9.とりあえず殴ってみよう
最初の一体が、正面から殴りかかってきた。反応する暇もないくらいの速さだったが、体は不思議と自然に動いていた。
周囲では、味方プレイヤーたちが必死に持ち場を守っている。怒号のような無線のやり取り、絶え間ない爆発音、焦げた匂い――五感のすべてが、ここが本物の戦場だと訴えかけてくる。俺はその只中で、たった一人、両腕を構えて立っていた。誰かに指示されたわけでも、教わったわけでもないのに、この構えだけは、なぜか一番自然に馴染んだ。誰かに指示されたわけでも、教わったわけでもないのに、この構えだけは、なぜか一番自然に馴染んだ。
俺は反射的に、両腕を交差させるようにして顔と胸元を庇う。ガキンッ、という重い金属音が響き、腕全体に衝撃が伝わった。それでも、体勢を崩されるほどではない。全身がびりびりと痺れるような感覚はあったが、それすらもどこか心地よく感じられた。
不思議な感覚だった。痛いはずなのに、怖くない。むしろ、何かがちゃんと「効いてる」って手応えの方が強かった。現実で何かにぶつかったら、怖がって縮こまるだけのはずなのに、ここでは違う。守られてるって安心感が、根っこにあるからかもしれない。腕から伝わる衝撃の重さが、逆に「大丈夫だ」という確信に変わっていくのが、自分でも不思議だった。
最初の一撃を受け止めた直後、相手はすぐさま二撃目を繰り出してきた。俺はとっさに反対の腕を掲げてそれも防ぐ。二連続の重い衝撃に、視界がわずかに揺れたが、それでも足はしっかりと地面を捉えていた。むしろ、二撃目を防いだあたりから、少しずつ余裕のようなものが生まれ始めているのを感じた。
「よし、耐えた! じゃあ、こっちも……!」
周囲の轟音に負けないくらい、俺は大きな声で自分に気合いを入れた。
構えを解いた瞬間、俺は相手の懐に飛び込むようにして、右腕を大きく振りかぶった。狙いも何もない、ただ「近くにいる敵を殴る」という単純な発想だけの一撃だったが、それが見事に相手の胴体を捉える。
こんなに何も考えずに体が動いたのは、いつぶりだろう。普段の俺は、何をするにも先回りして最悪の展開を想像して、結局動けなくなる。なのに今は、考える前に拳が出てる。理由はわからないけど、悪い気分じゃなかった。
鈍い音と共に、拳が深くめり込んだ。同時に、肘の裏に仕込まれていた杭が勢いよく飛び出し、拳をさらに奥へと打ち込む。二段構えの衝撃に、敵の機体はひとたまりもなく吹き飛んでいった。
「うわ、入った!」
最初の一撃が決まった瞬間、なぜか妙な感慨があった。今まで、何かをやり遂げたという実感を、こんなにはっきり味わったことがあっただろうか。テストでいい点を取っても、部活で結果を残しても、いつも「まあ、こんなもんか」で終わっていた気がする。今のこの一撃は、それとはまるで違う手応えだった。
【コメント】いい一撃だったね今の
【コメント】ガードして殴るの、地味に理にかなってる
【コメント】ボクシングみたいな戦い方じゃん
「ボクシング? やったことないですけど、なんかそんな感じかも!」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。両腕を上げて相手の攻撃を受け止め、隙を見て踏み込み、拳を叩き込む。教わったわけでも、練習したわけでもないのに、俺の戦い方は、驚くほど基本に忠実な形に落ち着いていた。学校の体育の授業でさえ、まともに参加した記憶がほとんどないというのに、今こうして自然に体が動いていることが、俺自身にとっても不思議だった。
息をつく間もなく、三体目が右側から突っ込んできた。今度は防御より先に踏み込みを選んでみる。相手の攻撃が届くより早く、拳を叩き込めるかどうかの賭けだった。結果は五分五分――相手の一撃を肩に浴びながらも、俺の拳も確実に相手の胴体を捉えていた。痛みらしい痛みは感じない。それでも、装甲がひしゃげる感触だけは、はっきりと伝わってくる。
二体目の敵が横合いから襲いかかってきた。俺は咄嗟に体をひねり、片方の腕でそれを受け止める。衝撃は先ほどと同じくらい重かったが、装甲が軋む音がするだけで、目立った損傷は表示されない。
「これ、本当にこの腕、頑丈だなぁ……ラッキーだったのかも」
安堵混じりの呟きを漏らしながら、体勢を立て直し、反撃の拳を繰り出す。今度は狙いが甘く、敵の肩口を掠める程度に終わったが、それでも相手はよろめき、体勢を崩した。その隙を逃さず、もう一撃、今度こそ確実に急所らしき部分へ拳を叩き込む。手応えは、さっきよりずっと重かった。振り抜いた拳の先で、敵の装甲が大きく歪むのが見えた。
三体目、四体目と続けて相手をしていくうちに、動きの中に、なんとなくのリズムが生まれてきた。ガードして、踏み込んで、殴る。ガードして、踏み込んで、殴る。単調と言えば単調だけど、この単調さが、逆に心地よかった。余計なことを考える隙間がない。ただ目の前のことだけに集中できる時間は、現実ではなかなか味わえないものだった。
攻撃を受けるたびに、腕にじんわりとした熱が伝わってくる。痛みとは違う、何かに使われている実感みたいなものだった。この機体が、自分の役に立ってくれている。そう思うと、この重みすら、なんだか誇らしいものに見えてくる。
六体目は、それまでとは装甲の色が違う個体だった。心なしか動きも速く、放ってくる一撃も重い。俺は両腕でしっかりガードしながら後退し、相手の勢いが一段落したところで一気に間合いを詰める。踏み込みざまに放った一撃は、狙い通り深く突き刺さった。
五体目の敵は、これまでとは少し違う攻撃パターンを見せた。両腕のようなパーツを振り回しながら、二連続の斬撃を放ってくる。一発目は腕でガードできたが、二発目のタイミングがずれて、思わず体勢が崩れかけた。
「うわ、危な……!」
それでも、崩れかけた体勢のまま、俺は無理やり拳を突き出した。狙いも姿勢もめちゃくちゃだったが、勢いだけで相手を弾き飛ばすことに成功する。綺麗な一撃じゃない。それでも、結果だけはちゃんとついてきた。
次々と迫ってくる敵に対しても、同じ要領で応戦していく。まずは腕を掲げてガードし、衝撃をやり過ごしてから、体重を乗せた一撃を返す。単純だが、着実な戦法だった。
七体目の敵は、これまでで一番の巨躯を持つ個体だった。動きは鈍いが、その分一撃の重みが桁違いだった。まともに受け止めれば弾き飛ばされかねないと本能的に悟り、俺は正面から受け止める代わりに、体を横に滑らせるようにして衝撃を逃がした。完全な回避ではないが、直撃は免れる。
「今の、なんとなくかわせた気がする!」
【コメント】今の動き結構うまくない?
【コメント】無意識に立ち回り覚えてきてる
【コメント】才能あるのでは
「才能なんてそんな、たまたまですって!」
謙遜しつつも、内心では少しだけ誇らしい気持ちがあった。誰かに褒められることに、まだ慣れていない。それでも、悪い気はしなかった。
【コメント】さっきから一発も食らってなくない?
【コメント】この機体、見た目のわりに強くない?
【コメント】本人はまだ弱いと思ってそうだけど
【コメント】そういえばスキルとかないの? 使ってみたら?
【コメント】そもそもスキル欄なんて見たことあるのか、この人
「え、スキル? ……あー、なんかそんな通知、見た気もします。まあ、殴ってれば勝ててるんで、多分いらないですよ、それ!」
言われて初めて思い出した程度の反応だった。実際、わざわざ立ち止まって確認する余裕もなければ、その必要性を感じたこともない。今のところ、拳とガードだけで十分に間に合っている。それ以上のことを考える暇は、正直なかった。
「いやいや、めちゃくちゃ攻撃当たってますよ! ただ、なんか、思ったより効いてないだけで……あれ、私、そんなに強くないですよね?」
自信なさげにそう零しながらも、拳は止まらない。目の前の敵を一体、また一体と沈めていく。
周囲の味方プレイヤーたちも、この頑丈な壁の出現に励まされたのか、少しずつ勢いを取り戻し始めていた。「あの機体のおかげで助かってる」「まさか徒歩で来た奴がこんなに頼りになるとは」――そんな声が、無線越しに漏れ聞こえてくる。誰かが指示を出すたびに、俺の周りに敵の攻撃が集中してくるのがわかった。どうやら、盾役として認識され始めているらしい。それならそれで、悪くない役回りだと思った。防衛戦全体を見渡す余裕は、まだなかったけれど、少なくとも自分の持ち場だけは、確実に守り切れているという実感があった。
「そんな褒められると照れるんですけど……! でも嬉しいです!」
誰かの役に立ってる、って実感が、こんなにも力になるとは思わなかった。今まで、誰かに「助かる」なんて言われたことが、いったい何回あっただろう。数えるのも難しいくらい、少なかった気がする。
しばらくすると、これまでとは毛色の違う敵が現れた。小柄で、素早い動きを持つタイプらしい。地面すれすれを這うように移動しながら、こちらの隙を窺っている。
「あ、なんかさっきのと違う。小さい……速い!」
狙いを定めようとするものの、相手はひらりと動きを変え、拳をかいくぐっていく。何度か空振りを繰り返すうちに、苛立ちよりも先に、単純な発想が浮かんだ。視聴者からも「それ狙って当てるの無理そう」「別の方法考えた方がいいかも」という声が飛んでくる。
「もう、これでいいや!」
俺は両腕を広げると、巨体ごと相手に向かって飛びかかった。狙いを絞る余裕がないなら、身体全部を使って押し潰してしまえばいい――そんな、深く考えたとは言い難い判断だった。学校の勉強でも、わからない問題は考え込むより先に適当に埋めて次に進むタイプだった。今のこれも、それと同じ理屈だ。じっくり狙うより、力技でなんとかする。俺の生き方そのものみたいなやり方だった。
巨大な図体が、地響きと共に地面に叩きつけられる。小柄な敵は、避ける間もなく下敷きになった。轟音と土煙が同時に舞い上がり、視界が一瞬白く染まる。土煙が晴れると、下敷きになった敵の姿はもうそこになかった。
【コメント】プレスで草
【コメント】もう理屈じゃなくて力業www
【コメント】初心者の無茶苦茶な戦い方、逆に見てて楽しい
【コメント】でもちゃんと倒せてるのがすごい
「よし、潰れた! ……これ、ちゃんと戦ってることになるのかな?」
同じタイプの小柄な敵がもう一体、横から突っ込んできた。今度は油断せず、腕を伸ばして掴みかかろうとしたが、やはり素早い動きにかわされてしまう。三度目は、あえて動きを予測せず、その場で待ち構える作戦に切り替えた。案の定、相手が懐に飛び込んできたところを、今度こそがっちりと捕まえることに成功する。
何度か繰り返すうちに、「小さくて速い敵にはこれが一番早い」という、なんとも大雑把な結論に辿り着いていた。理屈としては褒められたものではないが、結果だけを見れば、確かに機能していた。
三度目のプレスを終えた頃には、周囲にいた小柄な敵の姿がほとんど見当たらなくなっていた。効率がいいのか悪いのか、自分でもよくわからない。ただ、目の前の問題がひとつずつ消えていくのは、単純に気持ちがよかった。
防衛ラインの穴は、いつの間にかしっかりと塞がれていた。
「まあ、なんとかなってるみたいだし……このまま頑張ろっかな!」
振り返れば、この短い時間の中で、何度も「もう無理かも」と思う瞬間があった。それでも、そのたびになんとか踏みとどまってこられたのは、画面の向こうで見てくれている誰かの存在があったからだと思う。
二体同時に迫ってきた敵も、なんとか片方ずつ処理し終えた。息をつく間もなく、また新たな敵の群れが視界に入ってくる。終わりが見えない戦いのはずなのに、不思議と焦りは感じなかった。ひとつひとつ、目の前のことに対処していけば、それでいい。そう思えるようになったのは、この短い時間の中で得た、小さいけれど確かな変化だった。
視聴者数はいつの間にか七十人近くまで伸びていた。誰も、俺が規格外の存在だとはまだ気づいていない。ただ、頑丈な機体を選んだ初心者が、体当たりで一生懸命戦っている――それだけの、微笑ましい光景として受け止められていた。数字が増えるたびに感じるプレッシャーも、今はもう、悪いものには思えなかった。
根拠のない前向きさだけを頼りに、俺は次の敵へと向き直る。今日はまだ、終わりそうになかった。
配信のコメント欄では、いつしか「ガード&パンチ」「ダメならプレス」という、俺独自の戦法をまとめて呼ぶ愛称が生まれ始めていた。
【コメント】これもう「るか式戦法」って呼んでいいのでは
【コメント】理にかなってるようで無茶苦茶な戦い方
【コメント】でも結果は出してるからすごい
「るか式戦法て。なんですかそれ、変な名前つけないでくださいよ!」
笑いながら抗議しつつも、満更でもなさそうな顔をしていた自覚はある。誰かに認められている、という感覚が、少しずつ自信に変わっていくのを感じる。
自分の名前がついた何かができる、って現象を、こんな形で体験するとは思わなかった。学校では、名前を呼ばれるのはたいてい出席確認の時だけだった。今は、俺の戦い方そのものに名前がついて、それを誰かが面白がってくれてる。ただそれだけのことが、じんわり嬉しかった。
コメント欄では、その後も「るか式戦法」を巡って、ちょっとした盛り上がりが続いていた。「正式名称これでいいのでは」「公式が採用してくれないかな」なんて冗談混じりの提案まで飛び出す始末だった。
「いや、公式が採用するようなことじゃないと思いますけどね!?」
ツッコミを入れながらも、俺はどこか嬉しそうな声を隠しきれていなかった。
その後もしばらく、似たような波状攻撃が続いた。ガードして、殴って、時々プレスする。単調な繰り返しのはずなのに、一体倒すごとに、視聴者からの反応が積み重なっていくのが、素直に楽しかった。
防衛ラインの均衡は、まだ完全に安定したとは言えなかったが、少なくとも押し込まれる一方だった流れは、確かに変わり始めていた。周囲を見渡すと、味方プレイヤーたちの表情にも、少しずつ余裕が戻ってきているのがわかった。誰かが小さくガッツポーズをしているのが視界の端に映る。その光景を見て、俺も知らず知らずのうちに口元が緩んでいた。
それでも、敵の波はまだ途切れる気配がなかった。海の方角からは、次々と新手が上陸してくる音が響き続けている。休む暇なく、また次の敵が距離を詰めてきた。今度は二体同時だった。
「うわ、二体同時か……よし、まずは片方から!」
優先順位を決める余裕もないまま、俺は目についた方から片付けていくことにした。効率的とは言えないやり方だったが、迷ってる時間が一番の無駄だと、直感的に理解していた。
【LiveGate運営本部 おすすめ表示アルゴリズムチーム】
「ちょっとこれ見てもらっていいですか」
解析担当のオペレーターが、データダッシュボードの一角を指差した。
「新規配信『ルカちゃんねる』、視聴維持率の推移がちょっと変な形してます」
「変な形って?」
「普通、新規配信って序盤にピークが来て、あとはだらだら下がっていくもんじゃないですか。でもこれ、下がりきったところから急に持ち直して、その後もずっと横ばいなんですよ。しかもコメント投稿率が異常に高い」
画面に表示されたグラフを、先輩オペレーターが覗き込む。
「視聴時間の中央値も長いな……なんの配信だ、これ」
「ZERO-DAYの新規勢らしいです。ロボットバトルゲームの」
先輩オペレーターは、グラフをさらに詳しく確認していった。時間帯別の流入経路、視聴者のリピート率、コメントの感情分析――どれを見ても、通常の新規配信とは明らかに違う傾向を示している。
「これ、単発のバズりじゃなさそうだな。継続的にファンがついてる感じだ」
「そうなんですよね。新規なのに、初見離脱率がめちゃくちゃ低いんです」
「まあ、たまにあるんだよな、こういう伸び方するやつ。中身が何かは知らんが、おすすめ露出の重みづけ、少し上げとくか」
「了解です。ちなみになんですけど、この配信者、担当ついてないみたいですよ」
「マジか。じゃあクリエイターサポートの誰かに一応共有しといてくれ。伸びそうなら早めに声かけといた方がいいし」
「わかりました。……にしても、この機体の見た目、なんか癖になりますね」
「お前もう三回くらいそのクリップ再生してるだろ」
「してます」
先輩オペレーターは苦笑しながら、次の解析対象へと視線を移した。この日、アルゴリズムのわずかな重みづけの変更が、数週間後にどれほどの拡散を生むことになるのか、この場にいる誰も予想していなかった。数字は嘘をつかないが、数字の意味を正しく理解するのは、いつだって後になってからだ。




