8.間に合いました……たぶん
丘を越えた瞬間、視界いっぱいに戦場が広がった。
空気そのものが変わったように感じられた。焦げた金属の匂い、地響き、絶え間ない爆発音――丘の向こうとこちら側とでは、まるで別の世界だ。俺は思わず、その場に立ち尽くしてしまう。耳鳴りがするくらいの轟音の中で、自分の心臓の音だけが、やけにはっきり聞こえた。長い徒歩移動の間に少しずつ高まっていた緊張感が、この光景を目にした瞬間、一気に現実味を帯びた。
海岸線に近いその場所には、巨大な構造物――コアと呼ばれているものだろう――が鈍く発光しながら聳え立っていた。鈍く発光する表面には、幾何学的な紋様が刻まれており、まるでそれ自体がひとつの生命体であるかのような雰囲気すら漂わせている。その足元では、人間ひとりでは到底太刀打ちできそうにない規模の攻防が、絶え間なく繰り広げられていた。遠目にもわかるほど、味方の数は徐々に減っているように見えた。
「うわ、思ってたよりずっとやばい……!」
思わず足が止まりかける。想像していたよりも遥かに激しい光景に、俺は一瞬、言葉を失った。ここに来るまでの徒歩移動の間、頭のどこかで「まあなんとかなるだろう」と楽観していた自分を、少しだけ恥じたくなるくらいの惨状だった。
コアの本体は、思っていたよりもずっと大きく、遠くから見てもその存在感は圧倒的だった。近づくにつれて、その大きさがどんどん実感を伴っていく。テレビ画面で見る富士山と、実際に麓に立って見上げる富士山くらい、印象が違う。
【コメント】想像以上の混戦
【コメント】これもう戦争じゃん
【コメント】間に合ったの!? ギリギリじゃない?
視線を巡らせると、コアを守るように配置された防衛施設の残骸や、既に撃破されたのだろう味方機体の残骸も、あちこちに転がっているのが見えた。まだ戦いが始まったばかりだと思っていたが、どうやらこの防衛戦は、既にかなりの時間続いているらしい。
「これ、いつから始まってるんだろう……相当長引いてる感じがする」
敵の姿かたちも、一様ではなかった。二足歩行の人型に近いものもいれば、四足で素早く動き回る獣型、さらには地を這うようにして進む扁平な形状のものまで、種類は多岐にわたっているようだった。統一された種族というより、まるで寄せ集めの軍勢のように見える。
「なんか、いろんな種類いるんですね。統一感ないっていうか」
【コメント】INVADERは複数の系統があるらしいよ
【コメント】上陸してくるタイプはランダムって噂
【コメント】今回は結構数が多いパターンかも
コアの手前では、味方らしきプレイヤーたちが押し込まれ、じりじりと後退させられている様子が見えた。敵の数は、明らかに味方の数を上回っている。海の方角に目をやると、水しぶきを上げながら、次々と新手が上陸してくるのが見えた。まるで、波が押し寄せるように、途切れることなく敵の姿が現れ続けている。
よく見ると、味方の隊列のあちこちに、既に大破した機体の残骸が転がっていた。まだ動いている機体も、装甲のあちこちが焼け焦げ、満身創痍といった様子だ。これがどれだけ長時間続いてきた戦闘なのか、その傷跡だけで十分に伝わってきた。
「え、まだ増えるの……? ちょっと、これ大丈夫なんですかね」
【コメント】これはさすがに厳しそう
【コメント】でも他のコアはもっと悲惨かもしれないよ
【コメント】五角形のどれかに集中するらしいから、ここは軽い方かも
「軽い方でこれなんですか……」
乾いた笑いが漏れる。もし本当に軽い方だとしたら、他の四箇所は一体どれほどの惨状になっているのか、想像するだけで気が重くなった。
「これ、私が行ったところで何か変わるのかな……」
弱気な呟きが漏れる。この感覚には覚えがあった。何か大きなものを前にして、自分ひとりの力なんて誤差でしかないと感じてしまう瞬間――学校でも、何度となく味わってきた感覚だ。大勢の中に埋もれてしまえば、自分の存在なんて誰も気にも留めない。そう思うたびに、俺は一歩後ろに下がることを選んできた。
文化祭の準備でも、体育祭の応援団でも、いつも「俺なんかいてもいなくても同じだろう」って結論に落ち着いて、輪の外側に立ってた。実際、誰も俺がいないことに気づかなかったと思う。それが寂しいとか悔しいとか、そういう感情すら、いつからか麻痺してた。
小学生の頃はまだ違った気がする。誰かに頼られたり、頼ったりすることに、今ほど抵抗はなかったはずだ。いつの間にそんな自分を見失ってしまったんだろう。考えても答えは出なかった。
けれど、今は下がる場所がなかった。画面の向こうには、期待するようにこちらを見ている視聴者たちがいる。今さら「やっぱり無理です」と回れ右をするわけにはいかない。
「……いや、うじうじ悩んでる場合じゃないか」
自分に言い聞かせるように呟くと、意識を切り替えた。深く考え込むのは、俺の性分に合わない。それよりも、目の前で困っている人を放っておけない、という単純な気持ちの方が、ずっと強く胸を占めていた。
立ち止まっている時間はなかった。味方の防衛ラインの端が崩れかけ、そこから数体の敵が、コアに向かって突破しようとしているのが見えた。
【コメント】あそこ抜けられそうだよ
【コメント】早く!
「あ、あそこ危ない! えっと、とりあえず……行くしかない、よね!」
深く考える余裕もないまま、俺は巨体を突破口へと向けて走らせた。走るというより、巨大な図体を勢いよく前傾させて突っ込んでいく、というのが正確な表現かもしれない。地響きを立てながら近づいてくる黄色い巨体に、突破しかけていた敵の一体が反応し、こちらへと矛先を変える。
視聴者数がぐんと跳ね上がったのが、視界の端で見えた。誰も彼もが、この先何が起きるのかを息を呑んで見守っている。その視線を意識した瞬間、逃げ出すという選択肢は完全に消え失せた。
この瞬間、頭の中に迷いはなかった。むしろ、迷ってる暇がなかったと言った方が正確かもしれない。考えれば考えるほど動けなくなるのが俺の悪い癖だったはずなのに、今はそれが逆に働いていた。考える猶予がないから、体が先に動く。皮肉なもんだと思った。
「うわ、来た!」
考える間もなく、俺は反射的に両腕を顔と胴体の前に掲げていた。特に誰かに教わったわけでもない、ただの本能的な防御姿勢だった。
敵の一撃が、腕に叩きつけられる。重い衝撃と共に、視界が一瞬揺れた。轟音と共に火花が散ったが、装甲そのものには目立った変化が見当たらない。それでも、体勢を崩されるほどのダメージには至っていない。
続けて二体目が左側から迫ってきた。俺はとっさに体をひねり、もう片方の腕でそれを弾く。金属同士がぶつかる甲高い音が響き、敵の機体が大きくよろめいた。反撃のチャンスだと本能的に悟ったものの、まだ拳を振るう間合いの取り方すらわかっていない。とりあえず前に踏み込んでみると、思いのほかあっさりと拳が届いた。手応えはあったが、まだ確信は持てない。相手は多少よろめいた程度で、決定打には見えなかった。
「痛っ……くはない? あれ?」
【コメント】その腕、ガード性能高そう
【コメント】めちゃくちゃ頑丈な機体選んだね、結果的に
【コメント】さすが不人気機体、意外と侮れない
「あ、この腕、結構頑丈なのかも!」
その言葉に、少しだけ勇気が湧いてくる。少なくとも、一方的にやられるだけの展開にはならなそうだった。二撃目、三撃目と続く敵の攻撃にも、俺は同じように腕を掲げて対応する。三体目、四体目と、次々に敵が押し寄せてきたが、防御の姿勢だけは崩さなかった。腕が焼けるように熱いのを感じたが、それすらも今は気にならなかった。多少の衝撃はあるものの、致命的な様子はまるでない。
五体目の敵は、これまでとは違う攻撃の仕方をしてきた。地面すれすれを這うように接近して、下から掬い上げるような一撃を放ってくる。とっさに片膝を折って体勢を低くし、その一撃を肩でいなす。綺麗な回避とは言えなかったが、直撃は免れた。
「うわ、今の危なかった……!」
汗をかくような感覚は当然ないはずなのに、心臓だけは確かにばくばくと音を立てていた。それでも、足を止めるという選択肢は、頭の中に一切浮かばなかった。
考えてみれば、これまでの人生で、こんなふうに何かの前に踏みとどまり続けたことなんてなかった。少しでも危険を感じたら、すぐに引き返す。それが俺のやり方だったはずだ。なのに今は、下がるという選択肢そのものが存在しないみたいに、体が勝手に前へ前へと進んでいく。
こんなに堂々と何かの前に立ち続けられたのは、いつぶりだろう。逃げ出したくなる衝動が、まったくないと言えば嘘になる。でも、腕を下ろすという選択肢が、なぜか頭に浮かんでこなかった。ここで引いたら、後ろの誰かが困る。それだけがはっきりしていた。
周囲を見渡すと、味方のプレイヤーたちが驚いたような視線をこちらに向けているのがわかった。突然現れた見慣れない巨体が、防衛ラインの穴を強引に塞いだ格好になっている。中には、拍手のような仕草を送ってくるプレイヤーもいた。何が起きたのか俺自身よくわかっていなかったが、とにかく歓迎されているらしいことだけは伝わってきた。
「あの、大丈夫ですか!? 助太刀に来ました!」
近くにいたプレイヤーの一人に、思い切って声をかけてみる。震えそうになる声を、意識して腹の底から張り上げた。相手は一瞬、俺の巨大な機体をぽかんと見上げてから、ハッとしたように返事をした。
「た、助かる! お前、どこの部隊だ!?」
「えっと、ソロです!」
「ソロ!? この状況でソロで来たのか……いや、今はありがたい。頼む、その穴を塞いでてくれ! 俺たちは他の敵を抑える!」
「わかりました! 任せてください!」
勢いだけで返事をしてしまってから、少しだけ不安になった。任せてくださいと言った手前、簡単に崩れるわけにはいかない。とはいえ、具体的にどう立ち回ればいいのかまでは、正直まったくわかっていなかった。
思えば、俺は今まで「任せて」なんて言葉を、誰かに向けて言ったことがあっただろうか。頼られることはおろか、頼ることすら苦手だった。グループ課題ではいつも受け身で、誰かの指示を待つだけの存在だった。それが今、誰かに頼られて、しかも自分から「任せて」と口にしている。柄にもないと思いつつも、悪くない気分だった。
もし今のやり取りを、現実の同級生たちが見たらどう思うだろう。あの人見知りで、発表ひとつまともにできなかった上比留楓が、見ず知らずの相手に「任せてください」なんて言い切っている。想像すると、なんだかおかしくて、少しだけ誇らしかった。
「えっと……とりあえず、ここに突っ立ってればいいんですよね? 通せんぼ的な」
誰も明確には答えてくれなかったが、味方プレイヤーたちが安堵したような表情を浮かべているところを見ると、それで間違ってはいなさそうだった。俺は両腕を構え直し、次々と迫ってくる敵の姿を、正面から見据える。両膝にわずかに力を込め、いつでも動き出せるように重心を落とした。
視界の端に映る味方プレイヤーたちの姿は、一人ひとりが必死の形相で戦っていた。誰かの機体からは白煙が上がり、また別の誰かは、既に片腕を失った状態で戦線を維持しようとしている。想像していた以上に過酷な現場だった。
(みんな、ちゃんと頑張ってるんだ……)
その光景を目の当たりにして、俺の中で何かが少しだけ変わった。ただ流されてここまで来ただけのつもりだったが、今この瞬間だけは、誰かの役に立ちたいという気持ちが、はっきりと胸の内にあった。
視聴者数は、いつの間にか六十人に届こうとしていた。コメント欄には、心配する声と、応援する声が入り混じって流れている。
【コメント】頑張れ、無理はしないでね
【コメント】その腕でしっかりガードして
【コメント】絶対応援してるから
「みんな、ありがとうございます。……よし、やってやりますよ!」
誰かに見てもらえているという事実が、こんなにも心強いとは思わなかった。普段の俺なら、緊張で声も出せなくなるような場面のはずだった。それなのに今は、不思議と足がすくむことはなかった。
目の前では、次の敵の群れが、既に距離を詰めてきている。地を這うように動く小柄な影、ゆっくりと重々しく迫る大柄な影――種類も動きもばらばらな敵たちが、一斉にこちらへと押し寄せてくる。数を数える余裕もないくらい、あちこちから同時に迫ってきていた。それでも、不思議と恐怖よりも、やるべきことをやるだけだという妙な落ち着きの方が勝っていた。
両腕をしっかりと構え、俺は静かに息を整えた。ゲームの中の呼吸に意味があるのかはわからなかったが、それでも、この一瞬の間が、次に繋がる大事な準備運動のように感じられた。
現実の楓なら、今頃緊張で指一本動かせなくなってるはずだ。でも今は、不思議と落ち着いていた。守るべきものがあって、頼ってくれる人がいて、見てくれてる誰かがいる。それだけで、こんなにも人は踏ん張れるものなのか。
視聴者数の表示は、いつの間にか六十を超えていた。数字が増えるたびに、責任みたいなものがじわじわと肩に乗ってくる感覚があった。それでも、その重さは、決して嫌なものじゃなかった。誰にも期待されなかった一年間を思えば、この重さは、むしろありがたいものに近い。
これまでの人生で、誰かに何かを期待されるという経験自体が、驚くほど少なかった。テストの点数も、部活の成績も、期待されるほどのものは何もなかった。だから今、画面の向こうの誰かが自分の一挙一動を見守ってくれているという事実が、こんなにも新鮮に感じられるのかもしれない。
「よし……来い!」
初めての本格的な戦闘が、今まさに始まろうとしていた。腕を構えたまま、俺は一体目の敵が距離を詰めてくるのを、じっと待ち構えた。
【EDF傭兵 防衛部隊リーダー(プレイヤー、30代男性)視点】
正直、諦めかけていた。
俺はβテストの頃からこのゲームに触れていて、防衛戦の指揮役を任されることも少なくなかった。今日は正式サービス開始日ということもあって、右も左もわからない新規プレイヤーが大勢参加している。人数だけは揃っているが、練度で言えばベータ期間とは比べ物にならないくらい心もとない。
このコアの防衛は、開始から三十分以上、押され続けていた。人数は足りない。装備も摩耗してる。あと十分保つかどうかも怪しい状況だった。今回の襲撃は、ベータ期間も含めてこれまで経験した中でも間違いなく上位に入る激しさだった。
新人らしきプレイヤーも何人か参加してくれていたが、初動の混乱で連携もろくに取れていない。俺自身、防衛部隊のリーダーとして、この場をどう立て直すか、正直これといった打開策が見えていなかった。
そこに、あの黄色い巨体が現れた。
最初は正直、期待していなかった。見たこともない機体、しかもソロ。頭数が増えるのはありがたいが、戦力になるかどうかは別問題だ。むしろ足手まといになる可能性の方が高いとすら思っていた。
その予想は、いい意味で外れた。
あの機体は、突破されかけていた防衛ラインの穴に、迷いなく飛び込んでいった。無鉄砲にも見えたが、結果として敵の攻撃を正面から受け止め、そのまま持ちこたえている。
「あの機体、なんなんだ……」
俺は思わず呟いていた。装甲の頑丈さもさることながら、何より、あの新人らしきプレイヤーの反応速度と度胸に驚かされた。ソロでこの状況に飛び込んでくる判断力は、並大抵のものじゃない。普通、これだけの激戦を目の当たりにしたら、腰が引けて距離を取るもんだ。なのにあの機体は、迷わず一番危ない場所に突っ込んでいった。
部隊を率いてきた経験上、こういうタイプのプレイヤーは、大成するか、早々に潰れるかの両極端になりやすい。どちらに転ぶにしても、今この瞬間だけは、間違いなく頼りになる存在だった。
俺はこれまで、何度もこういう防衛戦を指揮してきた。優秀な仲間もいれば、頼りない新人もいた。だが、あの黄色い機体のように、性能も戦術もめちゃくちゃなのに、なぜか結果だけはついてくるタイプは、正直初めて見た気がする。
「無線繋げるか? 名前くらい聞いときたい」
「今、通信申請送りました」
これで、少しは戦線を立て直せるかもしれない。俺はそう思いながら、無線に向かって指示を飛ばし始めた。周囲の部隊員たちにも、あの機体の位置を基点に守備範囲を再編するよう指示を出す。混乱していた戦線が、少しずつ落ち着きを取り戻していくのがわかった。
それにしても、と俺は改めて思う。今回の防衛戦は、いつもより明らかに手強かった。上陸してくる敵の数も種類も、これまで担当してきた中で一、二を争う激しさだ。運営側の匙加減がいつもと違うんじゃないか、なんて考えが一瞬頭をよぎったが、そんなことを気にしてる余裕は今の俺にはなかった。
このときはまだ、あの黄色い機体が、この防衛戦の流れそのものを変えることになるとは、思ってもいなかった。




