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第20話:月を叩いて、夜を待つ

「団長、なんですか、この…鏡の破片みたいな魚は!」


ヴァインが厨房のカウンターにどさりと置いた銀色の塊を見て、私は思わず包丁を握る手を止めた。


それは、彼が北の果てにある霧氷の湖から魔法袋に入れて持ち帰ったという希少な月光魚。冬場、鏡のように凍りついた湖面の下を、月光を反射させながら泳ぐ……なんて、前世の図鑑でも見たことがないような幻想的な魚だ。

解凍され始めた鱗が、厨房の魔石灯あかりを浴びてギラリと怪しく光る。


「以前話しただろう? 鏡のように凍った湖の下を泳ぐ、銀色の魚だ。こいつは北の特産でな。煮れば形を失い、焼けば石のように硬くなって味が消える。だが、その身の甘さは天下一品だ。刺身でしか食えんとされているが、俺はあえて、それ以外の『未知の味』が食いたい。」


ヴァインはそう言って、挑戦的な笑みを浮かべながら椅子にどっかりと腰を下ろした。


最近の団長ヴァインは、なんだか少し過保護というか、妙に熱心に新しい驚きを私に提供しようとしている気がする。クライド様に会って以降、ずっとだ。


あの日、団長が王弟と知り、態度をあらためなきゃと様付けにしたら『王弟閣下や団長様などと呼ぶな!むず痒い!!』と喚かれたので、結局団長と呼ばせてもらってる。


彼らは双子と言っていたけれども、似ているのは顔立ちの雰囲気だけで、騎士団長であるヴァインの方が背はかなり高いし、体つきもがっしりしている。


…あれ、でも、あの時クライド様に何を聞かれたんだっけ?

一瞬、包丁を動かす手が止まる。思い出そうとしてもその部分だけ霧がかかったみたいにぼんやりしている。重要そうなことだった気もするし、そうでもなかった気もする。


まあ、いいか。思い出せないってことは、大したことじゃなかったんでしょ。

私は小さく首を振って、思考をまな板の上に戻した。正体不明の違和感よりも、今は目の前の月光魚をどう料理するかの方が、よっぽど私の心を熱くさせてくれる。


「……ふぅん。刺身以外は全滅、か。面白い。その挑戦、受けて立ちます!」


私は未知の食材を前に、自分でもわかるくらい瞳を輝かせた。


まずは指先で銀色の皮に触れてみる。凍てつくような冷たさと、指を押し返してくる意外なほどの弾力。

加熱すると組織が壊れるか、極端に脱水するタイプね。それなら、火を使わずに攻めるしかないか。


私は迷いなく包丁を振るい、三枚におろした。透き通るような白身に美しい銀の筋が走っている。私はそれを刺身にするのではなく、まな板の上で容赦なく細かく叩き切り始めた。


「おい!貴様はなにをやってるんだ。無理なら刺身でもいいんだぞ!」


「分かってますって。今、最高に美味しくなる魔法(物理)をかけてる最中なんですから。」


トントントントン、と包丁がまな板を叩く小気味よいリズムが厨房に響く。

そこに、大聖堂の畑で育てている薬味―刻んだ生姜、大葉、そして自作の合わせ味噌を惜しみなく投入した。


「はい、お待たせしました。本日のメニュー、月光魚のなめろうです。」


銀色の光沢を帯びた、ねっとりとした質感の料理。


ヴァインは見た目でためらったのか、半信半疑で箸を伸ばし、その塊を口に運んだ。


「…………っ!!」


口に入れた瞬間、ヴァインの顔色が変わった。

月光魚の繊細な脂が、味噌のコクと薬味の鋭い香りと共に爆発したのだろう。


刺身で食べるよりも遥かに濃厚。それでいて、叩かれたことで魚の甘みが極限まで引き出され、舌の上でとろけるような滑らかさを生んでいるはずだ。


「美味い!なんだこれは!刺身の冷たさと、味噌の温かみが喉の奥で混ざり合って、酒が欲しくなる!」


「ふふ、でしょう? 皿まで舐めたくなるほど美味しいから『なめろう』って言うんですよ。初めての食材だったけど、大成功!」


満足げに喉を鳴らすヴァインを見て、私は誇らしい気持ちで胸を張った。

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