30.ソロなんで
朝、目を覚ましてすぐ、俺はいつものように通知欄を確認した。世界大会エントリーと登録者数50万人という、目まぐるしい一日を終えた翌朝は、いつもより少しだけ寝坊してしまった。
階下に降りると、母さんが朝食の支度をしていた。
「おはよう、楓」
「おはよう」
あっさりとした挨拶を交わしながら、朝食を済ませる。世界大会という大きな話題が舞い込んだ翌日にしては、驚くほどいつも通りの朝だった。
朝食を済ませ、自室に戻る。ヘッドセットを手に取りながら、俺は小さく伸びをした。
「おはようございます、みなさん。今日は予選に向けて、レベリングっぽいことでもしてみようかと思います」
配信を開始し、いつも通りの調子で切り出す。コメント欄も、いつも通りの温かい反応で迎えてくれた。
【コメント】おはよう
【コメント】予選まで、まだ時間あるんだっけ?
【コメント】この機会にちゃんと準備しとくのいいことだと思う
防衛戦の通知に従って、俺はいつも通り歩き出した。今日はいつもより少し多めに敵が湧いているらしく、道中も何度か小競り合いが発生した。
【コメント】今日は敵の数多いな
【コメント】予選前の腕試しにはちょうどいいかもね
【コメント】いつも通りの安定感で草
「インパクトスマッシャー!」
いつも通りの一撃で、敵を沈める。ガードして、踏み込んで、殴る。この単調な繰り返しだけは、世界大会が近づいても、何一つ変わらなかった。
敵の反応も落ち着き、辺りに静けさが戻ってきた頃、防衛戦を終えて一息ついていると、遠くから、見慣れない一団がこちらに近づいてくるのが見えた。統率の取れた動き、揃いのエンブレムを身にまとった機体たち。明らかに、個人プレイヤーの寄せ集めとは一線を画す雰囲気だった。
何事かと身構える俺をよそに、その一団は迷いのない足取りで、まっすぐこちらへと向かってくる。まさか自分に用があるとは、この時点ではまだ想像もしていなかった。周囲の景色から一団だけが浮き上がって見えるほど、その存在感は圧倒的だった。
【コメント】あれ、有名なギルドの人たちじゃない?
【コメント】たしか世界2位のギルドだったはず
【コメント】なんでこっちに向かってきてるんだ?
戸惑っているうちに、一団の先頭に立つ、ひときわ洗練された機体が、目の前まで歩み寄ってきた。周囲の護衛らしき機体たちは、一定の距離を保ったまま、静かに待機している。その統率の取れた様子だけでも、只者ではない気配が伝わってきた。
「初めまして。ギルド『アイギス』のマスターを務めている者です」
凛とした女性の声だった。物腰は丁寧だが、その奥に確かな自信が滲んでいる。
「あ、初めまして……ええと、るかです」
画面越しの視聴者たちにも、この異例の展開は驚きをもって受け止められているようだった。
突然の来訪に、俺は戸惑いを隠せずにいた。統率された動きを見せる一団を前にすると、自然と緊張が高まる。
「あなたの活躍は、以前から拝見しておりました。単独でこれだけの結果を残せるプレイヤーは、そう多くありません」
落ち着いた声には、言葉通りの敬意が滲んでいるように感じられた。それだけに、俺はどう応じればいいのか、余計に迷ってしまう。
まっすぐな評価に、俺は少し戸惑いながらも、頭を下げた。
「ありがとうございます……でも、正直、実力というより、たまたま運が良かっただけだと思ってます」
いつも通りの謙遜だったが、口にしてから、俺は自分でも、この言葉がすっかり口癖のようになっていることに気づいた。
「謙遜する必要はありません。結果は結果です」
きっぱりとした物言いに、俺は思わず背筋を伸ばした。
【コメント】これ、まさかスカウトか?
【コメント】世界2位のギルドからスカウトとか大事件じゃん
【コメント】るか、ついにギルド入りするのか?
周囲のプレイヤーたちも、この珍しい光景に気づき始めたのか、遠巻きにこちらの様子を窺っているのが見えた。世界2位のギルドマスターが、いち配信者に直々に声をかける。それだけでも、十分に注目を集める出来事だった。
コメント欄の予想通り、アイギスと名乗るそのギルドマスターは、本題を切り出した。
「単刀直入に申し上げます。当ギルドへの加入を、ぜひご検討いただけないでしょうか」
思いがけない申し出に、俺は一瞬、言葉に詰まった。世界2位という肩書きを持つギルドから、まさか直々に勧誘を受けるとは、想像すらしていなかった。コメント欄も一瞬静まり返り、次の瞬間には、これまでにない勢いで沸き立っていた。
「え、私が、ですか……?」
「あなたのような実力者が、組織に属さず個人で活動を続けているのは、正直もったいないと感じています。ギルドに加入していただければ、より充実した設備、より練度の高い仲間との連携、そして世界大会に向けたサポート体制も提供できます」
流れるように語られるその説明には、これまで数え切れないほどの交渉をこなしてきたであろう、確かな経験が滲んでいた。それでも、俺の心の中では、答えはとっくに決まっていた。
淀みなく語られる条件の数々は、確かに魅力的に聞こえた。設備、仲間、サポート体制。どれも、今の自分一人では手に入れられないものばかりだ。それでも、俺の口からは、迷うことなく、いつもの答えが出てきた。
「あの、すみません……ソロなんで」
あっさりとした断り文句に、アイギスは一瞬、虚を突かれたような表情を見せた。
【コメント】キタ! 伝統の「ソロなんで」!
【コメント】これで何人目の勧誘断りだ?
【コメント】世界2位のギルドすら一蹴されるの草
「……理由を伺っても?」
「うーん、特に深い理由があるわけじゃないんですけど、なんというか、一人でやる方が気楽で。今更誰かに合わせるの、ちょっと苦手というか」
言葉を選びながら、俺は自分の中にある本音を、そのまま口にしていた。誰かと足並みを揃えることに、昔から苦手意識がある。それは、この巨大な機体を選んだ理由と同じくらい、単純で、それでいて自分にとっては切実な理由だった。
正直な気持ちをそのまま口にすると、アイギスはしばらく黙り込んだ後、小さく笑ったような気配を見せた。
「そうですか。それは、あなたらしい理由ですね」
どこか柔らかい響きを含んだその一言に、俺は少し意外な気持ちになった。もっと落胆されるか、あるいは説得を試みられるものと身構えていたからだ。
「あ、あの、せっかく声をかけていただいたのに、すみません」
申し訳ない気持ちが先に立って、俺は思わず頭を下げた。せっかくの厚意を無下にしているような、そんな居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
それでも、無理に加入して、後から後悔するよりは、今きちんと自分の気持ちに正直でいる方が、結果的には誠実な対応なんだと、自分に言い聞かせた。
「いえ、無理強いするつもりはありません。ただ、気が変わることがあれば、いつでも声をかけてください。当ギルドの門戸は、常に開いています」
その言葉には、押し付けがましさが一切なかった。だからこそ、俺は素直に、その気遣いをありがたく感じることができた。
そう言い残すと、アイギスは丁寧に一礼して、ギルドの一団と共に去っていった。俺はしばらく、その後ろ姿を見送っていた。統率の取れた足並みで去っていく一団の姿に、改めて、組織というものの持つ重みを感じた。
【コメント】あっさり引き下がってくれるの、アイギスさん器がでかいな
【コメント】これもう様式美になってきてる
【コメント】次はどのギルドが来るのか楽しみ
【コメント】断られ役、板についてきてるw
軽口交じりのコメントに、俺は思わず苦笑した。
「いや、こういう展開になるの、もう何度目でしょうね……毎回同じ返事しかできなくてすみません」
視聴者の中には、この定番のやり取り自体を、一つの名物として楽しんでくれている人も多いようだった。断る展開すら、いつの間にか配信の一部として定着しているらしい。
【コメント】むしろその一貫性が魅力なんだよなw
【コメント】ソロなんでが、るかの代名詞になりつつある
【コメント】次は誰から声かかるか予想する遊びできそう
賑やかなやり取りを続けながら、俺は改めて、自分の性格について考えていた。誰かと組んで戦う方が、きっと効率はいいんだろう。それでも、今のこの一人のペースを、手放したいとは、なぜか思えなかった。
考えてみれば、これまでの人生でも、集団に属することに、ずっと苦手意識があった気がする。クラス、部活、グループ活動。みんなに合わせて動くことが、いつも少しだけ息苦しかった。それが今、こうしてゲームの中でも、同じ選択を繰り返している。変わらない自分の性質に、俺は思わず苦笑した。
防衛戦の合間、ハチからメッセージが届いた。
「るかちゃん、また勧誘断ったんだって? 律儀だなあ」
どうやら、既にこの話題は界隈に広まっているらしい。噂の広まる速さに、俺は思わず苦笑した。
「あはは、なんか毎回同じ流れになっちゃって」
振り返ってみれば、これで一体何度目の勧誘だろうか。毎回、同じような流れで、同じような返事をしている自分に、俺自身、少しおかしくなってきていた。
「まあ、るかちゃんらしいけどね。俺と組む分には、ソロって感じしないの?」
ハチさんらしい、飾らない質問だった。俺はしばらく考えてから、思ったことをそのまま答えることにした。
「ハチさんとは、なんか違う感じがするんですよね。ギルドっていう組織じゃなくて、ただの友達っていうか」
言葉にしてみて、俺は自分でも、その違いに改めて気づかされた。組織に属するということと、誰かと親しくなるということは、似ているようでいて、まったく違う種類の繋がりなんだと思う。
「それ、すごく嬉しい言い方だな」
軽いやり取りに、俺は思わず頬が緩んだ。組織に属することと、誰かと繋がることは、また別の話なんだと、今更ながら実感していた。
ギルドという枠組みには、どうしても身構えてしまう。それでも、ハチのような、肩肘張らない繋がりになら、素直に心を開ける。この違いがどこから来るのか、うまく言葉にはできないけれど、少なくとも、今の自分にはちょうどいいバランスなんだと思う。
配信を終え、いつものように現実へと戻る。夕食の席で、母さんが尋ねてきた。
「楓、今日は何か面白いことあった?」
「うん、なんか、大きなギルドからスカウトされた」
「え、それってすごいことなんじゃないの? 入らなかったの?」
母さんの反応は、驚きよりも、素朴な好奇心が先に立っているようだった。
「うん、断った。一人でやる方が気楽だから」
「そう。楓らしいね」
母さんの言葉に、俺は思わず苦笑した。誰に言われても「らしいね」で片付けられてしまうくらい、この性格は今の自分の一部として、すっかり定着しているらしい。
あっさりとした反応に、俺は思わず笑ってしまった。母さんにまで「らしい」と言われる自分の性格が、なんだかおかしくて仕方なかった。視聴者にも、ハチにも、そして母さんにまで、同じ言葉で片付けられる。それだけ一貫した性格をしているということなんだろう。
「でも、いつかそういう仲間が欲しくなる時が来るかもね」
母さんの何気ない一言に、俺は少し考え込んだ。今はまだ、その気持ちがよくわからない。それでも、いつか本当にそう思う日が来るのかもしれない、とぼんやり思った。
「今は、まだそういう気分じゃないかな。でも、母さんがそう言うなら、覚えておくよ」
「それでいいと思うよ。楓のペースで決めればいいんだから」
いつも通りの、押し付けがましさのない言葉。それだけで、俺は今日も、素直に安心することができた。
食後、部屋に戻ってから、俺はもう一度、今日のやり取りを思い返していた。断ることに、迷いはなかった。それでも、あの丁寧な誘いの言葉には、素直に嬉しさも感じていた。誰かに必要とされる、認められる。そのこと自体は、決して悪い気分ではなかった。
これまでの人生で、誰かから「あなたが必要だ」と真正面から言われる経験は、ほとんどなかった気がする。それが今日、世界的に名の知れたギルドマスターから、丁寧な言葉でそう伝えられた。断る決断に迷いはなかったけれど、その事実だけは、静かに、確かな重みを持って胸に残っていた。
ベッドに横になり、天井を見上げる。世界大会という大きな舞台が、少しずつ近づいてきている。それでも、今日という日のような、こういう何気ない出来事の積み重ねこそが、今の自分を支えてくれているのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は静かに目を閉じた。
母さんが言っていた「いつか仲間が欲しくなる時が来るかもね」という一言が、なぜか頭の片隅に残り続けていた。今はまだ、その気持ちがどんなものなのか、うまく想像できない。それでも、いつか本当にそう思う日が来たとしたら、その時はきっと、今日のこの気持ちも、また違う形に変わっているのかもしれない。
【大手ギルドマスター・アイギス視点】
あの配信者に断られるのは、これで三度目だった。
最初にスカウトを打診したのは、あの必殺技命名企画が話題になった直後のことだった。あの時は「まだそんな大それたことは考えられません」と、控えめに断られた。二度目は炎上騒動の後。あの時は「今はそれどころじゃないので」と、申し訳なさそうに断られた。
ギルドマスターという立場に就いてから、これまで数え切れないほどのスカウトを行ってきた。優秀なプレイヤーには、それぞれ異なる断り文句がある。条件面での不一致、既に他所属を検討中、単純な興味のなさ。それぞれの理由に、それぞれの重みがある。
そして今回、三度目の申し出も、あっさりと「ソロなんで」の一言で片付けられてしまった。
正直、悔しさがないと言えば嘘になる。当ギルドは、世界ランキング二位という実績を誇る組織だ。これまで、声をかけて断られた経験は、数えるほどしかない。それだけに、同じ相手に三度も断られるというのは、正直、これまでにない経験だった。
それでも、不思議と苛立ちは湧いてこなかった。むしろ、あの飾らない断り方に、どこか清々しさすら感じている自分がいる。
これまで見てきた優秀なプレイヤーの多くは、組織に属することで得られる利益を、冷静に計算した上で判断を下す。それが悪いことだとは思わない。むしろ、合理的な判断のはずだ。それなのに、あの配信者は、損得勘定を度外視して、ただ「一人の方が気楽だから」という理由だけで、こちらの申し出を退ける。
これほど純粋な動機で行動するプレイヤーを、私はこれまで見たことがなかった。多くの者が、名声や利益、あるいは周囲からの評価を気にして行動を決める中で、あの配信者だけは、常に自分の内側にある感覚を、何より優先しているように見える。
そのまっすぐさが、これまで数え切れないほどのプレイヤーを見てきた自分にとって、かえって新鮮に映った。
ギルドを率いる立場になってから、随分と長い時間が経った。優秀な人材を集め、組織として最大限の成果を出す。それが自分に課せられた役割であり、これまで誇りを持って取り組んできた仕事でもある。それでも、時折、こうして純粋に「一人が好きだから」という理由だけで誘いを断られると、組織の論理とは違う場所に、確かな価値観が存在することを、思い知らされる。
「まあ、それも一つの生き方ですね」
誰にともなく呟きながら、私は部下たちと共に、次の目的地へと歩みを進めた。
いつか、あの配信者の気が変わる日が来るのかどうか。正直、あまり期待はしていない。それでも、この先も気長に、声をかけ続けてみようと思う。あの真っ直ぐな断り方を、また聞いてみたいという、そんな身勝手な期待も、少しだけあった。
部下の一人が、隣で小さく笑いを堪えているのに気づいた。
「マスター、また振られましたね」
「ええ、また振られました。それでも、悪い気分ではないんですよ、不思議と」
部下は不思議そうな顔をしていたが、それ以上は追及してこなかった。長年連れ添ってきた部下だからこそ、こういう時は深く聞かないでいてくれる。その気遣いが、今はありがたかった。
そう答えながら、私は歩みを進めた。世界大会という大きな舞台で、いつかあの配信者と、正面から対峙する日が来るかもしれない。その時を、密かに楽しみにしている自分がいた。
あの真っ直ぐな在り方が、大会という大きな舞台でどんな戦いを見せてくれるのか。ギルドマスターとしてではなく、一人のプレイヤーとして、私はその瞬間を、誰よりも楽しみに待つことになりそうだった。




