第17話:騎士団長の不覚、無自覚な愛の手
「オト。先ほどの『メンタイコフランス』の衝撃は忘れられん。だが、もっと、こう…肉の旨味を真っ向から受け止めるような、暴力的な料理はないのか。」
夜間警備の休憩時間に、またもや俺は、厨房の椅子にさらに深く腰掛けていた。
騎士団の精鋭を束ね、王族の血を引くこの俺が、聖女の小娘に夜食をねだるなど本来ならあってはならないことだ。
だが、この女が作る異世界の理を孕んだ料理は、一度口にすれば抗いがたい毒のように理性を蝕む。
「明太子フランスを5本も食べて、まだお腹に入るんですか。まあでも、ちょうど試したかったレシピがあるんです。」
目の前でオトは溜息をつきながらも、手際よく肉を叩きだした。俺が狩ってきた鹿肉だ。
そして同時に奇妙な丸いパンを焼き始めた。
程なくして差し出されたのは、分厚い肉の塊を二段も重ね、かろうじて円形のパンで挟み込んだ代物だった。その間からは、食欲をそそる香しき赤い濃厚ソースと、黄金色にとろけたチーズが滝のように溢れ出している。オトによれば、これはハンバーガーというものらしい。
「貴様、…これを手で持てというのか?パンが柔らかすぎて潰れてしまいそうだが。」
「いいんです、これはこうして…ギュッと潰して大きな口でいくのが正解なんです。ほら、団長も。」
「潰して食うなど、あまりにも礼を失した食べ方ではないか。」
大口開けてかぶりつくオトに、頭を振りながらも倣ってハンバーガーに挑んだ。
ガブッ!じゅわり。
刹那、口の中で肉汁の爆弾が弾けた。
オトの生活魔法で極限まで高められた熟成の旨味が、濃厚なソースと共に喉を焼き、脳を麻痺させる。
「…っ!? この溢れる脂の奔流はどうだ…!」
我を忘れていた。
夢中でハンバーガーをほうばると、溢れ出すソースと肉の脂が唇を汚し、顎を伝って指先へとダラダラ滴り落ちてゆく。王族としてあるまじき無様な姿。だが、拭うことさえ惜しいほどの快楽がそこにはあった。
「あーあ、もう。…ちょっと失礼しますよ。」
不意に、オトが至近距離まで踏み込んできた。
驚愕で思考が止まる。彼女は俺の大きな手を事もなげに、しかししっかりと引き寄せたのだ。
「…っ!? き、貴様、何を…」
抗う間もなかった。
その手にある清潔な布が、俺の指先を丁寧に、慈しむように拭い去っていく。それだけではない。彼女の手はそのまま俺の顎に添えられ、唇の端に残ったソースを優しく、丹念に拭い始めた。
「じっとしていてください。ソースが鎧に垂れたら、洗うのが大変なんでしょう。」
至近距離で見上げる、彼女の瞳。鼻先をかすめる、柔らかな髪の匂い。鎧越しでも伝わる、彼女の確かな体温。
俺は逃げることも拒むこともできず、ただされるがままに顎を突き出した無防備な格好で固まっていた。胸の奥が、鎧の隙間から冷気が入り込んだ時のように、妙に騒がしく鳴り響く。
だが、彼女がふっと漏らした言葉が、その熱を一瞬で凍りつかせた。
「ふふ。なんだか、アイちゃんの世話をしてるみたい。」
「……アイだと?」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、硬く響いた。
「ええ。あの子もすぐに口の周りも手もベタベタにしちゃうんですよ。よし、綺麗になりました。こぼさないようにがんばって食べてくださいね。」
オトは満足げに手を離すと、あっさりと背を向けた。
残されたのは、唇に残る微かな熱と、嵐のような困惑だけだ。
待て、アイとは……何だ?
俺は激しく自問自答した。
大聖堂の職員、聖女、騎士団の者…城の中にある施設の、すべての者の中を瞬時に頭の中で検索するが、そんな名はどこにもない。
オトがこれほどまでの距離で、口を拭い、慈しむように世話を焼く対象だ。
しかも、その正体不明の《アイ》という存在に、これほどまでに焦燥感を抱いている己自身が何より腹立たしかった。
「貴様、そのアイという…」
問い質そうとして、喉の奥で言葉が詰まった。
これ以上踏み込めば、まるで自分がそのアイとやらに嫉妬しているようではないか。そんな惨めな真似は俺の矜持が許さない。
俺は、ソースを拭き取られたはずの自分の唇を、まだそこに彼女の感触が残っているかのように、そっと指先でなぞり続けた。




