60.頂点の先に
あの「仕様です」発表から、さらに数週間が経っていた。運営からの正式な見解が公になったことで、これまでどこか及び腰だった企業からの依頼も、目に見えて増え始めていた。「不正疑惑」という重たい影が晴れたことで、ようやく安心して声をかけられるようになった、という声も、朝霧さん経由で、いくつも耳に入ってきていた。
「るかちゃんねる、始めます! 今日は、この間いただいたお話について、ちょっとご報告があります!」
いつも通りのテンションで、俺はそう切り出した。配信画面の向こうには、いつも以上に活発なコメントの流れが、既にできあがっていた。
【コメント】お、どんな話?
【コメント】もしかして企業案件?
【コメント】世界王者にもなると規模が違うよな
「なんと今回、世界的なスポーツ用品メーカーさんから、コラボのお話をいただきました!」
思わず、声が弾む。以前だったら、きっと実現しなかっただろう規模の話だった。「疑惑」というレッテルが外れたことで、こうして胸を張って引き受けられる仕事が増えたのだと思うと、なんとも言えない感慨があった。
【コメント】ついにあそこまで来たか
【コメント】世界王者の肩書きすごすぎる
【コメント】不沈艦、ついに世界的ブランドとコラボ
視聴者たちの盛り上がりに、俺も、自然と気持ちが高揚していくのを感じた。それでも、こうして次々と舞い込んでくる話の規模の大きさに、身の丈に合っているのだろうかという、小さな戸惑いも、正直、心のどこかにあった。
「他にも、いくつか大きなお話をいただいていて、朝霧さんが、優先順位をつけて整理してくれているところです」
思わず、そう続ける。あれだけの数の依頼を、一つ一つ丁寧に精査してくれている朝霧さんの姿を思うと、改めて頭が下がる思いだった。あの人がいなければ、今の自分は、きっと成り立っていなかった。
「そういえば、今回のスポーツ用品メーカーさんとのお話、実は水泳用品も扱っているところらしいんです」
思わず、そんな余談を口にする。
【コメント】それは運命では
【コメント】海洋マップ待ちの機体にぴったりじゃん
【コメント】水着とか作ってくれたら面白いのに
コメント欄の盛り上がりに、俺も、思わず笑ってしまった。まさか、こんなところでも、あの機体との縁を感じることになるとは、想像もしていなかった。
配信を終え、いつものように現実へと戻る。夕食の席で、母さんが、興味深そうに尋ねてきた。
「楓、また新しいお話が来たの?」
「うん。なんか、すごい会社さんからのお話でさ」
「そう。楓、本当にすごいことになってるんだね」
母さんの、その素朴な一言に、俺は思わず、照れくさくなって視線を逸らした。それでも、その言葉の奥にある、確かな誇らしさのようなものが、はっきりと伝わってきた。
「うん……なんか、自分の身の丈に、ちゃんと合ってるのか、たまに不安になるんだけどさ。数字だけが、どんどん独り歩きしていくみたいな感じで」
思わず、そう零す。母さんは、優しく微笑みながら、静かに相槌を打ってくれた。
「不安になるくらい、きっとちゃんと頑張ってる証拠よ。自信なんて、後からゆっくりついてくるものだと思う」
その言葉に、俺は、思わず、胸の奥が温かくなるのを感じた。母さんのこういう、飾らない一言に、俺はこれまで、何度も救われてきた気がする。
翌日の配信、通話越しに、アイギスさんから連絡が入った。
「るかさん、世界王者、本当におめでとうございます!」
「あ、アイギスさん、ありがとうございます」
その明るい声に、俺は思わず、自然と頬が緩んだ。相変わらずの、あの元気の良さだった。
「これだけの実績を残されたわけですし、そろそろ、うちのギルドに――」
「ソロなんで」
思わず、いつも通りの即答が口をついて出る。アイギスさんの、その予想通りの反応に、俺は思わず、小さく笑ってしまった。
【コメント】相変わらずすぎる
【コメント】このやり取り、様式美になってきたな
【コメント】アイギスさんも諦めが悪いw
「ふふ、やっぱり、断られちゃいますね」
それでも、アイギスさんの声には、いつもと変わらない、朗らかな響きがあった。
「それでも、るかさんのその頑固さ、私は結構、嫌いじゃないんですよ」
「え?」
「誰かに頼らず、自分のやり方を貫き通す。それって、簡単なようで、実はとても難しいことだと思うので」
その言葉に、俺は、思わず、言葉に詰まった。勧誘のための世辞ではない、確かな本心のようなものが、そこには滲んでいた。
「実を言うと、私自身、ギルドを率いる立場になってから、誰かに頼ることの大切さばかりを、ずっと考えてきました。それでも、るかさんを見ていると、一人で立ち続けることの強さも、確かにあるんだなって、思わされるんです」
アイギスさんの、その静かな告白に、俺は、なんだか胸が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとうございます……なんか、そう言ってもらえると、嬉しいです」
「これからも、ソロのまま、思う存分頑張ってください。それでも、何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね。ギルドの勧誘は抜きにして」
その温かい一言に、俺は、素直に頷いた。
「アイギスさんも、これからも変わらず、ギルドを引っ張っていってくださいね」
「ふふ、もちろんです。いつか、るかさんが気を変えてくれる、そんな日を、気長に待っていますから」
その茶目っ気たっぷりの一言に、俺は、思わず、声を上げて笑ってしまった。
「それにしても、るかさんとこうして話していると、こちらまで元気をもらえる気がします。組織を率いていると、どうしても気を張ってしまう場面が多いので」
「そうなんですか? アイギスさん、いつも余裕たっぷりに見えます」
「表向きは、そう見せているだけですよ。中身は、案外、あたふたしてばかりです」
その意外な一面に、俺は、思わず、確かな親近感を覚えずにはいられなかった。
配信の合間、しばらくぶりに、ハチさんからも連絡が入った。
「るかさん、世界王者だってね! やっぱりすごいなあ!」
いつも通りの、あの明るい声。それだけで、なんだか懐かしい気持ちになった。あの初めて一緒にパーティを組んだ日のことを、ふと思い出す。
「ハチさんの方は、最近どうですか?」
「うーん、俺の方は、相変わらず、いつも通りマイペースにやってるよ。るかさんみたいに、すごい結果とか出せてないけどさ」
その言葉に、俺は、思わず、首を横に振った。
「そんなことないですよ。ハチさんは、いつも楽しそうにゲームやってて、それって、私にはできない、確かにすごいことだと思います」
「え、そうかな」
「はい。私なんて、未だに、何が正解かもよくわかってないまま、ただがむしゃらにやってるだけなので。それに比べたら、ハチさんの方が、よっぽど自分の軸を持ってる気がします」
思わず、そんな本音が漏れる。ハチさんは、電話の向こうで、少し驚いたような声を上げた。
「るかさんでも、そんな風に思うことあるんだ」
「ありますよ、それは」
自分でも、意外なくらい、素直にそう零していた。
「でもさ、るかさんがそうやって、迷いながらも前に進んでる姿、俺は結構好きだよ。完璧に見える人より、そっちの方が、なんか応援したくなるっていうか」
ハチさんの、その飾らない言葉に、俺は、思わず、目頭が熱くなった。初めてできた、この大切な友人の存在が、今更ながら、どれほど自分を支えてくれていたのか、改めて実感させられた。
「ありがとうございます、ハチさん。なんか、今日、色んな人から、大事な言葉をもらってる気がします」
「へえ、他にも何かあったの?」
「はい。アイギスさんとか、レンさんとか」
「みんな、るかさんのこと、ちゃんと見てるんだね」
その一言に、俺は、思わず、素直に頷いた。一人で戦ってきたつもりだったこれまでの日々が、実は、こんなにも多くの人に支えられていたのだと、改めて思い知らされた気がした。
「ハチさんも、忘れずにちゃんと見てますからね」
「お、なんか照れるな、それ」
電話越しに、ハチさんの、はにかむような笑い声が聞こえてきた。その気取らない反応に、俺も、つられて笑ってしまった。
しばらくして、レンさんからも、通話が入った。世界大会の結果を受けて、改めての祝福の言葉をもらう。それでも、その口調には、いつもとは少し違う、確かな真剣さが滲んでいた。
「るかさん。一つ、聞いてもいいですか」
「はい、なんでしょう」
「世界一になった今、るかさんは、これで満足なんですか」
その問いに、俺は、思わず、言葉を失った。考えたこともなかった問いだった。
「え、えっと……」
うまく答えが出てこなかった。それでも、レンさんは、急かすことなく、静かに続きを待ってくれていた。
「いや、変なことを聞いてすみません。ただ、俺自身、あの決勝で負けてから、ずっと考えてたんです。頂点を目指すことと、その先にあるものについて」
「その先……ですか」
「はい。頂点に立った後、次に何を目指すのか。それは、俺自身も、まだ答えが出せていない問いなんですけどね」
その言葉に、俺は、何も答えることができなかった。それでも、心のどこかに、小さな引っかかりのようなものが、確かに残り続けていた。
「すみません、こんな重い話。ただ、るかさんなら、いつかきっと、自分なりの答えを見つけられると思ってます」
レンさんの、その一言に、俺は、なんとか小さく頷くことしかできなかった。
「俺自身も、まだ答え探しの途中です。それでも、こうして一緒に、同じ道を進めているのは、なんだか心強いです。皇帝牙さんも、きっと同じことを考えてるんじゃないかと思います」
その言葉に、俺は、確かな温かさを感じながら、静かに頷いた。通話を終えた後も、その問いだけが、いつまでも、頭の中で鳴り響き続けていた。答えの出ない問いほど、なぜか、心の奥深くに、静かに居座り続けるものらしかった。
通話を終えた後、俺は、しばらくの間、部屋の天井をぼんやりと見上げていた。
世界一になった。登録者数も、二千万人を突破した。それでも、こうして冷静に振り返ってみると、自分自身の生活は、あの頃と、驚くほど何も変わっていないことに気づかされる。相変わらず、実家暮らしのまま、部屋の中で、ヘッドセットを被り続けているだけの日々。
ゲームの中では、確かに、世界の頂点に立った。それでも、現実の自分は、あの一話目の頃から、一歩も外に踏み出せていない。少し前までは、その変わらない日常を、むしろありがたいとさえ感じていたはずだった。それなのに今は、同じ事実が、なぜか、少し違った重みを持って迫ってくる。そのことに、今更ながら、はっきりと気づかされた。
窓の外を、ふと見やる。カーテンの隙間から差し込む、あの淡い夕暮れの光。それを見ながら、俺は、もうどれくらいの間、まともに外の空気を吸っていないだろうかと、ふと考えた。思い返してみても、はっきりとした答えは出てこなかった。それだけ、当たり前のように、家の中だけで完結する日々を送り続けてきたのだろう。
これまでは、深く考えず、なんとなく前へ進んできた。それで、ここまで来られた。それでも、この先も、同じやり方だけで、本当に前へ進み続けられるのだろうか。うまく言葉にできない、そんな漠然とした予感だけが、胸の奥に、はっきりと芽生え始めていた。
アイギスさんの言葉、ハチさんの言葉、そしてレンさんの、あの重い問い。今日一日だけで、たくさんの言葉を受け取った。それでも、その一つ一つが、今の自分に、何か大切なことを問いかけているような、そんな気がしてならなかった。
次に、自分は、何と向き合うことになるのだろう。答えの出ないその問いを、俺は、しばらくの間、静かに抱え続けていた。
不思議と、悪い予感ではなかった。むしろ、その漠然とした不安の奥底に、確かな何かへの、小さな期待のようなものも、同時に感じられた。次に何が待っているのかは、まだわからない。それでも、これまでと同じように、きっと、なんとかなるはずだった。根拠なんて、これまでだって、一度もなかったのだから。ここまで、確かに来られたのだから。それだけで、十分だった。
その時、スマホの画面が、ふと静かに光った。朝霧さんからの、新しいメッセージだった。「来週、少しお時間いただけますか。直接、ご相談したいことがあります」という一文に、俺は、思わず、首を傾げた。これまで、ずっと電話越しでのやり取りが基本だったはずだった。
いつもと違う、あの改まった言い回し。それが、一体何を意味するのか、その時の俺には、まだ知る由もなかった。それでも、なぜか、悪い予感だけは、不思議としなかった。むしろ、これから何かが始まる、そんな予感の方が、はるかに強かった。
【皇帝牙視点】
るかへの、あの問いかけは、正直、少しばかり意地の悪いものだったかもしれない。それでも、あの子には、いつか必ず向き合わなければならない問いだと、私は確信していた。
通話を終えた後、私は、一人、静かにそんなことを考えていた。あの決勝の日から、私自身、ずっと同じ問いを、自分自身に投げかけ続けている。頂点に立った後、その先に、一体何があるのか。
窓の外に広がる、静かな夜の街並みを眺めながら、私は、これまでの自分の歩みを、改めて振り返っていた。効率と正確さだけを追い求めてきた、あの長い道のり。それが、果たして正しかったのかどうか、今となっては、確かな自信が持てなくなっていた。無駄を削ぎ落とすことこそが、最短の勝利への道だと、私はずっと信じ続けてきた。それでも、その信念だけでは、辿り着けない場所があることを、今の私は、はっきりと知ってしまっている。あの子たちとの出会いが、この長年の確信に、静かなひびを入れていった。
これまでの私は、効率と正確さこそが、強さの証明だと信じてきた。それでも、あの子の戦いぶりを目の当たりにしてから、その確信は、少しずつ、確かに揺らぎ始めていた。
深く考えず、それでも前を向き続ける、あの在り方。効率とは正反対にあるはずのその姿勢が、なぜか、私の胸を、確かに強く打った。あの決勝の日、あの子の一撃を受け止めた瞬間の感覚は、今でも、はっきりと体に残っている。理屈では説明のつかない、あの純粋な力強さ。それは、これまで私が積み重ねてきた、あらゆる技術とは、まったく異なる種類のものだった。
私自身、これまで積み重ねてきたものを、一度、根本から見つめ直す必要があるのかもしれない。それでも、あの子自身は、まだ、その必要性にすら、気づいていないように見えた。
いや、正確には、気づき始めている。それでも、まだ、はっきりとした形にはなっていない。そんな、微かな予兆のようなものを、私は、通話越しのあの子の声から、確かに感じ取っていた。あの一瞬の沈黙、うまく言葉を紡げずにいた、あの間。それこそが、何よりの証拠だった。
いずれ、あの子にも、避けては通れない壁が訪れるだろう。それが、いつ、どんな形でやってくるのか、私には、正確には予測できなかった。それでも、その時が来た時、あの子が、これまでのように、なんとなくの前向きさだけで乗り越えられるとは、正直、思えなかった。
もっと、根本的な何か。これまで積み重ねてきたものとは、まったく違う種類の強さが、きっと必要になる。そんな確信めいた予感だけが、私の中に、静かに、しかし確かに残り続けていた。
窓の外に広がる夜空を見上げながら、私は、しばらくの間、そんなことを考え続けていた。あの子が、次にどんな壁と向き合うことになるのか。それを、私は、これからも、静かに見届け続けたいと思った。
それにしても、と私は思う。あの子に、あんな問いを投げかけたのは、私だけではないだろう。あのレンという若者もまた、同じような予感を、あの子に対して抱いているようだった。
先日、あの若者と、短い言葉を交わす機会があった。「皇帝牙さんは、次に何を目指してるんですか」と、あの若者は、迷いのない目で、そう尋ねてきた。あの頃の私であれば、きっと、当たり障りのない答えで済ませていただろう。それでも、あの子との出会いを経た今の私は、素直に「わからない」と、そう答えていた。
「俺も、正直、同じです」
あの若者は、そう言って、少しだけ、笑っていた。かつては、互いに、腹の探り合いのような距離感しか持てなかった相手だった。それが今では、こうして本音を、素直に交わし合える。この変化もまた、あの子との出会いが、確かにもたらしてくれたものの一つだった。
互いに、まったく異なる形で世界一を目指してきた三人。それでも、こうして今、同じ問いに向き合おうとしている。この巡り合わせもまた、何かの必然だったのかもしれない。
あの若者は、あの決勝での敗北を経て、確かに大きく変わった。型を崩す勇気を身につけ、以前とは比べ物にならないほどの、柔軟な強さを手に入れている。それでも、あの若者自身もまた、次なる壁の存在を、既に薄々感じ取っているようだった。技術を極めた先にある、さらなる高みを求め続ける、その貪欲さこそが、あの若者らしさなのだろう。あの敗北を糧に変える強さもまた、簡単に真似できるものではなかった。
三者三様の歩みが、それぞれの形で、同じ問いへと収束していく。この先、あの子たちが、どんな答えに辿り着くのか。それを見届けることもまた、私にとって、確かな楽しみの一つになっていた。それぞれが、それぞれのやり方で、この壁を乗り越えていくのだろう。
これまでの長い人生の中で、私は、誰かの成長を、こんなにも楽しみに思ったことはなかった。孤高であり続けることこそが、強さの唯一の証だと、ずっと信じてきたはずだった。それでも、あの子たちとの出会いが、その凝り固まった信念を、少しずつ、確かに解きほぐし始めているようだった。
誰かと共に高め合う。そんな、これまでの自分には縁遠かったはずの感覚が、今は、確かに心地よいものとして、私の中に根付き始めていた。孤高であることに、もはや以前ほどのこだわりはなかった。それよりも今は、あの子たちの歩みを、静かに見守り続けたいという想いの方が、はるかに強かった。この心境の変化もまた、あの子たちがもたらしてくれた、確かな贈り物の一つだった。




