔法によって展開された数十冊の本が円環を描き、超高速でページがめくられる速読の魔法の光輪が、彼の銀髪を青白く照らしている。


かつて泥濘の中で死にかけていた少年レイの黒髪を、クライドは強引に自分と同じ銀色に染め上げた。今、その銀色の髪が魔力の風に揺れる様を、クライドは昼寝用に持ち込んでいる大きなソファーに寝転んだまま退屈そうに眺めている。


「………飽きたな。どの本にも書いてあるのは同じような女神の慈愛と聖女の清廉さばかり。お前が苦労して集めてくれた資料をくさすわけじゃないが、これでは新しい詩のインスピレーションも湧かない。」


クライドは手近にあった一冊の分厚い古文書をパラパラと無造作にめくった。そのままぽいっと床に放り投げる。


「お前の方はどうだい? 速読の結果、何か面白い矛盾でも見つかったかな?」


「…いえ。公式の記録はすべて女神の完璧さを証明するように改竄、あるいは編纂されています。…ただ、300年以上前の古い帳簿の隅に、不可解な聖女のげ替えと思われる支出記録が一点だけ。」


「へぇ……、それは興味深いね。」



クライドは言葉とうらはらに、たいして興味があるようでもなく、ふんわりと笑みを浮かべた。

だが、その瞳に宿ったのは楽しげな光ではない。


彼はゆっくりと立ち上がると、魔法を維持し続けるレイの背後に忍び寄った。そして、その冷たい指先で、レイのうなじをなぞる。


「ねぇ、レイ。ふと思ったんだけど…」


至近距離で囁かれる美しい主の声に、レイの肩が微かに震える。けれど、彼は魔法を解くことも、逃げることも許されない。


「女神ってさ、話通じると思う?」


あまりに突拍子もなく、そしてこの世界では最も不敬な質問。レイは一瞬、思考を停止させた。

 

君はあの日、その目で《彼女めがみ》を見たはずだろう?


クライドはそれを口に出して指摘するような無粋な真似はしない。ただ、逃げ場を奪うように、レイの銀髪を指先で優しく、けれど執拗に弄んだ。


「神話は退屈だ。実体験に勝る物語はないと思わないかい?

レイ、君ならどう想像する。もし、目の前に女神が現れたとして……彼女は、話の通じる相手だと思うかな?」


あまりに不敬な、そして核心を突く問い。

レイの視線が一瞬だけ、宙に浮いた魔導書の一点に釘付けになった。


「……想像、でございますか。……恐らくは、人間が蟻の言葉を解さないように、神もまた、人の理屈など聞きはしないかと。ただ一方的に、自らの都合を押し付けるだけではないでしょうか。」


「ふふ、手厳しいね。だが、もしその『都合』で人生を狂わされた者がいたとしたら―」


クライドは、レイの銀髪を弄りながら、その耳元で愉悦を孕んだ声を密やかに潜ませた。


「―抗議の一言でも言ってやりたいじゃないか。『私の獲物ペットを泥の中に放り出したのは、どこのどいつだ』ってね。」


レイは何も答えず、ただ静かに目を伏せた。

自分を救ったのが主の好奇心であったとしても、その好奇心が危険な領域へと踏み出そうとしている。


「資料探し、続きは頼んだよ、レイ。お前が見つける真実だけが私の新しい『詩』の、たった一つの正解になるんだから。」


指先が髪から離れる。


レイは再び静かに、世界の深淵へと続く文字の海に沈んでいった。

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