10.初撃破
防衛ラインの穴を塞いでから、どれくらい経っただろうか。
周囲では、まだ轟音と怒号が絶え間なく響いている。何度も同じような攻防を繰り返すうちに、時間の感覚がどんどん曖昧になっていった。ゲームの中の時間なのか、現実の時間なのか、境目がわからなくなるくらい、目の前のことに集中してた。こんな感覚、いつ以来だろう。何かに、ここまで没頭できたのは。現実の楓なら、とっくに音を上げてる頃かもしれない。それでも、この機体に乗ってる間だけは、不思議と気力が尽きなかった。
気づけば、防衛の最前線に立つ格好になっていた。押し寄せる敵の数は減ってきているものの、その分、一体一体の圧力が増しているような気もする。これだけ攻撃を受け続けているのに、両腕の装甲はまだ綺麗なままだった。動きに支障が出る様子も、まったくない。周囲の味方プレイヤーたちも、当初の混乱から立ち直り、少しずつ統率の取れた動きを見せ始めていた。誰かが指示を出し、誰かがそれに応える。バラバラだった防衛ラインが、少しずつひとつの形になっていくのがわかった。
「まだ来るのか、これ……」
息を切らすような感覚は、あくまでゲーム上の演出に過ぎないはずだが、俺の声には確かな疲労が滲んでいた。それでも、両腕を掲げる姿勢だけは崩さない。周囲の味方プレイヤーたちも、当初の混乱から立ち直り、少しずつ統率の取れた動きを見せ始めていた。誰かが指示を出し、誰かがそれに応える。バラバラだった防衛ラインが、少しずつひとつの形になっていくのがわかった。
誰かと同じ目的のために肩を並べて戦うなんて、久しぶりすぎて感覚を忘れてた。グループワークではいつも空気だったし、部活にも入らなかった。今この瞬間、俺は確かに「チームの一員」だった。そのことに、自分でもびっくりするくらい、じんわりと胸が温かくなった。
視界の端で、味方プレイヤーの誰かが「行けるぞ、押し返せ!」と叫んでいるのが聞こえた。俺もその流れに乗って、目の前の敵を一体、また一体と沈めていく。単調な繰り返しのはずなのに、不思議と飽きがこなかった。
そのとき、視界の端で、周囲の敵とは明らかに一線を画す気配が動いた。他の個体よりも一回り大きく、装甲も禍々しい紋様に覆われている。周囲の味方プレイヤーたちの間にも、緊張が走るのがわかった。
「あれ、なんか強そうなのが来た……」
その姿を見た瞬間、周囲の空気が明らかに張り詰めるのがわかった。今までの敵とは、まとってる圧力そのものが違う。本能的な部分で「これはやばい」と察知しているのが、自分でもわかった。
周囲の味方プレイヤーたちの動きにも、明らかな変化があった。それまで各々の敵に対処していた面々が、一斉にその大型個体の方へと視線を向けている。誰も彼もが、言葉にしなくても「これが本命だ」と理解しているようだった。
【コメント】あれ多分このエリアのボス格
【コメント】でかいの来たね
【コメント】無理に相手しなくていいと思うよ
視聴者たちの心配をよそに、その大型の個体は真っ直ぐにコアを目指して突き進んでくる。周囲のプレイヤーたちが一斉に攻撃を仕掛けるが、分厚い装甲に阻まれ、目立ったダメージを与えられずにいた。銃撃も、斬撃も、まるで通用している様子がない。地響きを立てながら進むその歩みは、まるで止められないことを最初から知っているかのように、堂々としていた。
「あれ、みんなの攻撃、効いてなくない……?」
剣を得意とするらしいプレイヤーが、渾身の一撃を叩き込んでも、相手の装甲には浅い傷がつく程度だった。遠距離からの砲撃も、着弾の瞬間にはそれなりの爆炎を上げるものの、大型個体の歩みを止めるには至らない。
見てるだけで、じわじわと焦りが募ってきた。誰も彼も、精一杯やってる。それなのに、状況は少しも好転しない。こういう「みんな頑張ってるのに、どうにもならない」空気には、覚えがあった。文化祭の準備で、クラス全員が必死にやってるのに、なぜか最後まで形にならなかったあの時と、どこか似てる。
「これ、放っておいたらコアやばくない……?」
誰かに指示されたわけでもないのに、俺の足は自然とその方向へ動いていた。理屈で考えたわけではない。ただ、目の前で何かまずいことが起きそうな時、それを見過ごせない性分が、こういう場面でも顔を出してしまうらしい。
「お、おい! 無茶するな、あれは今までのとは格が違う!」
先ほど声をかけてくれたプレイヤーが、慌てて制止の声を上げる。けれど、俺の足は止まらなかった。
「大丈夫です、たぶん……! なんとかなる気がするので!」
根拠のかけらもない返事をしながら、大型個体の正面へと躍り出た。振り返れば、俺はいつもこうだった。根拠なんてなくても、口に出した瞬間に、なぜか本当にそんな気がしてくる。今もそうだ。勝算があるわけじゃない。ただ、ここで動かなかったら、絶対に後悔する。それだけがはっきりしていた。足を踏み出すたびに、心臓が痛いくらい早く鳴っていた。それでも、止まる理由にはならなかった。
巨体同士が正面からぶつかり合う。大型個体の一撃が、俺の両腕を強かに打ち据えた。今までとは比べ物にならない衝撃に、機体が大きく後ろへ弾かれる。
「うわ、重い!」
それでも、俺は踏みとどまった。倒れそうになる体勢を無理やり立て直し、もう一度、正面から向き合う。腕が悲鳴を上げているのがわかる。それでも、下げるという選択肢だけは、頭に浮かばなかった。
【コメント】踏みとどまった!
【コメント】頑張れ!
【コメント】そのまま行け!
大型個体は続けざまに、二撃目、三撃目と攻撃を繰り出してくる。俺はそのすべてを、両腕で受け止め続けた。装甲の軋む音が、これまでとは比較にならないほど大きく響く。それでも、装甲そのものにはやはり目立った傷ひとつ見当たらなかった。
「うわ、これは……ちょっとキツいかも」
弱音が漏れた瞬間、大型個体の巨腕が、地面を割るような勢いで振り下ろされた。とっさに横へ体を捻り、直撃だけは免れる。それでも、余波の衝撃で機体全体が大きく揺れた。
「くっ……!」
体勢を立て直す間もなく、今度は横薙ぎの一撃が飛んでくる。俺は両腕を交差させてそれを受け止めたが、これまでで一番重い衝撃に、思わず後ろに数歩下がらされた。
【コメント】押されてる!
【コメント】大丈夫か!?
【コメント】これはさすがにやばいかも
「まだ、まだいける……!」
自分に言い聞かせるように呟きながら、俺は再び前へと足を踏み出した。ここで下がったら、後ろのコアが危ない。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
大型個体はさらに追い打ちをかけるように、両腕を大きく振り上げた。まるで、その一撃で決着をつけようとしているかのような、明確な殺意を感じる動きだった。
「これ、まともに受けたらまずいやつだ……!」
直感的にそう悟った俺は、正面から受け止めるのではなく、体を半身にして衝撃を逃がすことにした。完全な回避にはならなかったが、それでも先ほどまでより明らかにダメージは軽減されている感触があった。何度も攻撃を受け続けるうちに、少しずつ、体がこの機体の動かし方を覚えていっているのかもしれなかった。
【コメント】さっきよりうまく捌けてる!
【コメント】学習能力すごくない?
【コメント】これもう才能あるでしょ
大型個体の攻撃は、まるで終わりが見えなかった。四撃目、五撃目と、休む間もなく振り下ろされる巨腕を、俺はひたすら受け止め続ける。これだけの猛攻を浴びているのに、装甲には傷ひとつ見当たらない。それが逆に不気味なくらいだった。それでも、機体そのものが機能を失う気配はない。
「なんで……なんでこんなに耐えられるんだろ、この機体」
自分でも不思議に思うくらい、まだ立っていられた。理屈はわからない。ただ、この頑丈さだけが、今の俺の命綱だった。
大型個体は今度は距離を取り、口のような部分から光を溜め始めた。何か、これまでとは違う攻撃の予兆だとすぐにわかった。
「え、次なんか来る……!」
【コメント】チャージ攻撃っぽい
【コメント】避けた方がいいんじゃない?
【コメント】でも避けたらコアに直撃するかも
視聴者の指摘に、俺はハッとした。あの角度だと、避けたところに味方やコアが並んでいる。逃げるという選択肢は、最初から用意されていなかった。
「よし、これも受け止める!」
覚悟を決めて、俺は両腕を胸の前で交差させ、盾のように構えた。次の瞬間、放たれた光の奔流が、俺の機体を真正面から呑み込む。視界が真っ白に染まり、耳鳴りのような音だけが響いた。
衝撃はこれまでで一番強かった。機体が軋み、装甲のあちこちから火花が散る。それでも、俺の足はぎりぎりのところで地面を踏みしめ続けていた。
「うわ、耐えた……! 耐えたぞ、これ!」
【コメント】うそだろ!?
【コメント】あの一撃を正面から受けきった!?
【コメント】もうこの機体おかしいって
光が収まった後、大型個体は一瞬、隙だらけの体勢を晒していた。今しかない。俺は残っている力を振り絞るようにして、地面を蹴った。
弱音がこぼれかけたその瞬間、周囲の味方プレイヤーたちの援護射撃が、大型個体の側面に次々と着弾した。決定打にはならないまでも、相手の意識がそちらへ逸れる。
「今だ!」
誰かの声が響いた。俺はその一瞬の隙を逃さなかった。
大型個体の巨体が、わずかに横を向いた。この一瞬を逃したら、次のチャンスがいつ来るかわからない。俺は残っている力を全部、右腕に集めるつもりで、大きく踏み込んだ。
「よし、これでどうだ……!」
大きく振りかぶった右腕が、大型個体の胴体めがけて叩き込まれる。拳がめり込む感触と同時に、肘の裏の杭が勢いよく打ち込まれ、拳をさらに奥へと突き刺す。
殴打と杭撃ちが重なった二段式の一撃に、大型個体の巨躯が大きく仰け反った。装甲の継ぎ目から光が漏れ、内部で何かが弾けるような音が響く。
「うおおおおおおっ!」
思わず叫んでいた。演技でもなんでもない、心の底から出た声だった。
次の瞬間、大型個体は光の粒子となって崩れ落ちていく。周囲を満たしていた轟音が、嘘のように静まり返った。
一拍の沈黙のあと、コメント欄が爆発した。
【コメント】うおおおおおおおおおおおおおおお
【コメント】やったああああああああ
【コメント】ボス格を一撃で!?
【コメント】今の動き完全に決まり手じゃん
【コメント】伝説の瞬間見た
「や、やった……やりました!」
息を弾ませながら、俺は天を仰ぐようにして両腕を突き上げた。全身に力が入らないくらい、心臓が高鳴っている。誰かに褒められるわけでも、報酬が出るわけでもないのに、この瞬間の高揚感だけは、他の何にも代えがたいものだった。
振り返ってみれば、この一連の戦いの間、恐怖を感じなかったわけじゃない。何度も心が折れかけた瞬間があった。それでも、最後まで踏みとどまれたのは、単純に「ここで諦めたら格好悪い」という、ただそれだけの気持ちだったのかもしれない。
周囲の味方プレイヤーたちからも、称賛のボイスチャットが飛び交う。「今の一撃、なんだったんだ」「あの機体、誰だよ」「助かった、マジで助かった」――そんな声が、あちこちから聞こえてきた。先ほど無茶を止めようとしてくれたプレイヤーも、呆気にとられたような声で「お前、とんでもないな……」と呟いていた。
誰かが無線越しに「あの機体、化け物じみてるな」と半ば呆れたように言うのが聞こえた。周囲からも同意するような笑い声が上がる。まだこの時点では、誰もこの機体に特別な呼び名をつけてはいなかった。
「いや、私も何が起きたのかよくわかってないんですけど……とにかく倒せてよかったです!」
大型個体が消えたことで、押し寄せていた敵の勢いも目に見えて弱まっていった。海岸線からの新手の上陸も、次第に間隔が空き始めている。防衛戦は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
視聴者数は、いつの間にか百人を超えていた。この日、この瞬間の光景が、後に俺の運命を大きく動かしていくことになる。数字が三桁を超えたのを見て、俺は思わず息を呑んだ。始めたばかりの頃には、想像すらできなかった数字だった。まだ実感が湧かないまま、俺はただその数字を見つめ続けていた。
けれど今の俺は、ただ純粋に、初めての大きな達成感に浸っているだけだった。全身から力が抜けていくのがわかる。怖かった。緊張してた。それでも、最後までやり切れた。それだけで、今日という日が、なんだか特別なものに思えた。
「やったー! 見てました、みんな!?」
弾んだ声で問いかけながら、俺は誇らしげに、自分の巨大な相棒を見上げた。丸くて、黄色くて、誰にも選ばれなかったはずのこの機体が、たった今、戦況をひっくり返す一撃を放ったのだ。
「イエローサブマリン、やるじゃん……!」
愛おしそうに機体の腕を撫でながら、俺は満足げに笑った。この日の戦いは、まだ完全に終わったわけではなかったが、少なくとも、最悪の展開だけは免れたようだった。
周囲を見渡すと、味方プレイヤーたちが次々とこちらに集まってきているのが見えた。誰かが手を挙げてハイタッチを求めてくる仕草をしたが、生憎、この巨大な機体でそれに応える術はなかった。代わりに、俺は大きく両腕を掲げて応えることにした。
「あの、本当にありがとうございました! 皆さんの援護がなかったら、たぶん俺一人じゃ無理でした」
素直にお礼を言うと、無線の向こうから照れ隠しのような笑い声が返ってきた。「こっちこそ助かった」「あの一撃見れただけで今日は満足だわ」――そんな声が、次々と飛び交う。誰かとこうして戦果を分かち合える瞬間が、こんなにも心地よいものだとは、正直知らなかった。
しばらくすると、コアの周辺に静けさが戻り始めた。海岸線からの新手の上陸も、目に見えて間隔が空いてきている。今日のところは、なんとか防衛に成功したらしい。
「配信、見てくれてありがとうございました。えっと、ちょっと放心状態なので、今日はこの辺で……」
息を切らしながらも、俺はどうにか締めの言葉を絞り出した。頭の中はまだ興奮でいっぱいで、うまく言葉がまとまらない。今日一日を振り返ると、本当にいろんなことがあった気がする。チュートリアルの事故から始まって、右も左もわからないまま歩き続けて、そして今、こんな結果に辿り着いている。誰かに聞かせても、きっと信じてもらえないくらい、めちゃくちゃな一日だった。
配信を切ったら、また現実の俺に戻る。人見知りで、声も小さくて、母さんの目もろくに見られない、あの上比留楓に。それでも今この瞬間だけは、誰かの役に立てて、誰かに認められて、こんなにも胸を張れる自分がいる。この感覚を、また味わいたい。そう思ったら、明日もまた配信しようって気持ちが、迷いなく胸の中に居座っていた。
【LiveGate運営 クリエイターサポート担当 朝霧美咲(24歳)視点】
残業中のオフィスで、私は何気なく社内共有のクリップ集を眺めていた。
新人発掘は、私の仕事の中でも特に好きな部分だ。誰にも知られていない配信者が、思いがけない瞬間に化ける。その瞬間に立ち会えるかもしれないと思うと、疲れた頭でも自然と目が冴えてくる。
そういえば、この配信者に触れるのは、これが初めてではなかった。今日の勤務中、視聴維持率の異様な高さで一度だけ気になったことがある。あの時は、地味な徒歩移動をただ延々と眺め続けるだけの配信で、正直「変わってるな」くらいの印象しか持たなかった。まさか同じ配信の中で、こんな瞬間まで飛び出すとは思わなかった。
その日流れてきた社内おすすめクリップの中に、少し気になるものがあった。タイトルは「ZERO-DAY 新規勢が大型敵を一撃撃破」。サムネイルには、丸くて黄色い、見たことのない機体が映っている。
再生してみると、たしかに面白い映像だった。防衛戦の絶体絶命の場面で、その黄色い機体だけが平然と敵の攻撃を受け止め、たった一撃で大型の敵を沈めている。配信者の声も、可愛らしくて耳に残る。
「これ、さっきちらっと見た人だ」
思わず声が漏れた。あの地味な徒歩配信が、まさかこんな瞬間を生み出すとは、正直想像していなかった。コメント欄の盛り上がり方も、さっき見たときとは比べ物にならないくらい熱を帯びている。同じ配信を覗いている間に、状況がここまで変わるとは。
「……ちょっと気になるな、これ」
私は小さく呟いて、その配信者の名前をメモに書き留めた。「るかちゃんねる」。まだ登録者数はそれほど多くない、無名の新人アカウントだった。
新人発掘の仕事をしていると、こういう「化けそうな瞬間」に出会うことが、たまにある。だいたいの場合、そこで焦って声をかけると、かえって相手を萎縮させてしまう。もう少し、様子を見た方がいい。経験からくる、そんな勘があった。
それに、この配信者の場合、実力うんぬんよりも先に、なぜあの機体がノーダメージで済んでいるのか、その仕組み自体が気になった。単なる頑丈な機体というだけでは片付けられない何かがある気がする。もっとも、そのあたりは自分の管轄外だ。技術的な話は、開発側に任せておけばいい。
この時点では、まだ本格的に担当を志願するほどの確信はなかった。ただ、なんとなく――この配信者は、もう少し伸びるかもしれない。そんな予感だけが、頭の片隅に小さく残った。




